悪夢再び
石川昭光を討ち取った、三尺の武者。
そう、彼こそあの、二本松義継を斬った少年。
その時と同じ羽織袴を身にまとい、身の丈と同じ長さの刀を持った少年。
そして石川昭光を討ち取った仇と向かって来た兵たちに次々と昭光の後を追わせ、自分自身は傷一つ付いていない。
返り血すら浴びることなく、石川軍二千を一人で圧する。
「この野郎!」
刀剣がダメならとばかりに矢弾を放つが、その瞬間彼は高く飛び上がり、その勢いのまま刀を振り下ろして弓兵を真っ二つにする。
そしてもう用は済んだとばかりに兵たちの間を抜け、阻む者すべてを亡骸に変えてしまう。たとえ亡骸にならなくとも物理的・心理的大打撃を受け、戦場に立つ力を奪われてしまう。
「……………………」
そしてその間、下手人は何も言わない。掛け声すら上げることなく、ただただ目の前の邪魔な存在をどけるためだけに動く。
「あわわわ…!」
「に、人間じゃねえ!」
「お母ーちゃーん!」
こんな叫び声を上げられるのは、まだ優秀な部類だった。少なからぬ兵が現実を受け入れられず気を失い、またそれとほぼ同数の兵が精神の平衡を失い笑い出したりいきなり自分の武器を腹に突き刺したりした。
石川軍をそんな風にした童子の次の行き先は、まだこの戦に関わっていなかった軍勢だった。
「ひーっ!」
「何を叫んでいる!所詮敵は一人だ!」
佐竹軍の一万近い兵の中でもひときわ臆病な、かつ最初に血塗られた刀を持った童子を見つけたその兵士の悲鳴をいさめるかのように、隊長の言葉が乗っかる。
その言葉と共に槍兵は槍を構え、弓兵は矢を弓につがえる。
「撃て、撃て、撃てー!」
隊長は手を振って攻撃の合図を下す。
その数三十。たった一人を相手にするにしてはもったいないかもしれないが、それでもこの勝ち戦を完璧にするためには仕方がないと割り切っていた。
割り切る事が、出来ていた。
弾幕を張り、万が一突破されても槍衾で突き刺す。
確かに幼子かもしれないが、それでも敵は敵。恨むならば恨めばいい。
その立派な心掛けをした存在を、世間は、いや現実は無惨に踏みにじった。
「何だよ!めちゃくちゃな速さで避けてる!」
「こっちに突っ込みながら大きくずれたんだ!」
「うるさい!横一列に並べればいい!」
真正面に向けて放ったはずの弾幕を、その幼子は避けた。しゃがむとかかいくぐるとかではなく、こっちに向かって正面から突っ込みながらその体勢のまま左側に動き、距離をどんどん縮めて行く。あわてて逃げる隙間などやらんと言わんばかりに扇状に開かせるが、矢の隙間が広がりすぎたのか普通にかいくぐって来る。
「敵の刃は低い!その事をわきまえて行け!」
それでも冷静さを失わぬまま、三尺の敵兵に向かってそれにふさわしい対処方法を取る。臨機応変な対応を行い名将の器を見せ付ける彼が出世栄達しない事は、連合軍のみならず伊達にとっても不利益なはずだった。
だが、世の中はそれほど合理的でもない。相手である三歳の武者が三尺の刀を持っていると言う時点で、臨機応変ではあるが杓子定規とも言える対応には限界があった。
「……!」
無言で突っ込んで来た三歳の武者は、対して踏み込みもせずに槍衾に向かって飛びあがり、向かって来た三本ほどの矢を叩き落とすと鷹が地上のウサギを捕まえるが如く飛び掛かり、隊長を踏み台にしてまた大きく飛んだ。
そして隊長の頭は割れ、脳髄をさらけ出しながら血の池へと沈む。
「なんだなんだなんだぁ!」
「どうなってるんだよぉぉぉ!」
「足音が、足音がぁぁぁぁぁ!!」
凄まじいまでの距離を有り得ないほど小さな踏み込みで飛び、兵たちの後ろにいたはずの隊長の頭に刀を刺す。そして何事もなかったかのように、馬さえも置き去りにしそうな速さで走り出す。
そんな存在を目の当たりにした兵たちは恐慌状態に陥り、ひときわ勇敢な兵以外は叫び回る。そして
「助けてくれぇ!」
と後方に逃げられるのは一流、
「あわわわ……」
とか言ってしゃがみ込むのは二流、
「お母ーちゃーん!」
とか叫びながらあらぬ方向へ駆け出すのは三流と言う残酷な格付けが行われ、
「この野郎ぉ!伊達めがぁ!」
と目前の敵へ逃避できる超一流は五指にも及ばなかった。
「ハハ、ハハ、ハハ……」
ようやくその童子の口から出た声。
笑っているのか。
既に離れたはずなのにまだ聞こえる声。兵たちの心を乱すに十分な声。
あっという間に、百人近い小隊は壊滅したのである。
—————もちろん、百人如きで済むはずもない。
「来たぁぁぁぁ!!」
優勢だったはずの戦をたった一人で覆してやると言わんばかりに突っ込んで来る、無謀とか言う次元を通り越した存在。
対象はおそらく、連合軍の実質的総大将・佐竹義重。確かに討ち取れば一発逆転だが、実際にそんな事が出来るなど誰も思わない存在。
「撃て、撃て、撃てー!」
この無謀極まる挑戦者に対し、佐竹軍は攻撃を開始する。
今度は矢ではなく鉄砲も撃ち、後先など考えてたまるかと言わんばかりに全てを磨り潰しにかかる。
だが、来ない。月の扇を記した佐竹家の真っ白な旗に突っ込む事はせず、いきなり北西へと走り出した。
「見ろ!逃げ出したのだ!」
声高に退却を叫んでみるが、一人の童子相手に百発も弾を撃っておいて尻尾を巻いて逃げ出したとか言える訳もない。血染めとか言うには彼の体はきれいであり、ともすれば侍の真似をした童子がうっかり戦場に迷い込んで来ただけにも見えてしまう。
もっとも、佐竹軍に直進して来たはずが全く態勢を変えることなく後ろ走りし、かつ斜め四十五度で北西に向かって行ったと言う事実に目をつぶればだが。
「何でしょうか!」
「うるさい!あんな腰抜け坊主の事など知った事か!伊達にとどめを刺すべくゆっくりでいいから前進しろ!」
前進を命じる隊長とて、怖くなかった訳でもない。だがそれでも、かなり優秀であったことは間違いない。
だが、その行く先を知っている他の兵は慌てた。
「しかしあの方向は白川様の!」
「白川様があんな腰抜け坊主に負ける訳がないだろうが!まあいい、せいぜい挟撃してやるぞ!」
白川軍には、義重の次男の白川義広がいる。その義広に万一の事あらばそれこそ戦勝は簡単に吹っ飛ぶ。最悪、蘆名の一人勝ちなんて事になりかねない。ましてや石川昭光が死んでいる以上、これ以上東北諸侯の犠牲を増やしてはいけない。
その判断は、やはり正しかった。
「佐竹軍から急報!我々の後方に童子が到来!」
「何を言っているのだ!」
……もっとも、受け取る側に問題がなければの話だが。
白川義親は義重の次男を押し込まれる程度には無能ではなかったが、それでも事態の急変に対応できる人物ではなかった。
もっとも急変と言うか大事件とでも言うべきこの事態に対応しろなど、無茶ぶりでしかないのだが。
「童子一人で何とかなるものか!」
「その童子により石川軍は壊滅!」
「…わかったわかった、蘆名殿に言って来い、しばらく前進できないと!」
蹴り飛ばしてやろうとした義親だったが、使者が自分の首に刀を当てているのを見てしぶしぶ話を聞いてやる事にし、とりあえず自分たちと共に千ほどの兵を後ろに向かせた。
「義父上、敵は来るのでしょうか」
「来るのだろうな一応。まったく、どこに二千の兵を一人で殲滅できる三歳児が居ると言うのか……」
義重がようやく本気で来るからその前に、と言うつもりで気合を入れようとしていた所に飛んで来たトンデモ話に、父子して不満タラタラだった。
そんな親子の目にまず映ったのは、迫って来る三歳児の、背中。
後ろ走りをしながら突っ込んで来るその姿は特異と言うか奇妙奇天烈摩訶不思議であり、怒りや恐怖とは別の物を誘う存在だった。
「ちち、うえ…!」
「撃て…」
言葉を崩しながら射撃を命令するが、ちっとも迫力がない。
威力もそれに正比例するかのように乏しく、掠める気配すらない。まあ、元から射程距離外だった事は百も承知のだが。
「あれは我々を油断させようとしてぇ!」
「そ、そうだ、そういう事だぁ!」
親子して声が上ずりまくる。
親子を包むその感情。
———あの童子からもたらされたそれが恐怖ではなく、笑いだと白川軍全部が気付いた時。
「アハハハハハハ!」
「イヒヒヒヒ!」
「もしかして、マジで、マジで、アーッハッハッハ…!」
白川軍は、笑いの渦に包まれた。
どんな芸人ですら叶えられない爆笑の渦が、この戦場にあった。
本当に二千人に一人で向かって来ると言う非常識の極み。
しかも背中走りと言う隙だらけの姿で。
石川軍が集団で幻覚でも見たのかと思ったらどうも本物らしい、こりゃ一本取られてしまったな。
そんな理屈とは別に、あまりにも戦場に不釣り合いな存在の不自然極まる行動の全てが、白川軍を笑いの中に叩き込んでいた。
そして、彼らの中で一番幸せだったのが誰かと言うと、小峰義広だろう。
何せ後ろ走り状態で接近していた三歳児が瞬きする間に体を翻し、これまでよりさらに速い速度で突っ込み自らの首を斬り落とし、そのまま白川軍をにらみながらまた後ろ走りで消えて行く姿を認知せずに死んだのから。
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