第19話
彼はゆっくりとそれを下ろした。
「……いいの?」
「確かに、澪ちゃんの言う通り、僕は殺し屋だ。探偵じゃない。人を殺すことも残酷な提案をすることも、手伝うことも。僕にとってなんてことはない。仕事の一部として身体が慣れてしまっている」
彼はゆっくりと首を横に振る。その整っている顔がクシャりと歪んだ。
「君がどうしてもと言うのなら、その選択を取ろう。けれど、僕の意思で君を殺すようなことはしない。出来ればしたくない」
「海凪さんの秘密を暴いてしまったのに?」
「それについては別に構わない。元々、復讐が終わった後に打ち明けるつもりだったから」
「そうなの……?」
彼は私の言葉に頷いた後、そっと目を閉じる。彼が今、何を思っているのか。何を考えているのかは分からない。
けれど、やっぱり……
「改めて聞いてもいいかい?」
「うん、いいよ」
「――僕が殺し屋だと分かった今でも……怖いとは思わないのかい?」
「うん、怖くないよ?」
「僕、人を殺せるんだよ?」
「まあ、殺し屋で人を殺せなかったら、それはそれでやばいと思うけど」
「まあ、そうなんだけどさ……」
彼の言いたいことは分からなくもない。人を殺すことを生業としている人と共にいる。そこに恐怖はないのか。もしかしたら、何か企んでいるかもしれない。利用したいと思っているだけかもれない。そんな得体の知れない人物のことを、簡単に信じていいのか。そう言いたいのだろう。
けれど、私は信じたい。彼は私の味方だって。
「あなたが私を殺すつもりなら、初めて出会ったあの時に殺されてるはず。利用するつもりで生かしているなら、それで構わない。私はあなたを巻き込んだ。それは紛れもない事実。私が怖がるのはお門違いでしょ」
「そういうもの?」
「そういうものだよ。寧ろ、私には心強い仲間がいるって思えて安心してるよ」
「僕が仲間で安心出来るの?」
海凪さんは少しだけ困った表情を見せた。自分が殺し屋だと知られて、不安が残るのだろう。そんなに心配にならなくても、私は私のままでいるのに。
「うん、出来るよ。経験者がいるのといないのとでは、やっぱり少し違うし、何より……あなたは私の言葉を否定しなかった。私の相談に乗ってくれた。そんなあなたを怖がる必要がどこにあるの」
「そっか」
「うん」
「でも、僕は殺し屋だから……君とは釣り合わない。君は人殺しと一緒にいていい人じゃない。だから――」
彼の言いたいことが分からない。困惑することしか私にはできない。
「復讐を終えたら、僕は君の前から姿を――」
「……ダメっ!」
彼に最後まで言わせなかった。そんなこと、私が許すはずがなかった。私の唯一の味方である海凪さん。私のことを否定しなかった彼から、そんな言葉聞きたくなかった。
「どうしてそんなこと言おうとするの……私のこと、嫌いになっちゃった……?」
「どうしてそうなるんだい!? 僕はただ君のことを守りたくて――」
「守りたいならそばに居てよ……離れていかないで……」
情緒が不安定になっているのが分かる。面倒臭い女だと自分でも思うけど、嫌だった。復讐を終えたら会えなくなってしまう。そんな未来があるのなら、復讐なんてしなくていい。
「復讐しなければ、私から離れない?」
「復讐をやめるということは、君から離れるのが早くなるということだよ」
「――分かった」
私は決意する。彼が頑なに私から離れたいと思うなら、離れたくない理由を作ればいい。いや、これから行うことを実行すれば、その理由は成立する。だから――
「復讐をしたら私も人殺しになる。殺し屋と人殺しなら、一緒にいてもいいでしょ……?」
「そ、れは――」
彼が困った顔をする。殺し屋だから一緒にいられない。私が裏社会の人間じゃないから。この手がまだ綺麗だから。
だったら、汚くなればいい。この両手が一度でも血で染ってしまえば、彼の隣にいられる。
――どうして、私はこんなに必死になっているんだろう。彼の隣にいることに拘るんだろう。分からない。分からないけど……居心地がいいと思ってしまったんだ。
「一緒に……地獄に堕ちてくれるって言ったよね……?」
「そうだね、確かにそう言ったよ。けど――」
「なら、掴んで離さないで。その瞬間が来るまで、そばに居てよ。復讐を終えたら姿を消すだなんて、悲しいこと言わないで……私にはもう、海凪さんしか味方はいないから」
「ごめんね、澪ちゃん」
彼がギュッと自身の拳を握る。それが何を意味するのか、それは次の彼の台詞で分かった。
「……そうだね。自分の言葉には責任を持たないとね」
「え、それって……」
「君が望むまで、そばにいるよ」
その言葉が、私にとってどれだけ救われるのか、彼はきっと分からないだろう。
「えへへ。ありがとう、海凪さん」
「いや、それはこっちの台詞さ。僕と一緒にいたいって言ってくれて、ありがとうね」
私たちは笑いあった。こうやってずっと笑いあえたらいいのに――
復讐を終えたら……そんなことを考えた時もある。けれど、私はこれから人を殺す。人を殺して自分だけ幸せになろうだなんて、自分勝手にも程がある。
だから――
「最期までよろしくね」
あるはずのないその先の未来を想像して、私は心の中に留めるのだ。
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