第8話

 体育館倉庫から戻った後、変なざわつきが私を襲った。


 纈陽彩と友達になった。その事実は、クラスメイト全員を驚かせることとなり、私は頭が痛くなった。分かっていたことだけれど、溜息を零してしまう。そんな私とは相対的に、纈は満面の笑みを浮かべて、クラスメイトの様子を見ていた。とても満足しているような様子に、私の背筋は凍った。


 クラスメイトが面白い具合にパニックに陥っている中、その輪の中心にいた天沢芽衣あまさわめいが口を開く。


「陽彩……? どうして栗花落さんと一緒にいるの?」


「うん? 友達だからだけど?」


「友達……? 陽彩と栗花落さんが……?」


「それ以外に何があるの?」


 友達であるかどうかの確認をした天沢は、大きく目を見開いていた。二人が話し始めたからだろうか。教室内が一時的に静かになる。


「陽彩、冗談きついよ。李依たちはどうしたの? 一緒にいたじゃない」


「李依? ああ……」


 鬼屋敷の名前が出た瞬間、その表情が曇った。冷たい視線をクラスメイトに向けていた。


 明るくて人気者の纈陽彩。そんな彼女からは想像も出来ない表情に、静まり返った教室内の空気が冷たくなる。緊張からか、天沢が口を閉ざした。


 そんな天沢の様子を見て、何かを思い出したかのように纈が口を開く。


「そういえば芽衣にひとつ、聞きたいことがあるんだけどいいかな?」


「な……に?」


 その聞きたいことがとても重要なことだと、雰囲気で分かったのだろう。天沢は息を呑む。


「そんなに緊張しないでよ。私たち、友達でしょ?」


「そうだけど……何が聞きたいの?」


「――がそれをしていたことはさっき知ったんだけどさ……」


 呼び方が変わったことに気付いたクラスメイトは、一瞬ザワついた。


「芽衣たちも……鬼屋敷さんと同じく澪のことをいじめてたりしたの?」


「…………」


「答えてよ」


 纈の目付きが鋭くなる。そんな彼女に対し、天沢は小さく息を吐いてからその問いに答えた。


「いじめていないよ。私たちは何もしていない。そうだよね、栗花落さん?」


「えっ……」


 ここで自分に振られるとは思わず、たじろいでしまう。何もしていない……? あなたたちが……? 纈以外、私の悪口を言ったり物を捨てたりして嘲り笑って楽しいんでいたのに……?


 ここで全て話してしまえば、少しは楽になるのだろうか。


 けど――


「うん、天沢さんたちは何もしていないよ」


 私は嘘をついた。纈はジッと私のことを見る。天沢は私の答えにホッとした様子だった。


 本当のことを言いたかった。けれど、それで真実を伝えてしまったら、その先の未来は明白だ。纈と天沢の関係が私のせいで壊れる。その後に天沢たちに報復される。


 バカでも分かるようなことを、自ら起こそうとは思わない。


「澪、それは本当なの? 私、嘘をつかれるのは嫌いだよ」


「本当だよ」


 私は偽の笑みを浮かべた。


 これで纈が私と友達をやめるというなら、それはそれで仕様がない。所詮その程度だったというだけの話。私は海凪さん以外の人間に期待することを、諦めればいいだけ。


 だから――


「纈さんが心配しているようなことは、何ひとつとして起きていないよ」


「ほら!栗花落さんもこう言ってるんだし、もういいでしょ?」


「もういいかどうか判断するのは芽衣じゃなくて私だけど」


「…………」


「まあ、いいや。澪、何かあったらすぐに言ってね。分かった?」


「うん……」


 私は頷いた。頷く以外の選択肢が分からなかった。その時、背後から足音が聞こえた。バタバタと、急いでいるかのような――


「あ、李依……」


 天沢が口を開いた。振り返ると、そこには肩で息をする鬼屋敷がいた。急いで駆けてきたのだろう。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっており、髪が乱れていた。そんな鬼屋敷のことを、纈は哀れむような目で見ていた。


「陽彩……話を……しよう?」


「…………」


「陽彩、私は――」


「申し訳ないけど、私はあなたと話すことはない。けど、そうだね。あなたの話は聞かないけど、一つだけ言っておこうか」


 纈はゆっくりと鬼屋敷に近付く。目の前でピタリと止まった纈を前にし、鬼屋敷の体は小さく震えていた。


「私はね、鬼屋敷さん。人をいじめることでしか生きる意味を見い出せない人のことなんて、心底どうでもいいの。仲良くしたいとも思わない。これが答えだよ。理解してね?」


 ただそれだけを言って、教室へと向き直る。纈はもう……鬼屋敷のことを見てはいなかった。背後に誰かいる。その程度の認識で済ませていた。


 ふぃ、と纈は視線を外した。それから分からせるかのように私のことを見て、にこりと笑った。そんな纈を見て、鬼屋敷は愚か、それ以外の生徒も酷く狼狽した表情を見せた。


「――というわけだから、澪に手を出したら私が許さないからね」


 それが牽制だということはすぐに分かった。纈の言葉で、その場の空気がピリついた。反論する者はひとりとしていなかった。


 私が脅える必要は無い。これは、私以外のクラスメイトに対しての言葉。


 分かってる。分かっているのに――彼女が張り付けるその笑みが……私を見てにこりと笑うその笑みが……怖いと思ってしまう。


「澪、これからよろしくね」


 頷く以外の選択肢は私にはなかった。半ば強制だったが、これで私をいじめる者はいなくなる。嫌われたままであることに変わりない。それでも、いじめられることはなくなり、普通の学校生活が送れる。当たり前の生活を送れる喜び。それを感じられると思うと、不本意だが纈には感謝したい。


「――ありがとう」


 自分を暗闇のどん底から救い出してくれた。それは紛れもない真実だから。

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