第7話

 謝られた私は、訝しげな目を纈に向けた。何を考えているのか分からない。


「あなたは何もしていないでしょ」


「よく話しかけているなとは思ったけど、まさかこんなことしているとは思わなかった。監督不行届っていうのかな。私がこのグループのリーダーってことになってるし、代わりに謝らせて。迷惑かけて本当にごめんね」


「いや、その……」


 こうも正面から謝られると、怒るに怒れない。開き直って攻撃してくれた方が言い返せる。


 ――やりにくいな。


 私はポリポリと頭を搔く。鬼屋敷のように嫌ってくれて、完全な敵に回ってくれた方がまだいい。


 けれど、纈は私のことを嫌っていなかった。それどころか、私に対して謝罪の言葉を口にした。意味が分からなかった。纈の行動の意味が分からず、どうしようかと頭を悩ませていると、それまで黙っていた鬼屋敷が口を開いた。私と纈が話し始めたからだろう。鬼屋敷は諦めずに声を掛け、嫌だと纈に泣いて縋ったが、纈は聞く耳を持たなかった。


「李依、うるさい。少し黙って」


 主人から叱咤された犬のように、鬼屋敷は声を抑えて涙を流す。他のメンバーはバツが悪そうな顔をしていた。そんな彼女達のことを、纈はもう見ていなかった。


「ねぇ、ひとつ提案したいことがあるんだけど、いいかな?」


「提案……?」


 突然そんなことを言うものだから、私は変に警戒してしまう。訝しげな目を向ける私に、纈はクスリと笑った。


「そんな顔しないでよ。きっと、栗花落さんにとって悪い話じゃないからさ」


「――それって?」


「あのね……私と友達になってほしいんだ」



〝私と友達になってほしい〟


 彼女の口から出された言葉。その言葉を理解し受け取るのに、酷く時間をかけた。


 纈以外、その場にいる誰も、その言葉の意味を理解出来ていない。鬼屋敷とその取り巻きは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。きっと、私も同じような顔をしているだろう。それくらい、彼女の言葉を理解出来なかった。


「陽彩、何言ってるの?」


 鬼屋敷は困惑した表情を浮かべて訊ねる。きっと、それが正しい。嫌いな相手ではあるが、そこは同意見だ。


「私、そんなに難しいこと言ったかな?私と友達になってほしいってだけなんだけど」


 絞り出すのように質問した鬼屋敷の言葉を無視し、纈は言葉と同時にスっと左手を差し出した。その手を見て、私の表情は曇る。


「…………は? 冗談でしょ?」


 思わず口に出てしまう。それでも、纈はきょとんとするばかりだ。


「冗談? なんでそう思うの?」


「いや、普通に考えたらそうなるでしょ。どうして今更……? 第一、私と友達になってあなたに何のメリットが……?」


「今頃になっちゃったのは申し訳ないと思うよ。けど、友達になるのにメリットとかなくない?」


「そりゃあ、通常ならないだろうけど、今は状況が状況でしょ。何かあるとしか考えられない」


 それに……と私は言葉を続けた。


「鬼屋敷が私をいじめていると、今回分かったからそういう提案をしてきたんでしょ?同情なんていらないんだけど」


 私の言葉を聞くや否や、纈は小さく溜息を吐く。それから呆れた表情を浮かべて口を開いた。


「同情……確かに、この状況を考えたら、そう捉えてしまうのも無理はない。けど、申し訳ないけど、私は同情で誰かと友達になれるほど、器の大きい人間じゃない」


 纈は首を横に振る。


 ああ、きっとこれが、纈が人気である理由なのだろう。付け上がらない。誰とでも平等に接する。だから、私と友達になるなんてこと、簡単に口に出来る。


 自分が勝ち組だと理解している上で、負け組である私にこうやって、声を掛けて無意識のうちに承認欲求を満たそうとする。負け組の私と友達になるなんて、陽彩は優しいねって、周りから言われるために。


 その腐った性根が、私は気に入らない。だから、仲良くなるつもりなんて毛頭ない。


「まあ、こんなこと言ってるけど、私が栗花落んの立場にいたら、同じように納得は出来ないと思うし、同じような思考になると思う。だから、完全に理解しようとしなくていいよ」


「そんな無理して共感しなくていいよ。そんなもの求めてないし」


「別に無理していないよ」


 私の強気の言葉を聞いて尚、纈は平然としている。私は思わず溜息を零す。彼女の言葉のどれが本当なのか分からない。全て嘘に聞こえてしまう。きっと、私たちが真逆の立場にいるから。これが友達という関係だったら、疑ったりせずに喜ぶだろう。


「信じてもらえるとは思ってないけど、さっき言った通り、私は一人に対して寄って集っていじめをする人の心理が理解できないの」


 纈は小さく溜息を吐く。


「中学三年生にもなって、言葉に対して手が出てくるのは、小学生以下じゃない。そんな人と関わりたいと思う方が難しいでしょ?」


「それはまあ……確かにそうだね」


 私は纈の言葉に頷く。頷いて否定する。


「けれど、だからってわざわざ私と友達になろうとしなくてもいいでしょ。あなたは私と違って、クラスの人気者なんだから」


「クラスの人気者……私、その言葉嫌いだな」


「嫌い? あなたがそれを言うの?」


「私が言ったらおかしい?」


「おかしいというか、馬鹿にされているみたいで良い気はしない」


 嫌われ者になれば分かるだろう。纈のその言葉が、どれほど私を惨めにさせるのか。


「そんなつもりないんだけどな」


 纈はポリポリと頬を掻く。その表情が少し困っているように見えて、私は少し反省した。謝ろうか迷ったその時だった。


「栗花落さんはさ、これからどうしたいの?」


 纈のことを見ると、その目は真っ直ぐで、私は視線を逸らしたくなった。


 けれど、それを纈は許してくれなかった。


「目を逸らさないで教えて」


「教えてって言われても……」


 復讐をしたい、なんて言えるはずがない。だから、私はもうひとつの想いを口にする。


「私はただ……平穏に過ごしたい。ただそれだけだよ」


「なるほどね」


 纈は何かに納得したように頷いた。それから言った。


「なら尚更、私と友達になろうよ。きっとその方が、敵に回る人間が少なくなると思うよ」


「それはそう……かもしれないけど」


 纈の意見が正しいことは理解している。その方が、今までよりは安全だろう。


 けれど、理解は出来ても納得は出来ない。


 だから――


「一つ聞きたい。どうして私と友達になりたいと思ったの」


「――どうして? そんなの決まっているじゃない。栗花落さんの事が気に入ったからだよ」


「……は?」


「せっかくクラスメイトになれたんだから、仲良くしたいじゃない?」


「いや、別に――」


 纈の言葉を否定したからだろう。鬼屋敷が私を罵倒しようと口を開きかけた。


 けれど、纈が冷ややかな目を向けたことで、その口は閉じられた。先程主人に怒られたばかりだということを思い出したようだ。


 纈は私の方を向き直ると、にこりと笑みを浮かべた。私はそれが気に食わなかった。今まで干渉してこなかったくせに、自分のグループのメンバーがいじめをしていると知った途端にこの態度。誰とでも仲良くなれる纈陽彩を演じている。その腐った性根が気に食わない。


 クラスの人気者というのは、自由に動いて自由に発言することが可能らしい。私は何もしていなくてもいじめられるというのに、良いご身分だな。


 自分と同じように過ごしているはずなのに、どうしてこんなにも違うのだろう。嫉妬心という醜い感情が私を支配する。


 こんな面白い道具を見つけたみたいな反応をされて、よろしくと頷けるはずがない。今迄の私なら、絶対に頷かない。


 けれど、その手を取っても取らなくても、破滅にしか向かわないのなら、取ってみる価値はあると思った。もうこれ以上の地獄に落ちることはないと思うから。


 だから――


「私と友達になること……後悔しないでよ」


「そんなものしないから大丈夫だよ」


 纈がもう一度、その手を私に差し出した。私はゆっくりと纈の手を取る。纈は嬉しそうに笑った。


 この日から、私たちは友達になった。

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