第9話

 クラスの人気者である纈陽彩と、いじめのターゲットとされていた栗花落澪が友達になった。その情報はすぐに他クラスに広まり、少しの混乱を招いた。初めこそ誰も信じていなかった。それでも纈の栗花落に対する態度を見て、それが真実だと誰もが理解した。


 困惑する同級生たちを他所に、纈と友達になった私の世界は、明るいものに変わっていた。真っ暗な世界が、色鮮やかな世界へと変化した。


 予想以上の変化に驚きを隠せない。そんな私を他所に、纈は自分の知らないこと、経験したことがないことを沢山教えてくれた。


 友達とプリクラを撮ることも、カフェに入って駄弁ることも、食べ歩きをすることは勿論そうだし、学校内でも移動教室や学食、トイレなどでの移動も常に隣に友達がいる。皆が当たり前にしていることを、中学三年生になって初めて経験した。


「ねぇ、そういえばさ……澪は私のこと名前で呼んでくれないよね。タメで話すことにも慣れてなさそうだし……どうして?」


 ああ……この会話……海凪さんといる時にもしたなぁ。同級生と話すのに敬語はおかしいと思い、ためで話すように心掛けている。彼女が友達になってくれたから。だけど、やっぱり名前で呼ぶのは慣れない。


「名前で呼んで……嫌わない?」


「……? 名前で呼ばれて嫌う理由ってあるの?」


 素で答えていることが、表情で分かる。友達を名前で呼ぶ。それは本来であれば当たり前のこと。それでも、その当たり前が私には出来なかった。また嫌われるのではないか。嫌われて心にもないことを言われて、傷付けられるのではないか。そんなマイナスなことを考えてしまったから。


 これで嫌われたら、本当に壊れてしまうだろう。けれど…… それでも、この子なら大丈夫だと思いたかった。地獄のどん底にいた私に、手を差し伸べてくれた人だから。


「理由は……ごめん、話せない。それでも……そうだね。私だけ名前で呼ばないのは違和感がある……から、名前で呼ぶね」


「……! 本当? 嬉しいな」


 表情を緩める纈を見て、私の選択は間違いじゃなかったと思えた。


「陽彩……って呼べばいいかな?」


「うん。そう呼んでくれると嬉しいな」


 言葉通り心底嬉しそうな顔をするものだから、気恥ずかしくなってしまう。


 けれど、それをきっかけに、私たちはお互いを名前で呼び合うようになった。


 友達が沢山いる陽彩は、沢山のことを私に教えてくれた。普通の友達がするようなことを沢山した。ずっと、ずっと一緒だった。友達になったその日から卒業までの間ずっと。


 陽彩と友達になる前は、高校一年生になるまで……復讐するその瞬間までの時間がとても長く感じた。それでも、陽彩と友達になってからはあっという間だった。気付いたら卒業式を迎えていた。


 卒業式の後も、プリクラを撮ってショッピングモールに行って買い物をしてお茶をして。最高の日となった。


 家に帰った私がとても嬉しそうにしているものだから、あの日以降不仲であった母も、その日は普通に接してくれた。


 卒業式は終わった。それでも、高校生になるまでの間に宿題というものが出ていた。どうして卒業して尚、こんなものをやらなくてはならないのかと思ったけれど、陽彩と会う約束が出来たから、少しだけ感謝した。


 後は……


 私は徐に電話をかける。その相手は直ぐに出た。


「もしもし、栗花落です」


『おや、澪ちゃん?』


 相手は海凪さん。復讐の手伝いをしてくれることになったけれど、彼の仕事が忙しすぎることが理由で、中々会うことが出来ずにいた。


 だから、高校生になる前に、話を詰めておきたかった。


「あの……突然なんですけど、前お話した喫茶店で会えたりしませんか?」


『うん? 構わないよ。いつ頃がいいかい?』


「海凪さんの都合が良い日で大丈夫なんですけど……始業式が始まる前にお話したいなって……」


『そうだね。そしたら……明日のお昼とかはどうだい?』


「あ、大丈夫です」


『ありがとう。そしたら、明日のお昼に前一緒に行った喫茶店で会おう』


「分かりました。ありがとうございます」


『いや、こちらこそありがとう。それじゃあ、また明日』


 少し間があってから電話は切れた。やはり仕事が忙しいようだった。申し訳ないという気持ちが私を支配する。彼は優しいから、きっと私を責めない。何も言われていないのに、ネガティブになってしまう。


「ああ……やっぱり私が嫌いだ」


 陽彩と友達になって、少しは変わったと思ったけれど、何ひとつとして変わっていない。人はそう簡単に変えられない。難しいなぁ……と、私は小さく溜息を吐く。


 その日、私は宿題を目の前にしながらも、一問も解かずに終わった。


 次の日、約束通り海凪さんと前に話した喫茶店で進捗を報告した。私の話を聞いた海凪さんは「良かったね」とともに喜んでくれた。それが何よりも嬉しくて、笑みを零す。


「中々会えなくてごめんね。例の件のことだよね?」


「……はい。任せっきりで申し訳ないんですけど、早めに知っておきたくて……」


「そうだよね。準備はほとんど終わっているよ。クラス編成は細工済み。後はタイミングを見て復讐かなって思ってるけど……再度確認してもいい? 纈さんと仲良くなった今でも、復讐したいと思うかい?」


「もちろん。そのためだけにここまで生きてきた。今更やめるなんて選択肢はないよ」


 彼の言葉に私は頷く。陽彩と友達になった。だからと言って、私が受けた心の傷が完全に癒えるわけじゃない。私がいじめを受けている間に覚えた感情が消えるわけじゃない。


「――分かったよ。そうしたら、四月の中旬には復讐が出来るように、舞台を整えておくよ」


「ごめんなさい。助かります」


「構わないよ。澪ちゃんは今の友人との時間を大切にして」


「……そうします」


 彼は優しい。復讐という、本来ならば認められないことを手伝ってくれる上に、私のことをここまで気遣ってくれるのだから。


 ――ああ、好きだな。


 そんなことを思いながら、海凪さんと楽しい時間を過ごした。

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