第10話

 四月八日。


 顔見知りが多い中での入学式は、ただただ退屈なものだった。


 クラスは海凪さんが話していた通り、私をいじめて喜んでいた人たちが集まった。頭の中に何も詰まっていないお猿さんたちは、その状況に違和感を覚えず、寧ろ笑っていた。


 笑いたいのは私の方だった。これからこいつらにとって、地獄が始まる。そして私にとって、最高の瞬間が来るのだから。


 海凪さんの優しさなのか、クラスメイトに陽彩がいた。私をいじめて喜んでいた人たちは、何かを企んでいるような顔をしていたが、陽彩がそれを許さなかった。


「澪、同じクラスになれたね。これからもよろしくね」


「うん。こちらこそよろしくね、陽彩」


 入学式そっちのけで、私たちは笑い合う。早々に担任から怒られたけれど、それはそれで良い思い出だ。


 舞台が整うまでの間、海凪さんの言うように陽彩と過ごす時を大切にしたい。


 復讐の時、陽彩には眠っていてもらおう。そうすれば、残酷な光景を見なくて済む。


 だから、それまでのほんの少し間だけ、一緒にいさせてほしい。そう思いながら高校一年生になった。それなのに――


 友達になったあの日から、ずっと一緒にいたから忘れていた。彼女にも、私以外の友人がいる。


 高校生になって数日後、授業が終わり、帰りの会も終え、いつものように陽彩と一緒に帰ろうと階段を降りている時だった。


 別のクラスにいる陽彩の友達が、陽彩に話しかける。陽彩は困惑した表情を友達に向け、申し訳ない顔を私に向けた。


「友達……なんでしょ? 私に気にせずに話してていいよ」


 気にしていない素振りを見せる私に、陽彩は少しホッとした表情を見せた。陽彩は私の言葉通り、その子と談笑を始めた。


 自分でその状況を作ったというのに、自分以外の人間と楽しそうに話す陽彩のことを見ていたくなかった。私はわざとらしく視線を逸らしてその場を後にした。


 嫌な感情が自分の中で流れるのが分かる。そのことに気付かないふりをしようとしても、抑えを知らない子どもで、いじめられていた子どもだ。自ら最悪な方向に事態を進めてしまう。


 その日は結局、一人で帰った。ドロっとした何かが私を支配する。家に着き部屋の中で一人になった瞬間、私のことを見えない悪魔が支配した。


 どうして……どうしてどうしてどうして……


「陽彩は私だけのものなのに」


 無意識だった。意識せずにその気持ちを口に出していた。私は自分が恐ろしくなって、思わず口元に手を当てた。


 陽彩があの時友達になろうと言ってくれなければ、今の関係は存在しなかった。それなのに、私は一体何を――


 友達がいてもいなくても、結局劣等感に苛まれる。自分は醜い人間なんだと、結局突き付けられる。


「もう……嫌だ」


 ぽたぽたと何かが落ちる。


 それは私の瞳から出ており、止まることを知らない雨のようだった。


「おかしいな……」


 部屋の中にいるはずなのに、その雨が止む気配を見せない。


「友達がいるのに、どうしてこんなにも苦しいんだろう……」


 友達とは何かを知ったのと同時に、友達がいる時の苦しさも知ることになった。いてもいなくても変わらないのなら、一人の方がいいではないか。


 そう思う。それでも、陽彩が隣にいてくれるから、いじめは収まり、普通と言われる学校生活を送れている。自ら破滅の道を進む必要は無い。ない、のだろう。


 けれど、陽彩が誰かと話をする度にこの感情を抱き、抱え込まなければならないのなら、早めに終わらせた方が――



「ごめん、もう隣にはいられない」



 一人で帰った翌日、私と陽彩は学校の屋上にいた。普段は鍵がかかっている屋上も、職員室から鍵をくすねて開けた。気付かれるのも時間の問題。それでも、二人きりで落ち着いて話せる場所がそこ以外に思いつかなくて、少し無理をした。


 苦労して手に入れた鍵で入った屋上。そこに呼び出したのは私ではなく陽彩だった。昨日の今日で少し嫌な予感がした。そして、その嫌な予感は当たった。


 残酷な言葉。その言葉を放ったのは陽彩で、言われたのは私だった。何を言われたのか、直ぐに理解することが出来なかった。きっと私が不出来な人間だからだ。そうに違いない。そうでなければ、陽彩が私の隣にいられないなんて言うはずが――


「ごめんね、澪。私はもう……あなたと友達を辞める」


 そんな残酷なこと、言うはずがない。だって、だってだってだって……! だって陽彩は私の隣でずっと――


「これからはただのクラスメイトとして接する。もう前みたいに話すことは無いと思う。短い間だったけど、楽しかったよ。それじゃあ、これからはただのクラスメイトとしてよろしくね」


 陽彩は淡々と言葉を重ねた。私に反論することを許さなかった。自分の言いたいことを言うだけ言って、屋上から去っていった。私は追いかけなかった。追いかけられなかった。


 陽彩の背中が遠ざかっていくのが分かる。手を伸ばしてももう届かない。どんどん遠ざかって、やがて見えなくなった。


「どう……して?」


 やっと言葉を声に出せた時には、陽彩はいなくて。私が一人、ぽつんとそこに立っていた。


 まだ太陽が昇っていて眩しいはずだ。外はまだ明るい時間帯。それなのに……私の目の前は真っ暗で、深い闇の底へと落とされたようだった。


 ――友達になりたいって言われた。だからなった。名前で呼んでって言ってくれて、名前で呼んでくれて。知らない場所へ沢山連れて行ってくれて。美味しいものを沢山食べて……それで……それで……


「私はあなたにとって、ただの暇潰しの道具だったの?」


 それを理解した時、真っ暗だった視界が元に戻る。それでも、昇っていると思った太陽は雲に隠れ、晴れているどころか雨が降っていた。


「私の悲しみを表現してるみたいだ」


 そう思うと失笑するしかなかった。私は再び絶望のどん底に突き落とされた。

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