第30話

 どんな理由があったとしても、自分の子供を捨てていい理由にはならない。子供は親のエゴで産まれてくるわけじゃない。親の都合で捨てるなんて、許されていいはずがない。


 僕のせいで妹は捨てられた。彼はそう言うけれど、私は違うと思った。人様の両親に偏見を持つことはいけないことだと思う。それでも、話を聞いた通りの母親なら、海凪さんがいなかったとしても、最終的には同じ結末を迎えていたと思う。


 きっといつか、母親の都合で妹さんは棄てられていた。そんな気がする。


「全部……そうなんだ。僕がいなければ妹が殴られることも、棄てられることもなかった。他の誰でもない。全部……全部僕が悪いんだ」


「それは違うでしょ」


「僕も違うって、思いたかったんだけどね」


 小さく苦笑した海凪さんの表情がどこか悲しそうで、私は何も言えなくなる。


 そんなことない。全てが海凪さんのせいだなんて、そんな理不尽なこと――


「棄てられた後、僕は暫く動くことが出来なかった。思考が追いつかなくて、現実を受け止めきれなかった」


 自分の母親から産まなければ良かった、なんて残酷な言葉を言われたら……そう考えると胸が締め付けられた。


「実の母親の口から、そんな言葉聞きたくなかった。信じたくなくて、全部夢であってほしいと強く願った。けれど、外は寒いしお腹は減る。それが現実だと突きつけられて、僕は幼いながらに絶望した」


 そりゃあ、そうだ。


 自分の親にそんなことを言われて、飄々としていられるはずがない。感情が残っている子どもなら、絶望して当然だ。


「その後は……正直に言ってあまり覚えていない。ただ、泣き噦る妹を背負って、ひたすらに歩いたことだけは覚えてる」


「そっか……」


「助けてくれる人を捜した。地獄から救い出してくれる人に……」


 聞いてもいいのかな……けど、今の海凪さんを見るに、出逢えたような気がする。


「その救い出してくれる人に……後々出会えたの?」


「そうだね。のことを拾ってくれた人はいたよ。その人が拾ってくれたから、今の僕がある」


 その言葉を聞いて、良かったと思う反面、違和感を覚えた。今までと言っていたのに、どうして突然……


「ね、ねぇ……その後、妹さんはどうなったの……?」


「妹は……僕が拾われる前に亡くなったよ」


 ドクン、と心臓が鳴った。

 話の中に妹さんがいなくなったから、まさかとは思ったけれど、嫌な予想ほど当たってしまう。


「ごめんなさい」


「別に謝ることじゃないよ。澪ちゃんは関係ないんだし。まあ、簡単に言ってしまえば餓死だった。当時の僕は、それに気付かないふりをした。ただ寝ているだけだと。僕のせいで妹が死んだって、思いたくなかったんだ」


 そう……だよな。十歳の子どもが背負い込むには、あまりにも重すぎる。


「もう息をしていない妹を背負って、僕は見知らぬ地を彷徨い続けた」


 ――ああ、この人はどれだけ辛いことを乗り越えてきたのだろう。自分のことを棄てた両親を恨んでいいはずなのに……妹さんが亡くなったことを、両親のせいにしていいはずなのに……この人は全て自分の責任だと思って生きている。


 きっと、私に手を差し伸べてくれた原点は、ここにある。自分が辛い思いをしたから、だから今度は自分が手を差し伸べる。きっと、彼の中で自然とそれが確立された。自分のせいで誰かが死ぬのはもう嫌だと、思っているから。


 これは全て私の憶測にすぎないけれど、もしそうだったとしたら、海凪さんは優しい殺し屋さんだ。


「僕の足が限界を迎えた時、一人の男が声を掛けてきた」


 助かりたかったら、俺と一緒に来いとその男は言ったそうだ。けれど、海凪さんは断ったらしい。妹を死なせてしまったことを、引け目に感じていたからだと。これは……自分に対する罰なのだと。


 助けを求めていたけれど、自分にはそれをされる資格はないと。


 だが、男は初めから海凪さんを助けるつもりだった。海凪さんの体を持ち上げ、車に乗せた。


 けれど、車に対して恐怖感が残っていた海凪さんは、無理やり身体を動かして飛び出したらしい。事情を察した男の人は、抱えて家まで連れ帰ってくれたと。


「まあ、その時僕は意識を手放してしまって、本当かは分からないけどね」


 少し困った表情で笑う。


「その男の人は、僕と一緒に妹を埋葬してくれた。後悔しかないけれど、妹がこれでゆっくり休めると思うと、ほっとした自分がいた。悪い兄だよね。妹は僕のせいでこの世を去ることになったのに、ほっとしてしまっているんだから」


「それは……妹さんを想ってのことでしょ。それに、何度でも伝えるけどそれは海凪さんのせいじゃない。妹さんも、そんな風に自分を責めないでほしいって、きっと思ってるよ」


「そうかな」


「うん。少なくとも、私が妹さんの立場なら、そんなに責任を感じないでほしいって思う。今の話を聞いただけで、海凪さんが妹さんを大切にしていたことは……痛いほど伝わったから」


「澪ちゃんは優しいね……けど、そっか……そうだといいな」


 海凪さんの頬に涙が零れる。きっと、それが答えだ。


「ありがとう。少し救われたよ」


「そっか。それなら良かった」


 人にはそれぞれの人生があって、親に愛されて育てられた人もいれば、そうでない人もいる。けど、そうでなかったとしても、その後にちゃんと育ててくれた人がいたならば、何か違うだろう。


 海凪さんは育ててくれる人がいた。だから、今の彼はこうやって優しい。


「――ずっと、自信なんて持てなかった」


「…………」


「自分のせいで妹は亡くなって、殺し屋として育てられて。僕も自分自身には持てない。今だにね」


「なら、どうしてそんなに――」


「今の僕には殺しの技術しかない。ならそれを極めていっそのこと自信に繋げてしまえばいい。そう開き直ったから」


「開き直る……」


「うん。澪ちゃんは将来の夢とかあるかい?」


「あるよ……」


 私は頷いた。あまり言いたくない。これを行った時、お前には無理だと言われ笑われた過去がある。だからもう言わないと決めていた。だけど――


「私ね……小説家になりたいの」


「小説家……」


 海凪さんがその言葉を繰り返した。ビクン、と肩が震える。笑われたら嫌だ……もう、あんな思いはしたくない……


「へぇ、凄いね」


 予想に反して海凪さんはそれを褒めた。


「僕には出来ないことだし、それになるためには相当な時間が必要なはずでしょ。目指そうと思えるのは凄いことだよ」


「そうかな」


「うん、そうだと思うよ。澪ちゃんは僕ができないことをしようとしている。それだけで、自信を持っていいんだよ」


「けど、私には無理だって言われた……」


「人の夢を応援出来ない人達のことなんか、気にしなくていいよ。それに――この後死んじゃうんだから」


 そうだ……この後、復讐をする。私をバカにした人たちはもうすぐ……消える。


「ふふっ。少し楽しみにしてる私がいるよ」


「最高の復讐にしよう」


 私たちはもう一度その瞬間を夢見て笑った。

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