第23話

 保健室に入り、海凪さんが事情を説明した。保健室の先生である御船先生は、纈の体に出来ている傷を見て、目を見開いた。


 けれど、すぐに処置が行われた。

 手当が行われている間、纈は何も言わなかった。痛みに声を上げることもなく。


 処置を終えたあと、御船先生は職員室に電話を掛けた。


 けれど、担任は職員室に戻っていなかった。何をしているんだ、と御船先生はイライラしていた。待っているだけ時間の無駄だと思ったのだろう。


「もういいわ。私が親御さんに連絡する。纈さん、御両親の電話番号を教えてくれる?」


「……多分まだ家にいると思うので、家の番号教えます」


 纈は躊躇することなく、家の電話番号を伝えた。親に電話がいく。それを考えると、少しくらい躊躇するものではないだろうか。少なくとも、私ならば躊躇する。栗花落澪として生きていた時でも。


 けれど、すぐに分かった。何故、纈が躊躇せずに電話番号を教えたのか。


「――あ、もしもし。私××高等学校で教師をしている御船という者ですが、お嬢さんのことでお話したいことが……」


『いつも娘がお世話になっています。それで、話というのは?』


「はい。大変お話しにくいことなのですが、本日お嬢様の制服が何者かに切り裂かれました。それと、お嬢様の身体に無数の切り傷が……」


『ああ……』


 纈の母親だろう。女の人の声が聞こえていたが、その声は素っ気ないものに聞こえた。


『友達と遊んでいて転んだか何かしたんでしょ』


 心配をするどころか、煩わしいと伝えたげな言い方に、御船先生の表情が固まる。御船先生が何も言えなくなっていることをいいことに、纈の母親は次早に伝える。


『気にするだけ無駄なんで放置しといてください。それじゃ』


 ブツンと電話が切れた。御船先生は呆然とした表情で受話器を見つめていた。


 ツーツーツーと音が聞こえる。


 ――ああ、なるほど。


 両親に電話をしたところで何も変わらないと分かっていたから、だから簡単に教えたのか。


「――纈さん、あなたの……」


「母はいつもあんな感じです」


 御船先生の言葉を遮り、纈は呟く。その表情は理解してもらうことを諦めた、過去の私のような表情をしていた。


「教室……戻ります」


「ダメよ。今日は保健室にいなさい」


「いや、私は別に大丈夫……」


「僕が担任の先生に話しておくよ。だから今日はここにいて。あの様子だと、家に帰るのは難しそうだから。制服も予備を貸す……だから、今日はここで休んでいて。いいね?」


 御船先生と海凪さんの後押しで、纈は保健室にいることを選んだ。まあ、この状況で教室に戻るとは言えないだろう。言えたらかなり勇気のある人で、かなりのわからず屋だ。


「それじゃあ、もう大丈夫そうみたいなので、私は先に教室に戻りますね。海凪先生、また後で」


「うん。一緒に来てくれてありがとう。気をつけて戻ってね」


 私は小さくお辞儀し、保健室を出ようとした。その時――


「……浅葱さん、後で話したいことがあるんだけど、お時間いいかな……? 明日でも構わないんだけど」


「…………別に構わないよ。そしたら今日の放課後、人がいない場所見つけて話そう」


「うん、ありがとう」


「……それじゃあ、また」


 私は今度こそ、保健室を後にした。渡り廊下を抜け、階段を一段登った後、私は立ち止まる。


「はぁぁぁぁぁ……」


 それから深い溜息が零れた。


 ――どうして……どうして彼女は、私が栗花落澪だと気付いたのだろう。誰も変装に気付かなかったというのに。少しの間、一緒にいたからと言って、分かるものなのだろうか。


「これからどうしようかな」


 纈が気付いている。そのことを思うと、かなり億劫に感じる。きっと、保健室で纈は海凪さんに話すだろう。私と友達をやめた理由を。本当ならば、盗み聞きでもしようかと思ったけれど、そんな危険な橋を渡りたくはなかった。


 海凪さんなら私に後で教えてくれる。そう思っていたけれど、纈の口から聞けそうな予感がする。


「はぁぁぁぁ」


 二度目の溜息が零れた。予想外のことが起きて、頭が痛い。私は考えることを一旦やめた。考えて油断して、他の生徒にまで変装がバレるのだけは避けたかったから。私は少しだけ気を引き締めた後、少し気まずい教室に戻った。


 教室に戻ると、クラスメイトが一斉にこちらを見た。ごくん、と小さく唾を飲み込む。注目されるのは……苦手だ。いい意味でも悪い意味でも。


「紫苑ちゃん……!」


 私の名前を呼びながら、駆け寄ってくる人がいた。紫苑ちゃん……? その呼び方に寒気がしたが、そこに触れることはしなかった。


「鬼屋敷さん……」


「保健室……行ってきたんだよね? どうだった……?」


「纈さんのこと、だよね?親御さんに連絡したんだけど、繋がらないから今はまだ保健室で待機するみたいだよ」


「そうなんだ……」


 私は敢えて嘘をついた。きっと、親と連絡が取れていると言ったら、色々と質問を重ねてくるだろうから。


「じゃあ、その……制服については何か言ってた……?」


「ああ……校長に制服の件は話して教育委員会に報告するって言ってたね。多分、その後は親が警察に被害届を提出すると思う。制服は弁償してもらわないといけないし、弁護士雇って犯人探しが始まるんじゃない? 知らないけど」


 制服の件について、電話越しで聞いたあの様子だと、そこまですることは見込めない。それでも、少しくらい脅してもいいでしょ。そうしないとこの人たちは懲りないだろうから。まあ、そもそも学校側がいじめについて全面協力するはずがないんだけど。焦った彼女たちはその事に気付かないだろう。


「えっ、警察沙汰になるの……!?」


 ほら、気付かない。


 私の言葉は鬼屋敷だけでなく、他の生徒も狼狽の声を上げた。それに対し私は冷静だった。


「普通に考えたらそうなるでしょ。――ああ、腕の傷もバレてるから、大事になることは確定だと思うよ」


「纈がバラしたの?」


 鬼屋敷がとても鋭い目を向けてきた。数秒前まで狼狽の声を上げていたのはどこにいったのか。


「いや、話してないよ。話すつもりはなかったんじゃないかな。海凪先生が気付いて訊ねたけど、何も言わなかった。いじめられていることについても……ね。だから、これ以上彼女に傷をつけるのはやめた方がいいよ。今後のためにも」


「どういうこと……?」


「そのままの意味だよ。彼女をこの先もいじめながら卒業したとして、きっとあなたたちはそのまま大人になっていく。大切な人ができて結婚して子どもが出来て、幸せな家庭を築くだろう」


 クラスメイトは何も言わない。黙って私の言葉を聞いている。


「そんな幸せの最中、もし彼女が今行われているいじめの件を告発したら? 首謀者から関わった人、全ての人物の住所を特定して御相手に伝えたら? 見える未来は破滅しかない。そう思わない?」


「そ、れは――」


「そういえば、一つ聞きたいことがあったんだけど、聞いてもいい?」


 私は敢えて鬼屋敷のことを見た。鬼屋敷も、自分に問われていると認識した。


「うん、いいけど……」


「ありがとう。それじゃあ、聞くけど、どうして彼女だったの……?」

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