第22話

 もう話していたくなくて、私は口を閉じる。そんな私の様子を見て、纈は悲しそうに笑った。沈黙する時間が長くなると思ったけれど、予想以上に早く保健室に着いた。


「そういえば、ここに入る前にあなたに聞きたいことがあるんだけど」


「おや? 浅葱さんと話していたいんじゃないのかい?」


「それはそう……だけど、私と話したくなさそうだし、あなたのことを完全に無視することはもう出来ないでしょ」


「そうかい。それで、聞きたいことって?」


 天邪鬼だなぁ……と私は思う。


「一緒に保健室に行く相手……どうして澪を選んだの?」


「――何となく、と言いたいところだけど、浅葱さんだけがあなたのことを心配していたから……かな」


「…………えっ」


 纈が私のことを見る。私は視線を逸らす。今だけ海凪さんを恨んだ。あれは心配じゃない。ただ、驚いただけ。それだけなのに。


 これでは、纈が変な勘違いを――


「それは多分違うよ」


 纈が海凪さんの言葉を否定した。


「どうしてそう思うの?」


「きっと、驚いただけだよ。澪が知っている私は、クラスの中心にいてそんなことをされるようには見えなかっただろうから」


「自分で言っちゃうんだ」


「だって事実だからね」


「随分と自信家なんだね?」


「自信家……」


 纈はぽそりと呟く。それから、天井を見つめる。


「私は自信家というより、臆病なだけだよ」


「臆病な人は、クラスの中心にはいられないと思うけれど?」


「そうだね。だから……自分を偽ってそう見せてたんだよ。本当の私はネガティブなことばかり考えてる。けど、嫌われたくない。一人になりたくないって思ったら、もう一人の自分を作ることが出来た」


「そのもう一人の君が、栗花落さんと仲良くしていた時の君ということ?」


「そうだよ。でも、もう自分を偽っても意味が無くなったから、素の私でいることにしたけどね」


 纈は苦笑した。私は笑えなかった。偽られていたこともそうだし、自分の知っている纈はもうどこにもいないと知って、私は酷くショックを受けた。


 許すことは出来ない。出来ないけれど、この纈に復讐をする意味が、果たしてあるのだろうか。


 私の中で迷いが生じていた。


「とりあえず、中に入ろう。その傷の手当をしなきゃいけない。その後、洋服を貸すから着替えて。その間に親御さんに連絡するから」


「いや、別に大した傷じゃ……」


「傷の大きさの有無は関係ないよ。保健室に連れてきた主な理由はそれだし」


「それじゃあ、初めから……?」


「そうだね」


「それじゃあ、主じゃない理由は?」


 纈の質問に、海凪さんは少し真剣な面持ちを見せた。それから徐に口を開く。


「君たちにどんな事情があるとしても、いじめを見過ごすことは出来なかったから」


「あなたって、随分お人好しなんだね?」


「僕はいじめというものが嫌いなんだ。被害者が加害者の前でボロボロのままでいるだなんて、耐えられなかった」


「それが……前にいじめをしていた加害者だとしても?」


「そこに関しては、僕からは何も言えないよ。被害者である栗花落さんが許すかどうか……じゃない? もう亡くなってしまったけれど」


「――ねぇ、澪。私がいじめをしていたことは許されることではない。許してくれなくていい。私は罪を償わなければならないから。だけど、今だけは……許してくれないかな」


 纈は私に頭を下げた。どうして……どうして今になってこいつは……


「――私は浅葱紫苑だ。その名前で二度と呼んでこないで」


 私はそれを拒絶した。頭が痛かった。今更反省したような態度を取られても困る。そんなことをされても、私が味わった苦しみが消えるわけじゃない。


「あなたはいじめの加害者なんでしょ。何で良い人ぶってるのか分からないけれど、私には関係ないから、聞いてこないで」


「じゃあ、浅葱さんとしての意見を聞かせて」


「…………」


「栗花落澪としてじゃなく、浅葱紫苑として、どう思うのか聞かせてほしい」


 纈は下げていた頭を上げ、真っ直ぐに私の目を見た。どうして……どうしてそんな目で私のことを見てくるの……目を逸らすことが出来ない……


「――私が栗花落さんの立場だったら、勝手に償ってろって思うし、その今だけですら許すことはできないと思う」


「そっか……」


「でも――」


 許せない……許すことなんて出来ない。だけど、纈は私の初めての友達だから……


「少しだけ……可哀想だと思うから、手当……受けてくればいいんじゃない」


「……! ごめんね、ありがとう


「良かったね。浅葱さんが優しい子で」


「そうだね……けど、あなたも優しいと思うけれど?」


「僕は当たり前のことをしただけだよ」


「その当たり前が出来るのが優しいって言ってるんだよ」


 保健室の前で長話していて、入った時に怒られないだろうか。


「これで優しいと思われるということは、この学校の教師は、生徒に寄り添わない酷い大人が集まっているんだね」


 小馬鹿にしたように失笑する彼に、彼女は否定することなく、寧ろ首を縦に振って同意した。


「この学校に集まる人たちは自分勝手な人ばかりだ。教師はもちろん、私たちも。誰かを傷つけないと生きていけない。周りに嫌われないように、必死になって平気で人を傷付ける、弱虫の集まりさ」


「それが彼女の死から学んだことかい?」


「……そうだね、この考えになったのは、彼女の死が原因だね」


「そうかい。確かに君は加害者だ。それでも少なくとも、今そう思えているなら、君は他の人たちより成長したんじゃないかなって、僕は思うよ。栗花落さんからしたら、たまったもんじゃないだろうけど」


「――そうかな。彼女を死に追い込んでおいて、図々しいって思うけどね」


 纈は失笑した。その表情がどこか悲しそうで、私の胸の奥がチクリとした。


「……?」


 私は不思議に思ったが、それに気付かないふりをした。それに気付いてしまったら、復讐することが出来なくなってしまう。そう思ったから。


「立ち話しすぎたね。そろそろ入ろうか」


 海凪さんが話を切りあげ、ドアに手をかけようとしたその時――


「いつまで保健室の前で話してんだい」


 おばちゃんが出てきた。

 ああ、ほら……やっぱりダメだった。


「具合が悪くて寝ている生徒がいるんだ。話すなら他所で話してくれないかい」


「ああ、すみません。僕たちも保健室に用がありまして。うるさくしてしまってすみません」


 海凪さんはすぐに頭を下げて謝った後、困った表情を浮かべながら小さく笑う。


「しょ、しょうがないわね。次から気を付けるのよ」


 海凪さんの姿を確認したおばちゃんは、驚くほどに乙女になった。


 海凪さん……恐るべし。


 私たちは海凪さんのおかげでお咎めなしで保健室に入った。

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