第32話

 ――三日後、遂にその日が来た。


 昨日の夜眠れたかと聞かれたら、眠れなかったと答えるだろう。遠足が楽しみで眠れなかった子どもみたいだ。そんな私は、全ての準備を終え、玄関にいた。


「それじゃあ、先に行ってるね」


「うん。また後でね」


 私はドアノブに手をかける。それでも、中々開けることが出来ない。緊張で手が震える。もう一歩を踏み出すことが出来ない。そんな私を見て、彼が名前を呼ぶ。


「――澪ちゃん」


「海凪さん、私……」


「大丈夫だよ。きっと上手くいく。少しアクシデントはあったけど、ここまで上手くいったんだ。最後もきっと……大丈夫だよ」


 私が不安になっていることを察して、優しい言葉をくれる。その言葉だけで少し胸が軽くなる。


「それに……復讐の時には僕もいる。だから、安心してほしいな」


 本当に不思議だ。彼に言われると、本当に全部大丈夫だと思える。


「うん……もう平気。ごめんね海凪さん。ありがとう」


「行きは別々だけど、帰りは一緒だからね」


「うん、分かった。それじゃあ、また学校で」


「うん。気をつけてね」


 海凪さんに見送られて、私は家を出た。この後の海凪さんの大変な作業のことを考えたら、一分一秒と時間が惜しいのに、本当に私は――


「ごめんね海凪さん。ありがとう」


 謝罪と感謝の言葉を口にして、私は学校へ向かった。


 一週間ぶりに登校すると、教室内は少し異様と言える空気を纏っていた。教室内には既に鬼屋敷がいたが、私と目を合わせようとしない。例の件が原因なのだろうが……やはり面倒くさい。


 私は心の中で溜息を吐き、席に着いた。まだ私の席があったことが、唯一の救いだ。あの頃とは……栗花落澪の時とは違う。


 大丈夫……大丈夫だ。

 私は自分に言い聞かせる。


 席に着いて一息ついた時、声を掛けてきた生徒がいた。鬼屋敷ではない。この人は――


「おはよう、浅葱さん」


「――柊さん、おはよう」


 友達が多い人からしたら、これは普通の挨拶だろう。けれど、ここは違う。嫌われ者、弾かれ者からしたら、この挨拶はただの地獄の始まりでしかない。


「ねぇ、浅葱さん。来て早々で申し訳ないんだけど、聞いてもいい?」


「うん、構わないけど……」


「あのさ、李依に何かしたの?」


「えっ……李依って鬼屋敷さんのこと?」


 柊は頷く。心当たりがないわけではない。けれど、私が何かしたかというと、それは違う気がする。


「なんか凄い怒っててさ。浅葱さんのことを省こうってメッセージが届いたから……」


 その言葉を聞いて、少し口角が上がる。


「へぇ? 柊さんって鬼屋敷さんと連絡取り合ってるんだ?」


「クラスメイトなんだから普通でしょ」


「じゃあ、生前の栗花落さんや纈さんとも取ってたの?」


「何が言いたいの……」


 不思議に思い、思わず口にしてしまう。


「だって……このクラスのいじめのターゲット、今は纈さんになってるけど、元々柊さんの名前が上がってたんでしょ? それなのによく連絡取れるなと思って」


「えっ……」


 柊が目を見開く。おや、この反応は――


「え、まさか知らなかったの?」


「知らない……知るはずがない。え、一体いつ――」


「さあ? 聞いた話だと、纈さんがいじめられる前日にそんな話をしていたそうだよ」


「誰が……」


「――鬼屋敷さんとその取り巻きが」


 私の言葉に、クラスメイトはザワつく。一斉に鬼屋敷のことを見る。鬼屋敷は私のことを睨みつけていたが、私はそれを無視した。


「それで? 話は終わり?」


 私の返事を聞かずに、柊は鬼屋敷の元へ向かった。友情? そんなもの、一瞬で壊れる。時間の無駄でしかないんだよ。


 勝手に口論し始めた二人を見て、私は思うのだ。


 ――バカみたい。


 どうして不思議に思わないんだろう。転校してきたとされる人間の方が詳しいということに。こんな、自分のことしか考えられない人たちにいじめられていたと思うと、悲しくなる。


 ――今頃、海凪さんはこいつらの両親を誘拐することに勤しんでいるのだろう。


「あーあ、早くお昼にならないかなぁ」


 海凪さんの苦労を思いながらも、そんな気持ちが前に出る。私はこれから起こることに胸を膨らませながら小説を取り出した。


 ――あっという間に授業が終わり、お昼休みとなった。高校生の私たちは、学食に行くことは少ない。大抵お弁当かコンビニだ。私は海凪さんに作ってもらったお弁当だ。


 海凪さんは何でも出来る。そして優しいから文句も言わずに作ってくれる。だからつい甘えてしまう。家に帰ったら教えてもらおう。そんなことを思いながら、手を合わせる。


「いただきます」


 私はご飯を食べる。一人で食べることにはもう慣れた。今はもう何も思わない。しばらくすると気配を感じた為、私は顔を上げる。そこには九条明日香がいた。


「えっと、九条さん……? 一体どうかしたの?」


「――ねぇ、浅葱さん。一緒にお昼ご飯食べてもいいかな?」


「え、いいけど……天沢さんはどうしたの?」


「芽衣は今日部活のミーティングがお昼にあって、一緒には食べれないんだ」


「そうなんだ。それで……どうして私と?」


 嫌な質問だなと思う。本当に……友達同士だったらこんなこと聞かないんだろうけど、私が彼女たちと友達になる未来は、永遠に訪れないから――


「うーん、浅葱さんが来てから、私たちお話してなかったじゃない? その……芽衣のこともあったし……」


「ああ、初日のやつ?」


「うん、それ。だから、ちゃんと謝りたいって思ってたの」


「謝る? 九条さんが私に?」


 意味が分からなかった。九条さんからは何もされていない。寧ろ、庇ってもらった。謝ってもらうことなんて何も――


「あの時、転校初日で何も分からないのに、クラスメイトに迫られて困惑しただろうし、私、芽衣の親友なのに止められなくて、浅葱さんに嫌な思いさせちゃったって、ずっと後悔してたの……」


 その言葉を聞いて、私は何も言えなかった。親友だからといって、そこまで思い詰める必要ないと思う。きっと、天沢は知らないだろう。自分の親友が、自分のせいで苦しんでいることを。


 きっと、この子は優しい子。このクラスにいてはいけないタイプ。こんな優しい子を殺さなくちゃいけないなんて。


 ――ごめんね。


 そう、心の中で謝る。きっと、私が栗花落澪として過ごしていた時に声を掛けてくれていたら、纈みたいに対象外にしただろう。だけど……もう、遅いよ。


「別に気にしていないよ。そんなことより、お昼ご飯食べよう?」


「――ありがとう」


 私は本当の気持ちを隠したまま、これから殺してしまう相手と、お昼時間を一緒に過ごした。

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