第33話

 ご飯も食べ終わり、お腹が膨れて眠くなってきた頃……予鈴が鳴った。


「あ、そろそろ芽衣が戻ってくる。今日はありがとう。またね、浅葱さん」


「ううん、こちらこそありがとう」


 ――最後に思い出をくれて。


 私は念の為、授業の準備をする。きっと、ここに入ってくるのは教師ではなく、全ての準備を終えた海凪さん。もし間に合わなかったとしても、何かしらの方法で連絡が来るだろう。


 クラスメイトが授業の準備を始める。部活のミーティングに参加していたとされる天沢も戻ってきた。これで、この場にいない生徒は纈のみ。


 ――当然の話だが、纈は来なかった。まあ、あの話を聞いた後で、この日に教室に入ってこれるとしたら、それはもはや猛者だろう。自ら死にに来る必要はない。


 まあ、対象外ということにはしているが、何が起こるか分からない。もしかしたら、参加せざるを得ない状況になるかもしれないし、他の生徒に殺されるかもしれない。色々なリスクを考えると、来ないことが正解だ。


 その瞬間が来るのを私は待った。


 そして――


 本鈴が鳴ったと同時に、教室に入ってきた。約束していた通り、海凪さんが大きな段ボール箱を持って。


『あれ、海凪先生? どうしたの?』


『朝から見えないから、今日はお休みかと思いました』


 海凪さんの姿を確認するや否や、心配する声が響き渡る。


「海凪先生、そのダンボール箱どうしたの?」


「んー?」


 海凪さんは少し考える素振りを見せると、意地らしく笑う。


「今はまだ秘密だよ」


「えー、先生の意地悪!」


 クラスメイトは笑う。相変わらず、海凪さんは人気者だ。これから彼は君たちを地獄に落とすというのに……


「――ごめんね、心配してくれてありがとう。授業の前にしておきたいことがあるんだけど、付き合ってもらってもいいかな?」


 海凪さんが言うからだろう。全員がそれに頷いた。


「ありがとう。そうしたら、全員で机を後ろに下げてもらえるかな? 掃除をする時みたいに」


 不自然だろう。この時間からそんなことさせるなんて。他の教師が言ったら、きっと誰もやろうとしない。


 海凪さんの人柄だろう。全員が違和感を持つことなくそれに応じた。


「うん、まあこれだけあれば十分かな。そうしたら、浅葱さん。後ろのドアの鍵を閉めてもらっていい?」


「――うん、分かった」


 私はそれに素直に従う。クラスメイトは首を傾げるが、混乱している者はまだいない。


 海凪さんは前のドアの鍵を閉め、カーテンを閉じた。これで、外から中の様子が見れない。


「海凪先生、これから一体何を――」


「――僕、午前中いなかったでしょ? どうしてだと思う?」


 特定の誰かに対してではない。それはクラスメイト全員に聞いていた。


「――半休を取っていたから?」


「大事な用事が午前中にあったから?」


 色々な声が上がった。海凪さんは全てに頷くと、にこりと笑って答えた。


「準備をしていたんだ」


「準備って何の――」


 ここでようやく、戸惑いの声が上がる。その声の主は九条だった。


「答えはこれだよ」


 彼は徐にテレビをつけた。そこには五十人弱の大人が椅子に座っていた。いや、座らされていた、という表現の方が正しいか。


 その大人たちを見た途端、生徒たちは口を揃えて言った。


『――お父さん!』


『――お母さん!』


 その光景を、私はただ黙って見ていた。狼狽する声が聞こえる。


 ――うん。不謹慎だけど気分が良い。


「この人たちが誰なのか、もうみんな分かってるよね。画面の向こう側にいるのは、君たちの御両親さ。まあ、簡単に言ってしまえば人質だね」


 笑顔でそんなこと言ってしまうのだから、尊敬してしまう。


「どうしてこんなこと……」


 誰かが訊ねた。その問いに、海凪さんはきょとんとする。


「え、寧ろどうしてこうならないと思っていたの?」


 誰もこの状況を理解出来ていない。理解出来ているのは、海凪さんと……私だ。


「このクラスはさ……栗花落澪ちゃんを自殺に追い込んだよね」


「…………」


「それだけに飽き足らず、纈さんにまで目を付けた。二人の人生を潰しておいて、自分たちは何もされないと、どうして思えたの?」


 海凪さんの問いに誰も答えない。だからだろうか、海凪さんは指名した。


「――ねぇ、鬼屋敷さん。栗花落澪ちゃんをいじめて自殺に追い込んだこと。纈さんのスカートを裂くように指示したこと……全部楽しかったかい?」


 名指しで言われ、鬼屋敷は分かりやすく動揺する。海凪さんに問われているのが鬼屋敷だけだと分かると、途端にクラスメイトが緊張を解く。


 けれど、海凪さんはそれを許さない。


「――じゃあ、そこの君。えっと、確か……宮應初華みやおういちかさんだったかな?」


「えっ、あ……はい」


 宮應は鬼屋敷の取り巻きの一人だ。柊を次のいじめのターゲットにしようと提案し、そして――


「澪ちゃんが自殺したと報道されて、次のターゲットを決めている時、纈さんじゃなくて柊さんの名前を上げたよね?」


「えっ……」


「因みに、鬼屋敷さんに命令されて纈さんのスカートを裂いたのも、宮應さんだよね」


 ダラダラと宮應の額から汗が垂れる。それが肯定だと誰が見ても分かる。


「まあ、君たちがまた通うことが出来ているのは、犯人が捕まったからなんだけど……冤罪にするの大変だったんだよ? 感謝してね」


「それってどういう――」


「そのままの意味だよ。まあ、君たちからしたら、このまま犯人が見つからなくて学校へ行かなくて済むという方が、まだマシだったかもしれないけど」


 これから起こることを考えたら、確かにその方が良かっただろう。自分の両親の無様な姿なんて見たくなかっただろうから。


「何が目的なんですか……」


 宮應が震える声で訊ねた。その問いに、海凪さんはクスリと笑う。


「この状況でまだ分からない?」


 誰もそれに答えることが出来ない。海凪さんは分かりやすく溜息を吐いた。


「仕様がないなぁ。それじゃあ、ネタバラシといこう。浅葱さん、前に来れるかい?」


「うん、もちろん」


 私は前に出る。海凪さんの隣に立つ私に、クラスメイトはザワつく。これから何が始まるのか、理解しきれていないようだ。優しい海凪さんがネタバラシをすると教えてくれているのに。


「――浅葱紫苑さん。クラスメイトなんだから知っているよね?」


 生徒はわけも分からずに頷く。それを確認した海凪さんは、私のことを見た。


「こんな形だけど、大丈夫かい?」


「うん。もう本当に完璧。これから楽しみで仕様がないよ」


 そんな言葉と共に、私は自身の髪に手をかける。


 さあ、今年最大のネタバラシといこう。


 私はその変装を勢いよく解いた。

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