第17話
私を抱えたまま、海凪さんは難なく学校から抜け出した。移動先は屋上で話した通り、海凪さんの仕事場だった。
「ここが……海凪さんの働いてる場所」
「汚くてごめんね。えっと、ソファにでも座って……」
彼はソファに視線を向けて固まる。そこには、紙の山があった。座れる場所がないほどに。
「お仕事中……でしたよね。邪魔しちゃってごめんなさい」
思わず謝罪の言葉を口にする。謝れば許されるとは思っていない。それでも、謝罪せずにはいられない。
「大丈夫だよ。それに、仕事も大事だけど、助けを求めてくれた子の声を無視することの方が罪深い。だから、気に病むことじゃないよ」
海凪さんは優しい。こんな私のことを責めない。やらなければならないことが増えているのに、そのことについて何も言ってこない。優しすぎて涙が出てしまう。
「それに、整理整頓していない僕が悪いんだし。ちょっと待っててね。今片付けるから」
そう言うと、彼はソファに置いてあった書類の山を一気に持ち、床に置いた。
「これで座れるかな」
「……それ、片付けじゃなくて物移動……」
「うん?」
「あ、いや……なんでもないです」
邪魔してしまっているのだ。口を出す権利などない。私は大人しく空いたソファに座る。
「今お茶持ってくるから待ってて」
「分かりました」
私は大人しく待つ。キョロキョロと周りを見回すと、とあるものが視界に入る。
「え、あれって――」
私は無意識にそちらに歩いていた。ゆっくりと手を伸ばしたその時――
「――澪ちゃん?」
「……っ!」
背後から声が聞こえ、思わず手を引っこめる。振り向くと、そこには湯呑みを持った海凪さんがいた。
「海凪さん……」
「何か気になるものでもあったかい?」
「あの……これ、なんですか」
私は指を指す。私が気になったもの。
「ああ、拳銃のことかい? 手前に出しておくと何かあった時便利なんだよね」
――いや、そういうことを聞いているんじゃないんだけど……
「まあ、普通の女子学生が拳銃なんて見るわけないものね。いや、一般人なら見ないか」
ふむ、と考える素振りを見せる。
「澪ちゃんはさ、拳銃を見た時どう思った?」
「……え?」
「僕のこと、怖いと思ったかい?」
「怖い……? いや、全く……」
私は首を横に振り即答した。質問の意図が分からず、きょとんとしてしまう。
「怖くないのかい?」
「怖がる理由が分からないけど……」
「拳銃……持っているのに?」
驚いた表情を見せる海凪さんに、私は頷く。
「……うん。だって、海凪さんは私のこと殺さないでしょ?」
「そりゃあ、殺す理由がないからね」
「なら、怖がる理由もないと思うけれど」
確かに、拳銃は怖い。悪い人が手にしたら、殺されてしまうかもしれない。けれど、その相手が海凪さんなら怖くない。もし殺されてしまったら、その時はその時だろう。私にはもう、海凪さんしか味方がいないのだ。そんなこと、気にしている場合じゃない。
私が怖がっていないと分かったのか、海凪さんは「そうかい」とだけ呟いた。
「ごめん、変な質問して。とりあえずお茶入れたから、飲みながら今後のこと相談しよう?」
「分かりました。私もごめんなさい、勝手に物色しようとして……」
「別に構わないよ。こんな所に置いていた僕が悪いんだし」
そう言いながら、彼はソファに座るように私を促す。私はそれに従い、ゆっくりと腰を下ろした。茶っぱのいい匂いが漂う。私は一口それを口にした。
「美味しい」
「それは良かった」
どうしてだろう。お茶なんていつも飲んでいるはずなのに、心がほっとする。
一息ついたところで、海凪さんが「少し整理しようか」と口を開いた。
私はそれに頷き、何があったのか話した。喫茶店で話したように、全ての出来事を。
海凪さんは優しいから、私の言葉を否定せずに、「そっか、辛かったね」と優しい言葉を投げかけてくれる。それが逆に辛くて、苦しくて。私を惨めな思いにさせた。どうすればいいのか分からず、グッと溢れてくる涙を堪える。
「話を纏めると、以前話に出てていた纈さんは、澪ちゃんと友達をやめた後、元のグループに戻り、澪ちゃんに対するいじめに加担するようになった……そういうことであってるかな?」
「合ってます……」
私は頷く。
中学三年生の時、いじめをするなんて小学生みたい、と鬼屋敷たちのことを蔑んだ目で見て距離をとった人間が、同じことをしている。困惑して悲しくて。訳の分からない感情ばかりが沸いた。
「どうして纈さんが澪ちゃんと友達を辞めたかは……分かってないんだよね?」
「そうですね。突然……だったし、聞ける雰囲気じゃなくて……」
「そっか。なるほどね」
「あんな小さな世界でさえ上手くいかないなら、私はもう……」
「澪ちゃん。諦めるのはまだ早いよ。その選択肢は、復讐を終えたあとゆっくり考えよう。僕でよければいつでも相談に乗るし、君が望むなら、一緒に地獄に堕ちてあげるから」
きっと、私がネガティブになったからだ。彼なりの励ましなのだろうと思うと、少し心が軽やかになる。
「そうですね。今は……復讐のことだけ考えます」
「うん。きっとその方が楽しいよ」
ゆっくりと微笑む彼の表情が目に焼き付いて離れない。どうしてこの人が言うと……安心できるんだろう。信頼できるんだろう。不思議だなぁ。
「復讐を始める前に、幾つか聞きたいことがあるんだけど、まずはそうだな……一番大事な……根本的なところから聞こうか」
その時、微笑んでいた彼の表情が、キュッと引き締まる。何か大事なことを言われるな……そんなことを思った。そして、その予感は当たっていた。
「澪ちゃんは人を殺した経験はあるかい?」
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