第15話

 この学校は何かがあるらしい。栗花落澪が自殺し、私が転入してきた。それから一週間が経った今日、まるで、アイドルが来たかのように教室内が黄色い声に包まれた。


 私はそこにいる男の人を見て、思わず目を見開いた。


「どうして……」


 そんな私の言葉は、黄色い声によって掻き消された。誰もがその男の人に目を奪われ、目をハートにさせていた。


 クラスメイトが上げる黄色い声は、担任の声をも掻き消した。それほど、目の前にいる男の人の容姿は完璧だった。困惑する担任の隣に立っているその人物は、爽やかな笑顔を浮かべながら声を出す。


「初めまして。先生からも紹介があったように、今日からこのクラスで一緒に勉強することになった海凪です。教育実習生という立場ですが、精一杯仕事を全うしたいと思っているので、よろしくお願い致します」


 深々と頭を下げ、再度その表情に笑みを浮かべるその人物に、私は目を離すことが出来なかった。信じられなかった。彼がここにいるこの現実が。


「えっ、めっちゃイケメンなんだけどー!」


「イケメンきたー!」


「爽やかすぎて眩しい……!」


「かっこよすぎてやばいんだけど!!」


 まるでアイドルのライブ会場のようだった。


 生徒たちがそんな言葉を零すも、彼は飄々としていた。まるで慣れているかのような、余裕のある顔をしていた。


 確かにイケメンだ。整っているその容姿を見て、ときめかない女子はいないだろう。


 けれど、今はそれどころじゃない。どうして彼がここに……? だって彼は今頃――


 困惑した面持ちを隠しきれない私へ、彼は目配りをする。そのままにこりと笑うものだから、私の列と隣の列に座る女子たちは勘違いをして、更に黄色い声を上げる。


 ――後でね。


 そう言われた気がした。

 私は頷くことすら出来なかった。


 そして、自身が転入したときの状況が、目の前で行われた。HRが終わった瞬間、生徒たちが一斉に海凪さんを取り囲んだ。突然のことに、彼は少しだけ困惑した表情を見せた。傍から見たらカオスだな……なんて能天気なことを思ったりする。


 担任は教室の隅に移動する。きっと、彼に色々と教えなくてはならないのだろう。彼待ちということだろうが、当分解放されないだろうな。


 彼と話すのはまた後でにしよう。今は一限の準備を――


 その時、教室の扉が開いた。全員がそちらに視線を送る。私もそちらを見ていた。HRは終わっている。所謂、遅刻というやつだ。朝から教師に怒られる様子を見るのは憂鬱だ。勘弁してほしい……そんなことを思っていた私だが、入ってきた生徒の姿を見て、思わず息を呑んだ。


「……っ!」


 え、なにあれ……制服……切り裂かれてる……? それにあの歪な髪型……まさか……


 私は最悪なことを想定した。


 けれど、他の生徒たちは見慣れているかのように、すぐに視線を戻した。先程同様に教育実習生と名乗った海凪さんに話しかけた。


 けれど、それを彼は許さなかった。


「――君は纈さんで合っているかな? 流石にその格好で授業は受けさせられない。スーツで申し訳ないけれど、これを羽織って」


 群衆の中を自然な様子で歩く。周りの目を気にする素振りを見せず、彼は優しく声を掛けた。スーツを貸して貰った彼女は戸惑った面持ちを見せる。


「一度保健室に行こう。先生、保健室は一階でしたよね?」


「え? ああ……そうです」


 彼のことを待っていた担任は、バツが悪そうに視線を逸らす。担任は知っている。この生徒がそれの対象だということに。知っていて、放置している。


「胸糞悪い」


 それをしている生徒もそうだけれど、知っていて見て見ぬふりをする教師もクソだと思う。人の人生を壊してこの人たちは楽しいのだろうか。


「――君、名前を聞いてもいい?」


 目と目が合う。自分が聞かれるとは思わず、思わず「私……?」と首を傾げてしまう。


「そう、私」


「えっと……浅葱紫苑です」


「浅葱さんか……ごめんね、保健室まで一緒に来てもらってもいいかな?」


「えっ……?」


 私は目を丸くする。何故自分が……?そう思ったけれど、彼の意図を理解して私は頷いた。


「分かりました」


「ありがとう。それじゃあ、纈さん。一緒に行こうか」


 断ろうとする纈のことを、海凪さんは強引に歩かせる。男の人の力に女子生徒が敵うはずもなく。纈と海凪さんは教室を出た。私も後に続いた。


 保健室に向かう道中、沢山の女子からの黄色い声を浴びた。彼が「ごめんね、通るよ」と一声掛ける度、生徒たちの目がハートになる。何一つ文句を言われることなく、普通に階段を降りられる。凄いな……と私は感心してしまう。


 けれど、黄色い声が聞こえなくなると、自分たちの間に沈黙が流れていることに気付く。訊ねようか迷った。それでも、その役割は自分ではないと思い、口を噤む。


「――話したくなかったら無理はしなくていいんだけれど、もしよければを教えてくれるかい?」


 そうなった理由。それは、彼女の制服が切り刻まれていること、そしてその髪型を指すのだろう。私も彼と同じように彼女の言葉を待った。


 けれど――


「保健室……着いてから話します」


 彼は頷いた。それ以上深追いしようとはしなかった。彼女は言葉通り、口を閉ざしている。彼と出会ってまだ数分。信用しきれていないから話さないのかと思った。


 けれど、彼女の状況を見るに、何処で誰が聞いているのか分からない。だから話せない。それが主な理由のように感じた。


 無理やり聞き出すことではない。大人に話せばかならずかいけつするというわけではない。寧ろ、悪化することの方が多いだろう。だから、タイミングは纈に任せる。


 あと少しで保健室に着く。その時に話してくれればそれで――


 そう思った、その時だった。


「久しぶり、だね。栗花落さん」

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