第5話

 彼の携帯が揺れている。

 電話来てるけど……出なくていいのかな。


 食べ終わり、紅茶を飲んで一息ついている海凪さん。携帯に目をやる気配はない。


「あ、あの……携帯鳴ってますけど、出なくていいんですか……?」


「うん……?」


 その時、初めて自分の携帯に目をやった。


「あー、大丈夫だよ。今は澪ちゃんと過ごす時間だからね」


「いや……気にしなくて大丈夫ですよ。お仕事の話だったら申し訳ないですし……」


 私の言葉に、彼は「そう?」と一言言うと、携帯を手に取り電話に出た。それから言った。


「もしもし、電話かけてきてもらって悪いんだけど、今忙しいから、後で掛け直すわ。じゃな」


 ブツ、と電話を切った。

 きっと、相手の返事なんか聞いちゃいない。


「お待たせ」


「え……電話、いいんですか?」


「別に構わないよ。仕事の話なんていつでも出来るけど、澪ちゃんとの時間は簡単に取れるものじゃない。それに、相談に乗るために来たのに、それを無碍にするのは大人のすることじゃあない」


 だから気にしなくていいよ、と彼は優しく言った。きっと、彼はモテる。周りに気遣いができるこの人は、人から好かれるタイプの人種だ。私とは違う。


「それじゃあ、少し遅くなっちゃったけど、本題に入ろうか。君の相談を聞かせてくれるかい?」


「…………私、学校でも家でも上手くいってないんです。辛くて、苦しくて……自殺する勇気なんてないから、今もまだこうして生きているけれど、これからもこの地獄のような生活を味わいながら生きていかなくてはならない。そう考えたら、全てが嫌になって、それで――」


「それは……二日前に話していたいじめが原因かい?」


「そうです」


 私は即答した。自分がいじめを受けている。理解してしまった。受け入れてしまった。けれど、私はそれを認めたくなかった。


 だからずっとずっと、それに抵抗していた。


 けれどもう……私一人ではどうすることも出来ない。このままでは、完全に心が壊れてしまう。それを阻止するために誰かに話すことが必要なら、私はそれに縋りたい。


 私は彼のことを見る。彼は私の返事を聞いて、真剣な面持ちをしていた。


 彼なら信用出来ると思った。私とこんなにも長い時間一緒にいて、初めて嫌わないでいてくれたから。


「私は......同級生にいじめられています。中学一年の時からずっと」


「今は何年生だっけ?」


「今は......中学三年です」


「そっか......ずっと耐えてきたんだね。そのことを親御さんは知っているのかい?」


「母親だけ......知ってます」


 少しだけ声のトーンを下げる。質問漬けにしているつもりはないのかもしれない。それでも、いじめについての質問は結構堪える。自分がその事で相談したいと思ったのに我儘だな、と自分に呆れてしまう。


「嫌なこときいてごめんよ」


 彼は申し訳なさそうに謝る。それから、彼の一つ声のトーンを下げて、私に訊ねた。


「澪ちゃんはどうしたいんだい?」


「えっ......?」


「君をいじめる彼女たちに、復讐したいとは思わないのかい?」


「復讐……」


 彼の言葉をただ繰り返す。そんな私に彼は言葉を続ける。


「今現在もいじめに遭っていて、生きていくのが辛い。それを僕に相談したということは、これからどうすればいいのか、という気持ち以外に思うことがあるからじゃないのかい?」


「思うこと......」


 ――ある。あるに決まってる。どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのか。どうして私だけ、あんなに小さな世界でさえ、溶け込むことが出来ないのか。私だけだなんて理不尽だ。皆……皆不幸になればいいのに。


「私をいじめて喜んでいる奴らを……地獄に突き落としたい」


「ふふふっ。素晴らしいじゃないか」


 彼は楽しそうに笑う。引かれると思った。何てことを言うんだ、って怒られると思った。


 けど、違った。彼は怒らなかった。寧ろ肯定した。私の言葉を――


「地獄に突き落とす。素晴らしい言葉だ。早速行動に移そう……と言いたいところだけど、今の状況で復讐をしても面白くない。もう少しで君は高校生だ。高校一年生まで待つことは出来るかい?」


「どうして……?」


「君の学校について調べたと言ったろう? 君の通う学校は中高一貫で、高校一年の時は外部と内部でクラスが分かれる。外部生と同じクラスになることはない。違う?」


「本当に……調べているんですね。海凪さんの言う通り、高一のクラスは内部生だけです」


「だろう? つまり、細工をすればクラスメイト全員、いじめに加担した人にすることが出来る」


 さらりと告げる彼の言葉に、私は驚くことしか出来なかった。


「細工って一体……」


「クラス編成を細工して、復讐の舞台を僕が用意する、って意味だよ。高校一年生になるまでの間だけ、我慢してほしい。そうすれば、君は最高の復讐が出来る」


 先程と同様に、さらりと告げる彼に、私の思考は混乱から解放されない。


 クラス編成を細工? 何を言われたのか分からない。分からないけれど――


「信じていいの......?」


 不安という感情を乗せて、彼に訊ねる。訊ねられた彼の表情は、自信に満ち溢れていた。


「もちろんさ。期待してくれたまえ」


 その表情を見て、信じたいと思った。


「分かった。高校一年生になる少しの間、頑張ってみるよ」


「うん。僕も期待を裏切らないように頑張るよ」


 私たちは互いに頑張ることを誓った。私のためにこんな提案をしてくれる人、存在したんだな……そう思うと、まだこの世界で生きていこうと思える。


 それから私たちは少しの時間を過ごした後、お店を後にした。


「今日はありがとうございました」


「いや、僕の方こそ貴重な時間をありがとう。また何かあったらいつでも連絡して」


「はい、ありがとうございます。それじゃあ、私はこれで」


「うん。またね、澪ちゃん」


 私はお辞儀をして彼に背を向けて歩き出す。少しだけ歩いて振り返ると、彼は嬉しそうに私に手を振る。再度頭を下げ、私はその場を後にする。何となくもう一度振り返ると、彼も背を向け歩き出していた。少しだけ寂しい気持ちを抱えながら、帰路を目指す。


 道中、彼の言葉を思い出していた。


『復讐の舞台を用意してあげる』


「不思議な人だったな」


 思わず本音が溢れる。それでも、今まで出会ってきた人たちの中で、一番信用出来た。


「一番不思議なのは私か……」


 出会って二日しか経っていない人のことを、一番信用しているだなんて。自分の愚かさに失笑するしかなかった。

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