第3話
少し歩いた所にそれはあった。
「へぇ、こんな所に喫茶店あったんですね」
「うん、レトロな感じがいいでしょ。若い子はきっと、もっと賑やかな雰囲気のあるお店に入ると思うから、慣れないだろうけど大丈夫かい?」
「え、はい。私はどこでも……」
「そうかい。じゃあ、入ろうか」
そう言い、扉を開ける。先にどうぞ、と誘導してくれる。優しい人なんだな、とその優しさに胸が少し温かくなる。
店員さんが席に案内してくれる。ありがとうございますと店員さんにお礼を言いながら、自然と自分が手前側に座り、私を奥側へと誘導した。
メニューを私側に開いて「ゆっくり決めていいからね」と優しい言葉をかけてくれる。きっと、依頼でもプライペートでも、こうやって色々な女の人に優しくしてるんだろうな。
簡単に心を開くことができない。人を疑うことしか出来ないというのに、少し甘い言葉を囁かれたら、連絡を取ろうとして簡単に着いていく。心の底から救えないと思う。
「えっと……クリームソーダひとつ」
「何か食べなくて大丈夫かい?」
「家に帰ったら何か出ると思うので……」
「そうかい? まあ、確かに夕食にするにはまだ早いか」
彼は時計を見た。時刻はまだ十七時。今食べてしまっても構わないのだけれど、今から親に連絡したら遅いって怒られるだろう。
「クリームソーダだけで大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「うん、分かったよ」
彼は頷くと「すいません」と簡単に店員さんを呼んだ。
呼び出しボタンがない場所に行きたくないと思う理由はこれだ。声を出すことが恥ずかしいと思ってしまう。自分に出来ないことを簡単にする彼が、私は凄いと思った。もしかしたら、他の人にとって普通のことなのかもしれないけれど。
店員さんが来ると、彼は注文をする。私の分も一緒に。
「あ、ありがとうございます」
店員さんがその場を離れた後、私は感謝の言葉を伝えた。何に対して、とは言わなかった。もしかしたら、このお店に連れてきてくれたことに対する言葉だと思ったのかもしれない。
「それは僕の台詞だよ」
小さく微笑んだ後、「僕のこと頼ってくれてありがとう」と言った。
なんて答えればいいか分からない。
返事に困っていると、彼は苦笑した。
「勝手に連絡先を渡して怪しかっただろうに、今回相談相手にさせてくれてありがとうね」
「いえ、私の方こそありがとうございます。とても助かります」
「そう言ってもらえてよかった。時間はまだまだあるから、澪ちゃんが話したいと思ったタイミングで構わないからね」
「ありがとうございます」
その時、店員さんが飲み物を持ってきた。
「こちらクリームソーダです」
「あ……ありがとうございます」
「こちら紅茶です。砂糖とミルクはお好きにお使いください」
「ありがとうございます」
海凪さんは爽やかな笑顔を店員さんに向ける。店員さんはお辞儀をし、その場を後にした。
――誰にでもそういう顔をするんだ。
きっと、凄く嫌な顔をしている。自分だけではない。自分が特別なわけではない。分かっていたはずなのに、その事実を突きつけられると、胸の奥底がザワつく。
――ああ、本当に……私は私が嫌いだ。
彼の笑顔を見ると、変な気持ちになる。自分にだけ向けてほしい。そんな無責任な気持ちを抱いてしまう。
こんなんだから、クラスメイトに嫌われてしまうのだろう。今は関係ないはずなのに、どうしても学校のことを考えてしまう。必死にそれをされる理由を探している。認めたくない。信じたくない。それでも、それをされる理由を探さないと。これ以上はもう......私が私ではなくなってしまう。
「ここ、静かで良い場所でしょ」
不意に海凪さんが口を開く。私は思考を現実に戻し、海凪さんの言葉に頷く。
「知っている人はいるかな?」
「いないと思います」
「なら、ゆっくり話せるね。まあ、昨日の今日出会った男と、長時間一緒にいたくないと思うんだけどさ」
「いや、そんなこと――」
「気を遣ってくれてありがとう。澪ちゃんは優しいね」
本当にそんなこと思っていない。寧ろ、私なんかとこんな静かな落ち着く場所で、二人きりにさせてしまっていることに、申し訳なさを感じる。
けれど、それを伝えたら優しい彼はきっと、もっと気を遣ってしまう。それはなんか……嫌だった。
だから……私は最初の目的を果たすことにした。
「あの、海凪さん……」
「うん? なんだい?」
真っ直ぐにその瞳が私を捉える。
裏表が分からないその瞳に、私は吸い込まれそうになる。それでも、言わないと……と自分を奮い立たせる。それから言った。
「あの……ごめんなさい……!」
私は勢いよく頭を下げた。
テーブルに額を打ち付けてしまいそうな勢いで。
「え……澪ちゃん。謝らなくていいから顔を上げてくれ」
頭の上から、狼狽した声が聞こえる。
けれど、私は頭を上げることができなかった。ここで上げてしまったら、また彼に甘えてしまう。
「そういうわけには……いかないです。昨日……人を信用出来ていないとはいえ、優しい海凪さんにとんだ失礼を……本当にごめんなさい」
「そんな……別に僕は気にしていないよ」
「海凪さんが気にしていなくても……私が気にするんです。本当にごめんなさい」
「ふむ……」
ふむ……? 何か納得したかのような言葉に、私の体は自然と震えた。
「そんなに怯えなくて大丈夫だよ。ただ、ずっと頭を下げられていては、他の人に誤解を与えかねないから……顔を上げてもらえると助かるんだけど……どうかな」
「誤解……?」
その時、私は初めて顔を上げた。
海凪さんの顔を見る。彼が困った表情を浮かべながら、ちらりと視線を動かしたため、私もそれに合わせて視線を動かした。
「…………っ!」
その時に初めて気付いた。周りのお客さんがこちらを不思議そうに見ていたことに。
「えっ……あっ……」
ドクン、ドクンと鼓動が音を立てる。それは嫌な鳴り方だった。
「ご、めんなさ……」
涙が止まらない。動悸が止まらない。息が出来なくて苦しくなる。自分でも分かる。それは危ない呼吸の仕方になっていた。
「澪ちゃん、落ち着いて……!」
優しい海凪さんの声がする。慌てていることが、その声色で分かる。
けれど、それが分かってしまえばしまうほど、私の動悸は治まるどころか早まってしまう。どうすることも出来ない。
これ以上、彼に迷惑をかけたくない。この動悸をどうすることも出来ないのなら、この場を離れるしか――
ズキン、ズキンと痛む頭で解決策を無理やり見出したその時……
「澪ちゃん、大丈夫だよ」
彼が優しく私の手を握った。驚いて彼のことを見ると、その瞳は優しかった。
「ゆっくり深呼吸して」
私はその言葉に従った。ゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐いた。少しずつ……落ち着いていくのが分かる。
「誰も澪ちゃんのことを責めたりしないから、大丈夫だよ」
「あっ……」
海凪さんは分かっていた。どうして私が、こうなってしまうのか。そしてその対処法を……
「言ったでしょ? 僕は君の味方だって」
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