第12話 特技:人間
正暦10503年10月。
俺はポチを相原真人にする作業に移った。
俺はまずポチ呼びをやめた。
「よし、ポチ!」
「ワン!」
「お前は今日から相原真人だ!」
「…………」
犬としてのプライド。
「相原!」
「…………」
犬としてのアイデンティティ。
「相原真人!」
「…………」
犬としての自我。
「やべえ。戻んない」
その返事に答えるようになるまでに二週間を要した。
ポチは四足真人に進化したのだ。
次の問題は二足歩行にすることだった。
しかし、犬は基本四足歩行である。
真人からすればまだ自分の名前がポチから相原真人に変わっただけであって、自分のことは犬だと思っている。
そこで、俺自身が犬になりきった。
「ワン! ワン!」
恥ずかしい。誰が見ても恥ずかしい。それでも繰り返す。
二足歩行で「ワン! ワン!」と。
それを見ている真人は衝撃を受ける。
なにせご主人様が犬になったからだ。
しかし俺の思惑通りにはならなかった。この作戦は三日で断念することにした。
俺の精神が持たなかったのだ。
そこで思いついたのは、パソコンを通して犬の二足歩行の画像や映像を真人に見せるというものだ。
餌をもらうために、芸の一つとしてやって飼い主を喜ばせるために犬は二足歩行になることがある。その画像や映像を見せ続けて、犬の常識を覆させる。
するとその四日後、真人はついに二足歩行を瞬間的にではなく、持続的に行うようになった。
元々、二足歩行が特技だった真人はその行為を何の問題もなくできるため、特殊な訓練は必要ない。
真人が元人間で良かったと思った。
ちなみに、パソコンはこの世ではそう簡単に量産できるものではない。
魔法犯罪に使われやすいからだ。そのため、パソコンを使う際は予約が必要で監視がつき、使用後は何も仕掛けていないか役員が点検作業を行う。
それだけのことをしないと、パソコンの画面からどこかに魔力を送信する輩がいつ出てきてもおかしくないくらいに魔法とは危なっかしいものなのだ。
最後に言語の壁が俺の前に立ちはだかる。
二足歩行と同じように、犬が日本語をしゃべっているように聞こえる映像を見せ続けたが、一週間経っても一向に日本語を使う気配がない。
南の町でやったようにご主人様を守るために緊急で日本語をしゃべったことがあったが、日常的に使ってほしいのだ。
真人は元々、もう一つの特技が日本語をしゃべることだったので、しゃべることはできるはずだが自分から進んで発することをしない。
結局自分が犬だと思い込んでいることには変わりないのだ。根幹から変える必要がある。
ついには監視している役員に憐れみの目を向けられるくらいには俺は同情されていた。
そのような生活をしていると、俺は同じ保護隊員の一人(第一所属の役員)に
《
俺は本土の研究室に向かった。
「あの、父様」
「お前を待っていたぞ」
そこには厳しい顔つきの父様が待っていた。
当たり前のこととも言えるが、《
俺は浅はかだった。
そこからはお説教が始まった。
自分のやったことの罪の重さを痛感した。
「お前に与えた任務を何だと思っている! 余計なことをするな! 《
久しぶりにこれだけ強く怒られたので俺はひどく萎縮していた。
「申し訳ございません」
「謝るだけなら誰でもできる。頭を使え! 頭を!」
「すみません」
父様が大きなため息をつきながら思案している。
「私の言う通りにすれば今まで全てが上手くいってきただろう?」
呆れたという様子で父様は額に手を当てている。
「はい」
「私の言ったことだけをしろ」
「はい」
「𠮟るのは終わりだ。反省して元に戻せ」
「分かりました」
父様という人間はただ厳しいだけじゃない。俺の昔の親と違って暴力は使わない。最後は寄り添ってくれる。だから俺はここまでこれた。父様の計画を達成するために俺は───。
俺は改めてどうすれば真人が人間に戻ってくれるか考えた。そこで俺は一つの結論を導きだした。
俺は《魅了》で真人をおもちゃにして遊んでいたんじゃないかと。
《魅了》は術者の精神面が影響することをこれまでの経験で感じてきた。
となると、結局は俺の気持ち次第で状況は大きく好転するはずなのだ。
父様が俺に真剣に向き合ってくれるように俺も。
「真人ごめん!」
「…………」
真人は俺につぶらな瞳を向ける。
「俺が悪かった。俺はお前をずっと見下してた。正直本気でお前を人間に戻そうとしていなかった。心のどこかでお前のその姿を笑い続けてた。でも、俺は考えを変えた。真人は俺と対等だ。俺はお前が憎い。俺は人間の相原真人を殺したんだ! お前は人間の相原真人だ!」
「…………」
「真人!」
「………………」
ダメか。まだ俺の気持ちが固まっていないのだろうか。
「頼む、真人。戻ってきてくれ」
「………………はい」
「ワン!」以外の言葉だった。
真人の表情は崩れることなくいたって平常運転だ。
「真人……!」
「何でしょうか?」
犬語じゃない。正真正銘の日本語だ。間違いない。
真人はキョトンとして首をかしげている。
「真人、ありがとう」
俺はホッとして泣き崩れる。
「すみません」
「いや、謝らないでくれ。これは嬉し涙だ」
涙を拭う。これで俺は次に進める。父様の計画に犬は必要ない。
必要なのは、相原真人という人間だ。俺は真人を利用する。そのことに集中すればいい。
◆
正暦10504年3月。
いよいよ思恩たちの転生予定時期が近づいてきた。
「真人! お前に金をやる」
「ありがとうございワます」
まだ怪しいがもう少し時間はある。
「計画的に使えよ」
「ワンかりました」
でもやっぱり先行きが不安である。
「お願いだからワンて言わないでくれ」
「き、気を付けます」
「《
「はい。いきます。《能力奪取》」
特に何か変化があったようには感じられないが、《記憶飛び》は使えなくなっている。
今後は実際に真人が《記憶飛び》を上手く扱えるか試す期間が始まる。
いつ時が来てもいいように早めの準備だ。
それにしても……。
もし、俺が全ての魔法を失い奏時やそれ以外の転生者が研究所に何人も来たら、俺の立場はどうなるだろうと考えると恐怖を感じる。
どうしても捨てられる怖さを思い出す。
決して父様を疑っているわけではない。これは虐待を受けた者の本能のようなものだ。
能力を失うことは俺の価値が下がるような気がしてならないのだ。だからこそ俺はこの計画を成功させて、父様の息子であり続けたい。
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