第13話 転生

 正暦10504年5月17日深夜0時。


「ああああああ、うええええぅ、あ、はぁ、はぁ、はぁー」


 俺はあまりの吐き気に耐え切れなかった。

 死んだと思ったら次の瞬間には真っ暗闇の中にいた。





 俺は夢見さんを殺してしまった。


 こんなはずじゃなかった。



 俺はただ復讐したかっただけなのに……。

 俺がやったのは復讐でもなんでもない。夢見さんの命を、人生を……。





「あぁああああああああああああああああああああああああ」


 わめく。叫ぶ。泣く。


 言葉で表せないその悲痛さは俺を壊す。

 今の自分がどうすべきとか、そんなことは分からない。ただ苦しかった。涙が止まらない。


 四つん這いの状態のまま、俺は涙で感情を流そうとした。それでも、永遠にこの感情は溢れ出る。




「ああ、あぁ……くそぉおおおおおおおおおおおおおおおお」


 これが事実だと信じたくなかった。

 なにもかもなかったことにしたい。


 俺は声の出せる限り叫んでいた。

 涙がある限り俺は流し続けた。


 涙が枯れると自分という存在が表出する感覚を持った。

 それも嫌で嫌で仕方がない。



 力果てていつの間にか眠りについていた。


 目が覚める。ここは死後の世界だろうか。周りには誰もいない。


「やっぱり殺しちゃったんだよな」

 全てが夢であってほしかった。


 ここが自分の部屋でなんだ、悪い夢かと、さらっとそれを忘れられていればどれだけ良かったか。


 ぼんやりとしていると、どうやらここが森の中だということは理解した。木漏れ日から鳥の鳴き声が聞こえる。しかし、それ以上の情報はない。


「だれか――」


 静寂の中に閉じ込められた。

 地獄ってことなのか。

 人を殺したし、当たり前だが。


 これからこの孤独と付き合うことになるのだろうか。


 吐き気もまだ残っているし、恐怖心が抜けない。

 金縛りにあったかのように体が動かない。


「天国に行って奏時と父さんに会いたかったな」


 天国というものが存在するかは分からないが、あるとしたら、二人はそこにいると思う。

 奏時はちょっとわがままなところもあるが、思いやりがあって、みんなの憧れの存在だった。


 父さんは母さんと一緒に研究に没頭して俺のことを可愛がれなかったことを死ぬ前に後悔していたが、俺は十分に愛情を感じていた。

 人の寿命を長くするための研究をしていた父さんと母さんは俺の尊敬する人だ。俺も一緒に研究するのが夢だった。


 人の役に立ちたかった。


 奏時のために復讐するはずだった。


 それなのに夢見さんを殺した。


 俺はもう奏時や父さんに会う資格がない。



「ごめんなさい」


 もう遅い言葉だった。涙が吐き気と恐怖心を超えていった。死んでから分かった命の重みに耐えきれない。


「夢見さんごめんなさい。俺にあんなに優しくしてくれたのに」


 俺は感謝をしたかったはずだ。恩を仇で返した。最低だ。最悪だ。


 俺は言わないといけなかった。「ありがとう」と。今からでも間に合うだろうか。



「母さん一人にしてごめんなさい。ごめんなさい」


 母さんは何も悪いことをしていないのに。

 俺は母さんのためにも生きないといけなかったはずなのに。

 なんで人殺しなんてしちゃったんだろう。

 一瞬の殺意に長い人生は狂わされた。


 俺の人生ではない。家族の人生がだ。夢見さんの人生がだ。夢見さんの家族の人生がだ。それ以外にもきっと。


「その罪を考えたらこんなの……」


 甘すぎる。もっと苦しませてほしい。罰が欲しい。何もかも忘れたい。自分から逃げ出したい。自分という穢れた存在を消滅させたい。静けさという拷問に俺は耐えられない───。


 え……? なんで今逃げようとした。

「ふざけんな!!」


 自分の弱さに反吐が出る。もう何が本心か分からない。

 苦しみを求めたはずなのに、俺はそれからも逃れようとした。


「ごめんなさい」

 解呪の言葉。


「ごめんなさい」

 癒しの言葉。


「ごめんなさい」

 欲を満たす言葉。


「ごめんなさい」

 自己陶酔の言葉。


「ごめんなさい」は俺のもの。



 ◆



 どれくらい時間が経ったか分からない。


 これが夢か現実かも分からない。


 もう体は動かせる。でも動きたいと思わない。


 理性はあるのに使えない。


 自我はあるのに行方不明。



「ごめんなさい」

 魔法の言葉。


「ごめんなさい」

 精神安定剤。


「ごめんなさい」

「思恩くん!」


「ごめんなさい」

「大丈夫? 思恩くん!」


「ごめんなさい」

「どうしたの?」


「…………神前、さん……?」


「そうだよ! 神前奏! 分かる?」


「………なんでここに?」


 もう声がかすれて死ねそうだ。あとちょっとだったのに。


「もしかして何も食べてないの?」


「ころして」


「何言ってるの? 私たちは仲間でしょ?」


「ごめんなさい」

 ああ、落ち着く。


「もーーー。シャキッとする!」

 両頬を思い切り叩かれた。幸せの痛み。求めていたものだ。延命してしまうがそれもいい。


「ごめんなさい」

「ごめんなさいbotじゃないんだから、もっと栄養のある言葉を発してよね?」


「ごめんなさい」

「これは重症だ」


「はは」

 なんで笑ったんだろう。


「良かった、笑った。なんか笑うタイミングおかしいし、悟ったみたいな笑い方だけどいいとします! まずは水飲んで! お水!」

「いやだ!」


 俺は目の前に出現したペットボトルの水をはたきおとす。

 驚いた顔をした神前さんに俺も訳が分からなくなる。


「ちょっとー! なにすんの、もー」


「ごめんなさい」

「さてはお前さん、ごめんなさいが言いたかっただけだろー。ほれほれ」

 横腹をくすぐられる。抵抗できない。

「くすぐったいっ」


「おっ! いい反応! ほら目を覚まして!」


 手を差し伸べられる。俺にはその手を取る資格がない。



「死にたいんだ」

「え? もう死んだじゃん? よく分かんないけど、ここっていわゆる異世界ってやつだよね? 最近アニオタの友達と話した時に話題になったんだよねー。本当にあるとは。なんかワクワクしない?」


 いったい何を言ってるんだ? 彼女の快活さが怖い。


「俺は苦しまないといけないんだ」


「ダメだよ、そんなの!」


「いや、当然の摂理だよ」

 そうだ。俺をどうか罰してくれ。


「あのね? 世界は理不尽なの! 奏時がいじめられてたんだよ? それだけで摂理なんてないことを証明してるじゃん!」


「奏時……。ごめんなさい」

 いくら謝っても足りなかった。


「はぁ。あのね、私たちがやらないと、あいつらもっと幸せにつかりっぱなしだったんだよ? 私たちは正しい秩序に基づく行動をした勇者なんだよ! 自信と誇りを持つべきなんだよ!」

「夢見さんを殺しちゃったんだよ」


 神前さんの熱弁は奇怪なものでしかない。俺は罪を冒したんだ。


「それは事故じゃん!」

「そんな軽々しく言わないで! 俺は、俺は夢見さんの命を奪ったんだ。どんなに苦しんでもその罪は償えない」


 歯を砕いてしまおうと思い切り歯に力を込める。でも、そんなことはできない。


「夢見さんだってこの世界に来てるかもしれないよ?」

「そういう問題じゃない! なんでそんなこと言えるの? 俺がやったのは復讐でもなんでもない。正真正銘、殺人だよ」


「ずっとうじうじと。はぁ。私のことどう思う?」


 神前さんは呆れた風にため息をつく。


「今の神前さんはおかしいよ」

「いや、そこに痺れる憧れるー的なやつ言ってよ。傷つくんだけど。私の論破計画が一瞬にして破綻したよ? どう弁償すんの?」


「いやそういう……」

 この人はなんでこんなにいつもと変わらないんだ。俺がおかしいのか?


「待って! 論破するから! 私は正しい! かっこいい! あと可愛い! そんな私が考えたことを思恩くんも手伝ってくれた。もちろん連帯責任のもとでやったことだけど、正しいことをやったからにはもうそこで責任を負うってことはないの? アンダースタンド?」


 神前さんは額に手を当て考えた後、先鋭的な考えを述べる。


「えっと……」


 俺はその圧力に気圧されていた。


「分かったって言って! 今だけでいいから! 長ったらしく口論する気はないの! 思恩くん探すだけで一苦労だったんだから。あー疲れた。お水飲も!」


 勢いに押されて論破された俺はこの抵抗が無駄であることを悟った。


 これが世界の理不尽さということなのだろう。


 結局俺は弱いだけだったんだ。この程度で折れてしまうのが俺なんだ。また涙が出てきた。


「ほら! お水飲んで! 元気だそ!」

「…………」


 ありがとうが出てこない。


 神前さんは俺に優しく寄り添おうとしてくれているのかもしれないけど、彼女の優しさに喜べない。


 神前さんが俺の隣に座る。


「ごめんね。変なことばっかり言って。でもさ、罪を償おうと思えることはすごいことだと思う。私も夢見さんには申し訳ないと思ってる。でもそれ以上に復讐が出来て良かったっていう気持ちが強いんだ。私がおかしいっていうのは本当だと思う」


 そう言いながらも、神前さんの表情は爽やかで、スポーツをした後みたいだ。


「ここは、どういう世界なの?」

「知らなーい。私は別にチュートリアル担当女神じゃないから」

「そう」


 さっき神前さんは異世界だと言っていた。それは俺がいるべき世界なのだろうか。


「私がこの世界に来てから二日目なんだけど、思恩くんは?」

「分からない」

「まあそうだよね。あんな状態じゃあね」


 彼女の苦笑いは輝いて見える。


 俺には到底笑えない状況だ。


「ごめん」

「うーん。調子狂うなー。とにかく、せっかくの異世界だし楽しも?」


「無理だよ」

「よし! じゃあ行こう!」


「ど、どこへ?」

 俺の返事はお構い無しでどんどん先へと進んでいく。

 眩しい人だ。羨ましくさえ思えてくる。


「計画性はゼロ! ただただのんびりと! だよ! 一人じゃさすがに寂しいし。一緒に行こ!」


 手を差し出される。今度はその手を取る。

 勢いに押されていただけだ。俺は無力な存在だ。


 そんな俺がこれ以上神前さんに迷惑をかけるわけにもいかない。

 いや、きっとそれは言い訳だ。


 俺は孤独が怖いのだ。俺は全く変われない。臆病な人間のままだ。






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