第34話 母の素顔

 リビングのソファに座った。

 テーブルに置いた紅茶を母さんが手に取り、口をつける。それまで放置してきた思いを吸い込むように。


「お母さんはね、奏時を利用したの。お父さんと一緒に。全ての元凶は私たちにあるの」

「意味が分からないよ」

 谷川原さんという人が言っていたことなのだろうか。


「お父さんとお母さんは研究してたでしょ?」

「みんなのために寿命を伸ばす研究でしょ?」

「そう。でもそれは私とお父さんのためだけのものだったの。今奏時も神陸にいるの?」

「いるよ。会ったし」

 母さんはどこまで知っているのだろうか。


「そっか、奏時はまだ奏時だった?」

「どういうこと? 奏時は奏時だよ。でも、奏時は何も悪いことをしてないのに、拘束されてた。それで俺は神前さんとクラスメイトの上田くんっていう人がいるんだけどその三人で奏時を救おうと思って。でも、奏時は出たくないって言ったからそのままにした。奏時はなんで出たくなかったのかは分かんないけど」


「もしかしたら奏時は今お父さんかもしれないね」

「さっき、その谷川原って人と会ったって話したけど、その人も同じようなこと言ってた。それってどういうこと?」

 あまりにも胸騒ぎがして俺は尋ねることにした。


「私たちの研究は魂の移植。お父さんは余命宣告されたでしょ? あの後お父さんの魂を奏時に移植させたの。そして、それは成功した」

 父さんは余命宣告されあと一年の命だと言われた。しかし、その期間を全うすることなく父さんは亡くなっていた。


「そんなことできるの?」

「できるよ。でも、大変だった。なかなか上手くいかなくてね。実験もようやく成功したと思ったらお父さんの命があと一年と言われて……。奏時には本当に申し訳ないことをしたと思ってる」


「谷川原さんは母さんが俺の中に入ろうとしてたって言ってたけど……」

「それも本当よ。間違ってたと今更ながら気づいたわ。でも、もう遅いよね。私は母親失格。今も思恩が母さんって呼んでくれるのはあまりにも贅沢ね」


「そんなことない! 俺の母さんは一人しかいない」

 話は呑み込めていないけど、そこは否定しないといけないと思った。

 俺は母さんに感謝しているし、申し訳ないと思っている。


「ありがとう。他に聞きたいことはある?」

 聞きたいことなんて山ほどある。俺は今何もかも知らない。


「奏時と俺の中に入ってどうするつもりだったの?」

「神陸へ行ってお父さんと二人での暮らしを続けたかったの。魂は年を取らない。だから、魂の移植をし続ければ、人は永遠に生きていられる」

 突拍子もない話だ。


「俺も奏時も男だけど……いいの?」

 もっと聞くことがあるはずなのに出てきた問いはそんなことだった。


「正直言って男の子と女の子一人ずつほしいと思ってたけど、そこはあんまり重要じゃなかったかな。魂は男と女だもの。次の移植の時にまた男と女の関係になればいいと思ってた。もう一人子供を産んで思恩と奏時どちらかをそのまま幸せにするつもりはなかったの。そこはなぜか平等にしようってね。まあどちらも平等に不幸にするってことだから、どうしようもない考えよ」

 母さんは懺悔するかのように重々しく語る。


「そう、なんだ。……何も知らなかった」

「本当にごめんなさい。こんなことをするような親で」

 俺は怒らないといけないのだろうか。あまりにも非現実的な話すぎて呑み込めない。


 谷川原さんの話も母さんの話も俺の知らない世界の話に聞こえる。それでも俺は知らないといけないと思う。


「……父さんが亡くなった時に奏時の中に父さんが入ったってこと?」

「うん。急死したってことになってるけど、あれは自主的に行ったことなの」


「奏時と俺は大切じゃなかったの?」

「大切、か。私たちの命の器としての大切さしかなかった。思恩をおばあちゃんの所に預けることが多かったのは思恩を本当の意味で大切だと思わないようにするためだったの。研究で忙しいっていうのは事実だったけど、それは建前」


「今は?」

 何か希望を求めてすぐさま次の質問をする。


「とても大切。大切よ」

 母さんは顔を俯かせながらそう言った。髪が垂れ下がりその表情を見ることはできない。


「思恩、こっち来て」

 母さんは立ち上がり、俺をキッチンへと連れていく。


「何?」

 何も分からず、俺はただその後をついていく。



 母さんが手に取ったのは包丁だった。


「え?」


 顔に一直線に包丁が向かってきた。

 俺はびっくりしながら後ろに体を反るが、下半身は動かなかったので、そのまま後ろに倒れ込む。


「うわっ」


 痛みもあった気がするが、それどころではない。


「ありがとう、思恩」


 そう言いながら母さんは俺の心臓に包丁を振り下ろした。母さんの表情が俺の脳裏に焼き付く。


 それは赤子を抱く母親のような表情だった。二度目の転生となった。




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