第22話 《犬》降臨

 洸汰様が来ない。時刻はもう19時15分。

 いい加減合流できてもおかしくないはずだワン。

 ルートは知ってるって言ってたしワン。


 なぜだワン。なぜだワン。


 相原真人にとってこの現状はマニュアルから離れすぎていた。

 心から「ワン」が飛び出しそうである。


 何かあれば思念で伝わってくることになっていた。

 その「何か」は今起こっているはずだった。


 ここに洸汰と真人の溝があった。


 真人は解放後の合流ではなく、施設内での合流としか聞かされていなかった。何も送られてこないのは、マニュアルから外れている。


「ワンンン」

「何か言ったか? 真人?」


「え? いや、何もないワン!」

「は?」

 犬は遅れてやってくる。


「どうした真人? おかしいぞ」

 腹を抱えながら笑い出す泰助。和田と夢見想は引いている。ドン引きである。


 真人は耐え切れなかった。


記憶消去きおくしょうきょ》《記憶消去》《記憶消去》《記憶消去》《記憶消去》《記憶消去》。


 過剰な魔法の発動。魔力がドンドン削られていく。


 真人は出せる限りの魔力を出し切ったことで冷静になった。


 しかし、上田洸汰は知らない。計画がこの時崩壊したことを。


 谷川原は知らない。真人が元犬わんこであることを。



 真人が魔力を使えずとも、転生者が三人いれば奏時の解放は可能である。真人は冷静になった頭で考える。


 真人にも考える頭があったのである。これがまさしく、犬から進化した証である。

 マニュアルから脱却した真人は脳をフル回転させる。



 今の自分が《魅了みりょう》されているままだということは、洸汰様はまだ生きている!

 つまり、一大事ではないということだ!

 それに洸汰様なら、どんな困難にも打ち勝てる!


 俺がやるべきは奏時の解放ただそれのみ!


 この間、0.2秒である。


「何をぼーっとしてる? 行くぞ三人とも!」

 俺は三人の返事を待たず、聞かされていたルートを突っ走る。


 辿り着いたそこには一軒家が建っていた。

 白を基調とした二階建ての家でとても立派だ。表札もある。

「雨川奏時」と書いてある。


 バリアが家の周りを球体で覆っている。


 インターホンはその外にあるので押せそうだ。でもなぜ家?


「あったぞ! ここだ!」

「待てよ、真人! ここどこだよ!?」

 泰助たちは奏時の所に行くと決めた頃からの記憶を失っていた。


 真人の放出した魔力からすればもっと消えていてもおかしくなかったが、真人は乱雑に魔力を放出したため、実際のところそこまで多くの《記憶消去》が発動していたわけではなかった。

 そのため、意味もなく発散された魔力がほとんどであった。


 真人は改めて端的に現状を説明した。


 それから真人はインターホンを押す。


 ピンポーン。


「はーい!」

 返事はすぐに来た。扉の前で待っていたかのように出てきたのは真人たちよりも年を重ねた奏時だった。


「……こんなにわらわらと」


 びっくりした様子の奏時が真人たちを見る。


「奏時を解放しに来てやったぜ!」

「やれるもんならやってみろよ。返り討ちにするぞ?」

 奏時は急な事態にも勝ち気な態度を見せる。


「なあ真人? 奏時はなんであんなに余裕あんだよ?」

「大丈夫大丈夫。はったりだ! 耳を貸すな。あいつは今魔力がすっからかんだ。そして、俺も魔力が残ってない! だからお前ら三人で装置を解除しろ。いいな?」

「おうよ」

「分かった」


「えっと、雨川くん……」

 想が真人の様子を窺いつつ口を開く。


「おい待て、真人! 夢見さんにやらせるのか?」

「そう言ったのが聞こえなかったのか?」


「夢見さん頼む! やめてくれ! これは犯罪行為なんだ! やったら君が捕まる!」

 奏時が荒ぶり訴え掛ける。


「夢見! それは噓だ! 法律が改正されて、16歳未満の場合、魔法を使った犯罪は無罪になる! 奏時を解放したくないのか? こいつは今は平気でいるけど、他の時間は電流で苦しめられてるんだぞ?」

「何やってんだ! 早くやれ!」

「そうだ! リンチすっぞ?」

 泰助と和田は既に装置の前に行きあとは魔力を込めるだけだ。


 急かされるが、想にとって信頼のおける言葉など一つしかなかった。

「私はやらない。できない。ごめん、雨川くん」


「いいんだ! それで! 僕は電流なんて流されてない! そんなの嘘だ! 真人の言うことは信じるな!」

「うん!」

 涙しながらも、固く決意した夢見想は強かった。

 この後、自分が苦しむことになると分かっていても揺らがない。


「こんの……どけ!」

 真人は無理と知っていながら魔力を注ぐ。


「くそっ! なんでこんなことに」



 雨川奏時は真人の異変を感じ取っていた。

 それは彼が持つ《感情認識かんじょうにんしき》という魔法で得られた情報だ。真人からは感情が感じられない。正確には彼自身のものではない感情が混じっていた。


(真人がたぶん、誰かに操られてる。でも誰に? 俺を解放したい誰かがいるのは間違いない。とにかく今は追い払わないと)


「おい、真人! このままでいいのか? お前の主がどうなっても知らねえぞ?」

「な、なんでそのことを……」

 奏時は少しの賭けをしたがビンゴ。捲し立てる。


「お前の主はさっき僕のとこに来たよ。詳細は省くけどもう死んだかもね」

 奏時は淡々と伝える。


「詳細を省くんじゃねえ! どういうことだよ!」

「もう出てったぞ。急いだ方がいい」

 奏時は適当にある方向を指差す。


 この施設は道が入り組んでおり、そう簡単にすれ違うことはない。


「お前の言うことが信じられるかよ」

「信じないのは勝手だけど、主は死ぬ。ただそれだけだ。それにまた戻ってこようと思えば戻ってこれるはずだ。ここまで言って留まるバカはいねえよなぁ」

「くそっ!」

 真人は頭を回転させて退避の決断をする。


「お前ら行くぞ」

 真人は猛ダッシュで駆けていく。


 それにつられて泰助たちも奏時の様子を窺いながらそれを追う。


「待てよ真人!」



 奏時は夢見想をそのまま連れていかせた。


 罪を犯させるより、乱暴される方がましだという考えでは決してない。

 相原真人を操る者は夢見想に乱暴なことをさせるとは思えなかった。


(おそらく、暴力を振るって従わせるよりも、あくまで有効な関係を築きたいはずだ。人を操るのは一人が限界だ。真人を操るだけで手いっぱいだろう。泰助は真人の言うことは必ず聞く人間だ。真人が止めれば暴力もやめる)


 そう言い聞かせて奏時は自身を正当化した。




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