崩救神陸─希望も絶望も全ては仕組まれたものだった─

遥 述ベル

第1章 始まりの七人

第1話 歯車は回り始めている

 小学五年の冬休みが迫ってきていたある日。実家から電話がかかってきた。

 俺は祖父母宅で過ごしていた。


「もしもし」

思恩しおん、実はね、悲しいことがあったの。聞いてくれる?」

「いいよ」

 重苦しい空気が電話口から漏れ出ているのが感じられたが、いまいちピンとこない俺は何も考えずに返事をする。


「お父さんがね、余命宣告されたの」

「父さん死ぬの……!?」

「そうね。長くてもあと一年だって」


 言われてもピンとこなかった。


「またそっちに行くからその時ちゃんと話すけど、心の準備はしててね。ごめんね、思恩」

「分かった」



 俺は夢を見ている気がしたけど、それは現実で、一向に夢から覚めることはなかった。


 そして、父さんは半年後に天国へと旅立っていった。

 父さんは予定よりも早く逝ってしまったので、きっと思いの外弱っていたんだと思う。


 俺は子供なりに父さんの分まで頑張ろうと思ったのを覚えている。



 ◆



 夏の日差しがきつくなってきた7月11日、教室の窓側の席で閑散なご様子の太陽の日を浴びながら俺は汗ジミをつくったシャツを脱いでブラジャーを着けていた。



 なぜなら今日は俺の誕生日だから……って言うと意味が分からないが、でも着けないと俺は永遠に家に帰れない。


 クラスメイトの相原真人あいはらまことは俺を真正面からじっと見つめている。目を細めながらにやけが止まらない様子だ。

 そのにやけは我慢の限界を突破し、あっはーー、という吹き出し笑いに変換され俺の耳に入ってくる。屈辱だ。死にたい。


 その隣には相原の犬、ではなく親友の中田泰助なかたたいすけと紛うことなき相原の下僕である和田憲示わだけんじが机に座って笑いを必死にこらえている。


「やっぱりXLにして正解だったわー! はっは! 最高! どうですかブラジャー評論家の中田さん?」

「やはりこのデブサイズで考えると、ムチムチ感が極めて強い! レースを取り入れていることでセクシーさが出ている。これはデブラジャーオリンピックで金メダルも狙えるのではないでしょうか」


 子供っぽい見た目のくせして真顔でブラジャーについて語る中田に相原と和田は腹筋崩壊している。そして、上があるということは、当然下もあるだろう。というかもうそれは相原の手の中に収まっている。この後の展開はつまりそういうことだ。


 そして、俺のファッションショーを楽しむ三人とは別に教室の扉の近くで先生が来ないように見張っているのが、今年の4月に転校してきた上田洸汰うえだこうただ。


 上田が扉の近くで見張っていることは、いじめ中であることを意味しておりこれは学年全体に自然と周知されている。わざわざその空間に入ってこようとする者はいない。先生が来た気配を感じたこともないため、もしかしたら先生からも俺は完全に見放されているのかもしれない。別に来てほしいかと言われるとそういうわけでもないのだが……。


 そんな見張り役の上田はイケメンだが、嫌みのない爽やかさで男子からも頼られるまさしく理想的人格を持っている存在だ。

 学力テストは一桁順位、運動神経抜群のパーフェクト人間である。

 廊下から熱を帯びた空気を感じながら汗を滴らせている横顔も秀麗だ。


 なぜこの完璧さを誇っているのにもかかわらず、相原に付き従っているのか心底謎である。しかも、俺と二人で話す時にはいじめられている俺を気遣ってくるのだ。



 ◆



 この間の放課後、相原たちは部活があるため、いじめ待ちをしていると上田が来た。


「思恩、最近だいぶ過激になってきたけど大丈夫か? ……って大丈夫なわけないよな」

 そこには悲壮な顔つきがあった。


「助けなんてもう諦めてるから……。正直いつ死ぬかばっかり考えてる」

「そっか。でも俺も昔、親から虐待を受けてたけど、今は幸せだしもう少し粘ろうぜ」


 彼の言葉と表情には不思議と力がある。それはただのイケメンオーラではない。本心からの言葉だと俺は感じている。そこに悲痛さと憤り、今という日々への感謝、全てが滲み出ていた。


 本当は恨むべき相手かもしれない。でも、見て見ぬふりをしているクラスメイトやビビって離れていった友人たちよりも俺に希望を与えてくれる存在が上田洸汰だった。


 きっと彼も相原が怖いのだろう。俺が上田だったら同じようにしていた気がする。

 俺もイケメンに生まれれば上田みたいになれる世界線があったのだろうか。



 ◆



 俺へのいじめは始業式の日から始まった。きっかけもクソもない。チビでデブだったからだ。

 元々、相原は常に誰かしらをいじめる人間だと有名だ。そこにはもれなく中田も付いてくる。

 俺のあだ名はその日から「恥部」になった。「チ」ビでデ「ブ」だかららしい。中学生のくだらない言葉遊びは嫌で嫌で仕方がない。


 クラスの雰囲気はその日確定した。いじめる相原、中田、和田。いじめられる俺。その他観衆&傍観者。

 上田は4月末頃には相原に付き従うようになっていた。


 一方でこのまるで別空間かのように行われるいじめとその他のクラスメイトの和気あいあいとしたこの社会は異常だ。誰が見てもそう思える。

 にもかかわらず、これがこの社会の秩序なのだ。俺が土下座の練習をしていても、黒板消しでメイクをされていても、金を渡していてもそれは他のクラスメイトからすればただの映画のスクリーンの中の話でしかない。


 さすがに俺の女性下着姿を見たい者はいないらしいが。


 この異常な社会で俺が生きていける最大の理由は夢見ゆめみさんとの文通という癒しがあるからだ。

 夢見さんは俺にとって癒しの存在で、俺は校内で行われた吹奏楽部の演奏の時に夢見さんを一目見て好きになった。


 彼女は俺を見捨てずにいてくれている。

 俺の今年のピークは間違いなく夢見さんと同じクラスだと分かった瞬間である。


 文通は夢見さんから来たのが始まりだった。

 それは俺が去年の9月に夢見さんに告白してフラれた一週間後のことだった。


 彼女のサラサラな黒髪ストレートは穏やかに流れる滝のようでその下でなら誰もが滝行を敢行するだろう。顔は小さいし、とにかく線が細く、おどおどとした雰囲気も持っていて守ってあげたい気持ちにさせてくる。穢れの知らない茶色い瞳は透き通っていて、目の合った者はどんなに不浄な身でも精白になる。


 そんな彼女はフラれた傷が癒えていない俺に気を遣ってくれたのだろう。

 丁寧に告白が嬉しかったことを手紙で送ってくれたのだ。それが噓であったとしても、俺が縋るのにちょうどいい頑丈な藁だった。


 そして、まずは文通友達から始めることになった。

 俺は勝手にまだ付き合えるチャンスがあると思っているが、もう一度告白する勇気があるかと言えばノーである。一度この味を知ってしまうと失うのは恐ろしい。


「好きな食べ物は?」「数学のテスト難しかったよね。」

 どんな言葉でも、これは俺と夢見さんだけのやり取りであり、二人だけの時間を作ってくれているということは間違いない。死にたくても死にきれないよ、こんなの。


 そう考えると、上田がそこにいることで、夢見さんがこの無様な俺の姿を見ることはないので、それがせめてもの救いだ。

 夢見さんに俺がいじめられているのはばれているが、この格好だけは見られたくない。


 俺へのいじめは校内でとどまらなかった。校外でのいじめもエスカレートしていった。

 休みの日も俺はいつも呼び出しをくらった。


 最初はお金をせびられた。そして、そのお金でパシリをさせられていた。その金額はどんどん跳ね上がり、今では母さんの財布からお札を盗み取るようになった。すぐに気付かれるだろうと思っていた。

 でも、母さんはいまだに父さんの死と弟の奏時かなとの自殺による精神的ダメージでそれどころではないのかもしれない。


 さらに、6月にはカエルパクパク、3パクパク、合わせてパクパク、6ゲロゲロごっこや、豚に真珠大作戦、7月に入ってからは、野外露出を強制され、その写真がクラスにも流出した。


 そして、今日俺が渡したお金で相原は俺の誕生日プレゼントに女性用下着を買ってきて今に至る。よくもそんな気力が起こるものだ。


「下も早く脱げよ」

「い、いやだ」

 俺の必死の拒絶はあまりにも弱々しかった。


「しょーがないなぁ、泰助手伝え!」

「了解!」


 相原と中田が俺のズボンを必死に脱がそうとする。


 俺はもちろん抵抗する。またクラスメイトに画像が晒されるのは避けたい。万が一夢見さんの目に入ろうものなら……。


 もう既に上を着けさせられていたが、まだ、写真は撮られていない。

 相原のスマホがポケットの中に入っていることを確認する。中田のポケットにも。


 和田と上田はスマホを学校には持ってきていない。となると、この二人のスマホを抜き取り窓の外にぶん投げる。それしかない。


 しかし、俺のささやかな抵抗は無謀だった。

 ズボンを脱がそうとする二人はしゃがんだ状態で引っ張ってくるため、俺の腕はポケットにかすりもしない。瞬時にその計画は諦めざるを得なかった。


「まじで、ほんとにやめて!」

 椅子や机がなぎ倒されながら、俺は必死にズボンを上げようとしていたが、そのことに意識を向けるあまり、足が動いておらず、上体だけが後ろに傾いた。

 そして、机の角に後頭部を思い切りぶつけ、動きを止めたのが最後、後は2対1の構図のまま、俺はブラジャーのみの姿になった。


 俺は痛みに悶絶しそれどころではなかったが、痛みが引いていくとその無様さに恥ずかしさが改めて込み上げてくる。


「全裸よりきめえな。まじきもい! 傑作だわ」

「どうするよ真人! これも一回撮っとく?」


「ブラのみと、下のみと、両方バージョン全部撮ろうぜ」

「おめーには聞いてねえよ、和田」

 きもいのはお前らだ。こんなこと、目をギラギラさせながらやれるのは、明らかに変人しかいない。


 こいつらはこんなことでしか快楽を見出せない。まだ俺はこいつらを見下せてる。まだ俺は正気なんだ。

 そう言い聞かせないと、俺は狂ってしまいそうだった。今すぐにでもこいつらを縛り上げて大きな鍋で煮込んで苦しんだ状態で殺したい。


「奏時の時みたいにさ、校内この格好で歩かせようぜ」

「は……?」



 俺は聞き間違えた。間違いなく。そうじゃないとおかしい。

「奏時の時みたいに」なんて言葉、出てくるはずがない。



「おい、真人」

「あ、やべ言っちゃった」

「ほらー、恥部が思考停止しちゃったよ」


「まあもうよくね? 時効だよ、時効」

「ひっでー。さすが真人、容赦ないわー」


「おい、恥部! 知ってたか? お前の弟が死んだ理由?」



 おかしい。何かがおかしい。

「俺たちがいじめてたからなんだぜ?」



 噓だ。だって、奏時は自殺で、遺書には将来への不安から逃げたかったからこの世を去るって書いてあったはずじゃ……。本当の原因はこいつらだったの……?


「もしもーし! 恥部! おい、恥部! ダメだ、死んでるわ」

「あいつは本当にいい奴だったぞ、イケメンなくせして、まー無様で」

「俺もそれに参加したかったな」


「和田にも画像は送ったじゃん? 動画も送ろうか? 後で」

「おう、頼むわ」


 三人はたわいもない話をするかのようなテンションで何の後悔もない表情をしている。


「………………」

「どうした恥部? そんなにショックか? しょーがないなー。じゃあ特別にお前にも見せてやるよ、奏時のあの見事な犬っぷり! まじで傑作だったぞ」

 オススメの動画を勧めてくるかのようなトーンで相原は俺にずいと近寄る。


「ふざけんな」

「は? 聞こえねーなー」

 相原は自分のスマホを取り出している。


「ふざけんな!! お前ら絶対に許さない!! 死ね!!」

 俺は相原からスマホを奪い取り窓の外に放り投げた。


「おま、な、ふざけんなはこっちのセリフだよ! 俺のスマホどう弁償すんだよ、おい!」

「うるせえだまれしね」

 俺は冷静さと怒りが混ざり合った声色で言った。


「お前真人に何舐めた口聞いてんの? 死ぬのはお前だっつーの!」

 その瞬間俺は中田のグーパンを腹に思い切りくらった。テニス部のパンチは俺の怒りを増幅させた。そこからはもう無茶苦茶だった。


 帰宅部の俺がテニス部のエースコンビに喧嘩で勝てるはずもなく、フルボッコにされた。

 でも、残ったのは痛みよりも憎しみだった。


 もう、自分のことなんてどうでもいい。

 朦朧とした意識の中でなんとか這いつくばって制服を回収しながら、俺は決意した。奏時を追い込んだ奴らがいることが分かった。そんな奴らがのうのうと生きていていいわけがない。


 殺してやる。どんな手を使ってでも、あいつらを地獄に落としてやる。



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