第2話 捌け口

 奏時はいつからいじめにあっていたのだろう。そんな素振り一切なかった。そんな知りたくもないことを考えながら、俺は帰路につく。

 なんで気付いてあげられなかったんだ。後悔と憎悪で胸が締め付けられる。


「ごめん、ごめんな、奏時。奏時は天国にいるよな。俺があいつらを地獄に送ってやるからな」


 時間が経って落ち着くと、涙が止まらなくなった。

 落ち着いている自分にも腹が立つ。

 奏時は俺の知らない所で辛い思いをしていたんだ。奏時のことは双子の兄である自分はよく分かっているつもりだった。


 でも、自殺した奏時を見た時には、それが俺の思い込みだと知った。

 そして、奏時の遺書を読んでまた、奏時のことを知った風に感じていた。奏時は悩みがあってそれが原因であんなことをしたんだと思っていた。その時も何かしてあげられたんじゃないかと強く後悔した。


 ただ、今はそれ以上だ。奏時がいじめられていることにすら気づくことができなかったなんて兄失格だ。


 俺は時間をかけて奏時の決断に納得するように努めた。それも簡単なことじゃなかった。

 でも、俺が奏時の分も幸せになろうとそう決意した。これも、所詮空虚な、身勝手な俺の自己満足でしかなかったのだ。



 家に帰ってすぐに自分の部屋にこもった。

 スマホを開く。

 すると、中田からLIMEがきていた。


 泰助:見なかったら罰ゲームな

 泰助:動画が送信されました


 葛藤する。見ることが怖かった。俺の知らない、奏時が知られたくない光景がそこにはある。

 見ないと明日相原たちに追加で何かされるだろうという恐怖が混じる。それが保身による自己中心的な考えであることに気付く。


 俺は醜い。奏時よりも自分を優先しようとする邪な考えがよぎった。ダメなんだ。俺は変わらないといけないんだ。このままじゃダメだ。いじめに屈したら奏時に顔向けできない。


 だけど結局俺は小胆者だった。

 その恐怖に震え続けることに耐えきれなかった。一時的にでも楽になりたいという邪な考えに勝てなかった。


 中田からのメッセージを確認する。そこには10個の映像が送られてきていた。

 その内の一番目の映像を再生した。


 そこには、見たくもない光景が映し出された。俺がこの日着けさせられた下着の色違いを身に着けている奏時がいた。しかも、カメラに向かって土下座していた。音声を消す。途中で映像を停止する。


 あいつらが言っていることがでまかせであってほしかった。

「ごめん…………」


 あぁ、俺は何を見ているのだろうか。自分の明日のために弟を利用している。俺はいじめられて当然だ。どれだけ奏時を不幸にしたら気が済むんだ。俺に幸せになる資格なんてない。


 今は奏時のことを考えなきゃ。奏時のために俺は何ができる? 何がベストだ?


 そこでふと、一人の女子のことを思い起こす。


「神前さんも知らないよね」


 神前さんとは、奏時と付き合っていた彼女だ。


 神前奏かんざきかなで。俺は小学校が別で去年もクラスが違ったからそれまで面識はなかったが、去年の十月に奏時から彼女ができたと言われ、紹介されたのが神前さんだった。


 奏時と神前さんは同じクラスで、二学期にお互いが学級委員となり、その中で意気投合したらしい。

 彼女も奏時の自殺にはショックを受けていた。


 奏時からいつも笑顔でものすごく信頼できる人だと聞いていたが、奏時が亡くなった後に会った時にはその顔は別人のように青白く、俺は何度も何度も謝られた。


 奏時が自殺したあの日、一緒に帰らなかったことを神前さんは悔やんでいた。恋人の神前さんでも奏時がいじめられていたことは知らなかったのだろう。

 彼女に弱い自分を見せたくないと思うのは当たり前だろうが、どうして奏時は誰にも助けを求めなかったのだろう。


 その答えは俺が知っていた。だって、俺がまさに今いじめの対象だから。


 うちは優しく育ててくれた両親が俺たちにすごい期待をしてくれていた。本当に幸せな家庭に生まれてきたと思っている。


 だからこそ、親にはいじめられているなんて言えない。クラスメイトや友人も相原たちに怯えていて頼りになどならない。むしろ、頼るとその人に迷惑をかけてしまう。きっと奏時もそうだったのだろう。

 でも、俺と違ってあれだけ優秀な奏時がなんで、相原に目を付けられたんだ?


 怒りや疑問がごちゃごちゃになりながらも、俺は選択した。

 神前さんにLIMEでメッセージを送る。普段自分から話したことはない。


 雨川思恩:今話せる?


 返信はすぐに来た。


 神前奏:大丈夫だよ!


 俺は手を震わせながら通話ボタンを押した。


「もしもし、神前さん? ごめんね急に」

「いいよ、全然平気! どうしたの?」


 そこには俺が奏時から聞いていた神前さん像にあった、明るいはきはきとした声があった。それに相反するおどおどした声で俺は真実を打ち明ける。


 彼女には言わない方がいいかもしれない。きっと彼女はさらに後悔を募らせるだろう。でも、言わないといけないと思った。


「実はなんだけど……奏時、相原たちにいじめ、られてたみたいで……」


 単刀直入に言い過ぎてしまっただろうか。

 彼女の反応はすぐにはなかった。顔が見えないため、どういうふうに話を続ければいいか分からない。彼女の声がするまで数十秒程かかっただろうか。その間、俺は何も言えなかった。


「…………そう、なんだ。なんでそんなこと分かったの?」

 彼女の声も震えていた。涙していることも伝わってくる。


「中田から映像が送られてきて、その、なんていうか……」

「うん、いいよ。分かった。それ以上はいい。君の言葉を信用する。だって奏時のお兄さんなんだから」


 奏時は今の俺を見てどう思うだろうか。恨まれるかもしれない。醜態を見られる屈辱はよく分かっているつもりだ。俺が逆の立場なら辛くて穴があったら入りたくなるだろう。


 でも、もし奏時が俺の立場だったらきっとこうしていた。そう思う。

 俺は奏時のことを実はあまり分かっていなかったけど、そういう正義感を奏時は持っていた。


「……………………」

 またしばらく沈黙が続く。


「思恩くん、やろうよ、復讐」

 神前さんが涙声ではあるものの決意のこもった剛毅な声色で宣言する。


「え? でも相原たちには俺じゃどうにも」

「私も一緒だよ。思恩くんがやらなくても私はやる。思恩くんはどうする?」


「危ないよ。神前さんを巻き込みたくないし」

「それは私の計画を聞いてから考えてよ」

 それは自信ありげで愉悦の含まれる声に聞こえる。


「計画ってどんな?」

「それは今から考えるけど。まあそこは任せて!」


 てっきり神前さんにこのことを伝えると苦しみばかり与えてしまう気がしていた。

 俺の心配は見当違いだった。神前さんは俺が思っているより強い人なのかもしれない。この人なら信頼できるんじゃないか。そんな淡い期待を抱きながら俺は通話を終えた。


 しかし、冷静になってみると、復讐なんてなんの意味があるのだろうとも思えてくる。


 感情的になっている時はやってやりたいという気持ちにもなるけど、復讐なんてやった後のことが怖い。もっとひどい仕打ちが待っているに決まっている。


 それでも、神前さんの意見は聞きたいと思った。それに彼女も思い直してやっぱり復讐はしないと言うかもしれない。むしろそうなる気がしていた。彼女にもメリットなんてない。やっぱり巻き込みたくもないし、話を聞いた上で、もし何か提案されたら断ろう。丁重に断れば分かってくれるだろう。


 神前さんのことも詳しくはないけど、奏時からは優秀な人だと聞いている。おかしな選択を強引に敢行するような真似はしないはずだ。



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