第32話 白は塗りつぶせる
正暦10504年5月23日午前5時。
起きるとそこは白い壁に囲まれた部屋だった。
小屋の一室で寝ていたはずだったけど……。
俺は白い台の上にいた。どこを見ても白くてまた別世界に来たかのように思えてきた。
「すみません」
怖気に負けて大きな声は出なかった。何か良くないものを引き寄せる気がした。
それからは一言も発することなくしばらく待った。
扉もあったが、開ける勇気が出なかった。突然の事態にも意外と冷静な自分がいた。
このところは信じられないことばかり続いているので感覚が麻痺しているのかもしれない。
ひとまず静観して考えてみる。俺はまた死んだのか。それとも、ここに連れてこられたのか。寝ている間に何かあったのは間違いない。小屋は鍵がかかっているわけではないので、侵入し放題だった。何が起こっていても不思議ではない。全ての可能性があると思うと、考えても仕方ないという結論に至った。
「現状できることは扉を開けて外に出るか、ここでじっとしているかの二択か」
ぶつぶつと呟きながらまた思考する。
「行くしかないか」
勇気を出して台から下りる。
すると、扉の向こうから小さく声が聞こえる。
次の瞬間扉が開いた。
そこには初老の男性が立っていた。その白髪は整っていて清潔感がある。
その横には丸眼鏡をかけたすらっとしたこちらも白髪交じりの背筋のピンとした男性がいる。
「起きていたか」
見た目とは裏腹に芯の通った声が初老の男性から発せられる。
「悪いがいきなり命令させてもらう。君には前世に戻って君の母親を連れてきてもらいたい」
「えっと、どういうことですか?」
訳が分からなかった。いきなりにも程がある。そもそもこの人はいったい誰なんだ?
「君は君の母親のもとへ行きこう伝えてくれ。息子の奏時と夫の
「なんで奏時のことを……それに父さんも」
「まあ説明はしてやるさ。私たちの目的は雨川奏時君の解放だ。そのためには君たちの母親が必要だ。なぜ母親なのかは彼女から聞いてくれ。君たちの父親については、雨川奏時の中にいる。これでもまだ意味が分からないだろうな。君の両親は元々寿命を延ばす研究をしていたのは君も知っているか?」
「知ってますけど……」
この人はなぜそんなに詳しいのだろうか。俺はこの人のことを知らないのに。
「それは人類のためではない。君の両親は自分たち二人だけが寿命を伸ばせればいいと思っている。残念ながら君の両親は君が思っているほどいい人間ではない。だが、母親については奏時君を救うには必要な存在だ。父親は先ほど奏時君の中にいると言ったが、これは両親の研究内容を話せば分かるだろう。二人がやっていたのは奏時君の中に魂を移植して自分の魂が奏時君の魂を飲み込むようにするというものだ。それは成功したようだ。きっと君の母親は父親が奏時君の魂を完全に飲み込んでから父親に君の中に移植をしてもらおうとしていたのだろう。二人の仲の良さは君も知っているだろう? 二人は永遠の愛を目指していた。だから母親は夫がここにいると知れば飛んでくるだろうということだ。急に話したから整理はつかないだろうが、時間は迫っている。すまないが、一時間後には行ってもらいたい」
「なんであなたはそんなにうちの家族に詳しいんですか?」
この人が何を言っているのかさっぱりだ。疑問点も多すぎる。
「それはまたの機会に話すとしよう。君もこれ以上のことを知ると余計に混乱してしまうだろうからな。だが、知っていてほしい。私たちは君の味方だと」
「僕にはできません」
俺は怖くてはっきり告げた。こんな怪しい人に従う勇気はない。
「大丈夫だ。元の世界に戻ることは確実に成功する」
「そういうことではないです。奏時は解放しなくていいと言っていました。だから嫌です」
奏時の意思は変えたくなかった。俺は優柔不断で流されやすい人間だが、奏時の決めたことまで、コロコロ変えるようなことは絶対にしたくない。
「そうか。では、こう言ったらどうかね? 奏時君は今ほとんど君の父親になっていると。もう《
「奏時が父さんってどういうことですか?」
「そのままの意味だよ」
「はあ」
話についていける気がしない。
「困ったね。事実は事実なのだが。それじゃあこれでどうだい? ひとまず、母親に話を聞いてみてくれ。その時に君が決断すればいい。母親を連れて帰るかどうかを。君自身も帰ってきてもいいし、帰ってこなくてもいい。これで手を打ってくれないか?」
確かに母さんにもう一度会うことができるなら会ってみたい。
でも、前世に戻れるとも到底思えない。
しかし、俯いて考えていると、次の瞬間、強い衝撃が身体中に走り俺は気を失っていた。
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