19.夏野菜の訪れは【トマト】


 唐突だが、俺はいきなり涙を流していた。

 じわじわと流れる涙。いや、俺は酒を飲むと涙もろくなる性分だが、これはそういう涙ではない。


 何故か、俺ときたら今日も今日とて、メシを作っている。

 しかも、例の三人組のためだ。

 まず三白眼が現れて、

「ねーねー、ジャキジャキー、夕飯奢ってよ。きいたらさ、リーフィちゃん、今日昼から休みなんだって。リーフィちゃんのいない酒場行ってもつまんない」

 と言って帰る。俺は理不尽ながらやつのことだから仕方あるまいと思った。と、次に申し合わせたようにやってきたネズミが、

「旦那、オレ、家庭的な料理が食いたい気分なんだよー。小料理屋もいいけど、旦那のご飯もなかなかこう庶民じみてていいというか、なんかおふくろの味感あるよな。絶対おふくろの味と違うけど。ぎゃはは」

 叩き出したくもなりつつ、まあそれも不憫かとういけれていると、それをみていたらしい蛇王が現れにやりとした。

「エーリッヒ、今日は栄養のあるものが食いたいな。どうせ、あの二人にメシを作るんだろう。余っては困るだろうし、俺の分も増やしてもいいぞ!」

 いや、そんなに余りはせん! 俺はちゃんと必要量で作る!

 イラァっとしたが、三人は俺が小言を言う前にさっさと姿を消していた。

 それで俺は市場に行き、材料を調達し、昼も早くから夕飯の準備をしている。

 なんとなくこの理不尽さにも慣れてきた。

 だが、俺が今ぼろぼろに涙ぐんでいる理由は、それがふがいないからでも、奴らのふがいなさが腹立たしいからでもない。

「な、なんだ、こ、この玉ねぎ、効きすぎではないか」

 今日は玉ねぎがとても安かったのだ。

(本当にいつもの玉ねぎなのだろうか。なにか玉ねぎ似た劇薬では? それとも、俺の目が脆弱?)

 今日は肉を甘酢で煮込んだ料理にしようとして豊富にあった玉ねぎを刻んでいるところ。しかし、刻んだ玉ねぎが不覚にもかなり目に染みてしまい、俺は涙目になっていた。

 玉ねぎがなぜ染みるのか知らぬが、とりあえず、俺が歴戦の戦士だろうと、目だけは鍛えようがないのもまた真理だ。

「完全に玉ねぎの汁に毒されている。これはいかん、一度目を洗おう」

 手ぬぐいでふいた程度ではどうにもならず、俺は冷たい新鮮な井戸水を使おうと外に出ようした。と、ふいに人影が現れて、相手が「あら」と声を上げた。

「ジャッキールさん、どうしたの?」

 無表情ながら、多少驚きの感情表現を加えた声。いつの間にか入口に、かごを抱えたリーフィ嬢が立っていた。

「お、おお、これはリーフィさん」

「どうしたの? そんな泣きはらして」

「うお!」

 思わず普通に挨拶しようとして、それを指摘されて、俺はやや慌てる。よりによってリーフィ嬢にこんな姿を見られるとは不覚の極み!

「ち、違うのだ。こ、これは、その、特売の玉ねぎがっ!」

 そうこたえると、リーフィ嬢は笑うこともなく、ふむ、とばかりにうなずいた。

「ジャッキールさん、切り方うまいのに珍しいわね。飛散具合が悪かったのかしら。それとも玉ねぎの成分の個体差?」

 とぼんやり言いつつ、

「目を冷やしたらいいのではないかしらね、座っていて。冷水汲んでくるわね」

「あ、いや、そこまで重症ではっ、リ、リーフィさ……っ」

 リーフィ嬢はかごをそこに置くと、井戸に走っていってしまうのだった。ああみえて、なかなか行動的な娘なのだった。

(リーフィさんに面倒見られるとは、今の俺、ものすごく格好悪くないか)

 しかし、俺がうろたえている間に、リーフィ嬢はさっさと桶に水を汲んで戻ってきてしまうのだった。


 *


「さ、先ほどはすまなかった。リーフィさんに水くみまでさせてしまったうえ、残りの玉ねぎも切ってもらうとは」

 冷水を絞った手拭いでなんとか回復したものの、泣き顔をみられた上でのこの事態、もはや恥の上塗り。

 俺は内心、そこそこ動揺しているのだったが、リーフィ嬢は相変わらず女神のように美しく、しかし、表情を読ませない無表情さで俺の前に座っている。多分気にしているのは俺だけだ。

 リーフィ嬢にとっては、俺の涙は「玉ねぎの成分により涙を分泌する器官が刺激されて起こる生理現象ね」くらいの機械的感想しか浮かばないものなのであろう。

 俺は料理を中断し、彼女の前にお茶を出していた。

 どうせ例の三人組が来るのは夕方で、俺が準備を始めたのはまだ昼を過ぎてすぐ。煮込み料理は時間がかかると思い、早めに始めたものだから別になんとでもなる。大体、やつらのメシよりリーフィ嬢の方が大切だ。

 ちょうどリーフィ嬢が良いお菓子を持ってきてくれていたので、皿に出す。ふんわりさくさくとした生地の焼き菓子だが、中の果実を煮詰めたジャムが甘くて美味だった。

「いいえ、ジャッキールさんの包丁はとても使いやすいもの。時々使ってみたくなることがあってね。楽しかったわ」

 半分本心でいっているようだが、それでも気を遣われている。ちょっと申し訳なくなる。

「そういえば、シャーからお話きいたのだけれど、香料を持っていそうな子供たちの素性がわかったのね」

「ああ。奴から聞き出してもらってな」

 リーフィ嬢はお茶をゆったりと飲みながらそう切り出してきた。

「どうやら彼らと旧知のエニーという男が、あの兄妹にものを渡した張本人のようなのだが、その人物についての情報がまるでない。一度、兄妹の家を張り込んでみるべきか、とも思っているのだが」

「そうね。けれど、危険も伴うわね」

「うむ。俺では目立つから、それは三白眼に頼もうかとも思っていて」

 やはりリーフィ嬢とは安心して話せる。

 俺はあまり女性と話すのが得意ではないのだが、彼女は美しい容姿をしている割に、謎に雄々しいところもあってさらりとしているので、なんとなく気が楽だ。

 俺も男の端くれではあり、綺麗な女性の前だと、多少の格好もつけたくなるものだが、リーフィ嬢の前では少しの弱音なら吐けるものだった。(とはいえ、流石に、玉ねぎでぼろぼろに泣きはらしているところだけは見られたくなかったが)

「なかなかこういう状況になると、俺のようなものでは対応の難しいこともあると感じている」

 俺は目を伏せた。

「本当はあの兄妹のような子を、直接助けてあげられるのが一番なのだがな。俺にできそうなのは、せいぜいあの兄妹が役人に突き出されないよう、できるだけ表沙汰にしないことくらいで……無力だなと思うのだ」

 俺はお茶を飲みながらため息をついた。それを見て、リーフィ嬢が言う。

「ジャッキールさんは、優しいわね」

「いや、そうでもない。俺は結局流れもので、親身になってやれるわけでもなく、他にどうしようもない。何かしたところで偽善であろうし」

「いいえ。私、やっぱり、ジャッキールさんをこの仕事に選んだ人の判断は間違っていないと思うのよ」

 そういいつつ、リーフィ嬢はうっすらと微笑んで俺にそう言った。その微かな微笑みに、俺は少し救われた気がする。

「その男性のことはわからないとはいえ、ジャッキールさんが銭湯できいたというお話もちょっと気になるわね。そちらはどうかしら」

 リーフィ嬢がそう尋ねてきた。

 そちらも続報はない。そもそも俺が浴場にいたので、相手を追えたわけでなく声しか聞いていないので、手がかりはあくまで話の内容だけだ。

「あれは、俺が追求をし切れていなかったので、関係があることなのかも自信はないが」

「けれど、話的にはそれらしいと思うの」

 とリーフィ嬢は顎に手を当てて考える。

「犯人は薬草や香料を扱っているお店に取引を持ちかけるのは、足がつきそうでまずいと判断したのでしょう。となると持ち込むお店は限られてくる」

「兄妹はアイード殿の店でも、それらしい話を振ったと言うから、確かに他業種にも打診している可能性はあるか」

「アイードさんは、彼の性格的に、多分頼みやすかったんだとは思うけれど。それでも飲食店では、なかなか成果は出なさそう。子供に頼んで打診してみたけれど、効果はないので他にも営業したのではないかしら。そういう意味では、石鹸関係は目の付け所としては良いのかも」

 とリーフィは、唸った。

「石鹸に精油を混ぜると、香りをつけることができる。彼等は香料の仕入れ先をもっていることが多いわ。しかも、その会話を考えるとその先のこともあるのではないかしら。……一度石鹸業者を通したりして、出所わからなくしてから、転売できる先すらありそう。そういうところと繋げたいんじゃないかしらね」

「ふむ、なるほど! それなら、一度関係を洗浄できるな。しかし、そんなことに飛びつく相手の筋はあまり良くなさそうだが」

 ふむ、と俺は唸る。

 そのエニーという男は、話を聞く限り、熟練した商人の気配はない。

 もちろん、俺にこの仕事を依頼した狐目の隊商のような百戦錬磨ではないだろうが、片手間に仕事に携わるネズミと比べても経験が浅そう。

 そんな素人に毛が生えたような男が、危ない橋を渡って大丈夫なものだろうか。

 いや、子供達を危険に晒したような男、心配する必要はなかろうが。

「ジャッキールさんも知っているかもしれないけれど」

 とリーフィ嬢は切り出した。

「ここから北の方に高層建築の並ぶ地域があるでしょ。あそこは太内海沿岸部出身民族の商人たちが暮らしているのだけれど、そこの商人には地域柄、産地とつながりがあって石鹸を専門的に卸している商人がいるわ。そのあたりを探ってみるのもよいのではないかしら。ことが石鹸に関することなら、ジャッキールさんも好きなことだし、気楽に話ができるから、聞き出せることもあるかも」

「そういえばそうか! 俺が顔なじみの石鹸を売る店もそのあたりにある」

 俺はうなずいた。

「ありがとうリーフィさん。一度、そのあたりも訪れてみよう」

「少しでも情報が手に入ると良いわね」

 と、俺はリーフィ嬢がなにやらたくさん入ったかごをまだ隣に置いたままなのを見た。中身が何かわからないが、かごにはたくさんのものが入っているようで、なんであろうか。その視線に気づいたらしく、リーフィ嬢が、ああ、と声を上げた。

「そうだわ。すっかり忘れるところだった。今日、ジャッキールさんのところに来たのは、お話を聞くためでもあったけれど、ちょうど、お野菜がたくさん手に入ったからみんなにも食べてもらおうと思って立ち寄ったのよ。でも、忘れてそのまま帰るところだったわ」

「野菜?」

 まさか、俺と同じ玉ねぎでは? いや、リーフィ嬢にも多少天然ボケなところはあるのだが、流石にそれはないか……。

 と思っていると、彼女が出してきたのは、紫色があでやかなナスと、そして丸くて大きな赤い果実のような野菜、トマトだ。

 この地域でもトマトはとっくに伝来し、食用に供されているのだが、それでもまだ珍しい方だ。特に、この近年品種改良されたという甘いトマトはさほど出回っておらず、俺も普段は料理に用いない。

 しかし、ナスとともに夏が旬であるということは知っていて、俺はちょっと気持ちが上がる。

「おお、これは珍しい品種。確か甘みが強いという?」

「そうでしょう。これは知人の畑でとれて、知人が趣味で品種改良しているものなんだけれど、作りすぎたらしいの」

 また来たか。

 ここで出てくる、リーフィ嬢の謎の知人。理系女子の彼女であるが、彼女の師匠筋にあたる知人達はつくづく謎の人物が多い。珍しい観賞魚を育てていたり、こういった植物を趣味で品種改良していたり。そう、"趣味で品種改良"なのだ。気にしても仕方がないが、やはりただものではないのだろうな。

「しかし、ナスとトマト、そして切って水でさらしている玉ねぎ……。となると」

 と俺は途中で切り上げた料理について考えていた。本当は甘酢煮込みを作ろうとしていたが、食材も手に入ったことだし、予定を変えてもよいかもしれない。

「……これは、坊主も気絶するとかいう料理が作れるのでは」

 確かあれは、ナスにトマトで作ったものを詰めてやわらかくなるまで蒸したものだったはず。俺は作り方はうろ覚えだったが、こういうことはリーフィ嬢のことがよく知っていそうだ。

「あら、それは良いわね。あれ、美味しいのよ」

 リーフィがかすかに笑う。

「よかったら、私も手伝わせていただこうかしら。今日は昼から休みだから時間も大丈夫よ」

「それは助かる。どうせ夕方になると奴らもくるのだし、リーフィさんも、一緒に夕飯もどうだろうか」

 リーフィ嬢と料理をしたり、作りすぎた総菜の交換をするのは、実は俺のひっそりした楽しみだ。

 となると、三白眼を中心に男どもから盛大に妬かれ、権利の濫用だの抜け駆けだのと盛大に言われるが、全員が全員自分の分野で抜け駆けしているだろうし、一方的に言われるいわれはない。

 ネズミはよく喫茶店に誘っているし、蛇王は勝手に家に押し掛けて釣ってきた魚を調理してもらっているし、三白眼はいうまでもなく付き纏っているし。

 それに比べると、俺には奴らほどの下心はないはずだ、絶対!

「それでは私はナスの準備をするので、ジャッキールさんは玉ねぎとトマトの準備をお願いね」

「ああ、わかった」

 俺はそう答えて香辛料を料理し、例の波紋の美しいお気に入りの包丁を手にした。先ほど散々泣かされた玉ねぎをさらに細かく刻む。

 さすがにそれはもう俺の目を傷めることはない。

 先ほどは散々だと思ったが、こうして一緒に料理ができて気分転換もできるとなると、玉ねぎが染みることもまんざら悪いことばかりでもないな、と、太陽を浴びて真っ赤に熟れたトマトを手にして思うのだった。

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