3.飛んだ香りの行き先は【飛ぶ】
「飛んだ?」
と、向かいの席に座って、珈琲を飲みながら俺の話を聞いていたアイード殿に尋ねられて、俺は頷いた。
飛ぶ、というと、俺達の世界では"そういう"ことだ。アイード殿にも、もちろんちゃんと伝わっている。
「組合の取引でな。その舶来ものの商品を含む高級商材を、その隊商が代表としてかなり有利な条件で買い付ける契約をしたらしいのだ。そして、輸送の手筈は別な商人に任せ、自分は別の仕事に当たっていたわけだな」
「へえー、その人、すんごいやり手だね」
そう、実際やり手な男なのだ。あの狐目の男は。
「てことは、輸送係を手配した商人が人選をやらかして、部下に飛ばれちゃったとそういうことかい?」
流石にアイード殿は理解が早い。
「まさに、その通り。隊商にしてみれば、寝耳に水の話。苦労も水の泡だ」
「それじゃあ、その依頼主さん、相当怒ってたろうな」
「もちろん。許すはずもなかった。方々手を尽くして、探し回ったのだ。まあ、主犯はすぐに捕まったらしいのだが、そこからが問題でな」
*
「まさかあんなところで飛ぶような部下に、輸送頼むとか、本当あり得ませんよ。まったく、使えない野郎です。そもそも、裏切られたのもそいつが部下の恨み買っていたからですからね。せっかく、私が苦労にしてあんなに良い条件で買い付けてやったのに」
狐目の男は基本的に冷静な男で、普段はどうだか知らないが、俺の前では礼儀正しい。が今は流石に感情的になり、生来のガラの悪さがにじんできていた。イライラと膝においた手の指が動いている。
「そんな不埒なやつ、世界の果てまで追いかけてでも探してやろうと思いましたがね。意外とあっさり、ここの王都にいることがわかって捕まえられたんですけどね」
「ほう、では、品物が売られた先は見当がついているのでは?」
と俺が声をかける。
「王都広しとはいえ、そのような舶来物の珍しい品物。買う側も大変であろう。ある程度の足がつきそうなものだが……」
「もちろん、ある程度は追いかけられました。それで、ほとんどの壺や調度品などは回収できたのです。それが、あのクソ野郎はですな」
段々狐目の男の口調が荒れる。
「よりによって、もっとも高価なものを、まとめて今も行方不明の部下に、二束三文で売り払っちまいやがったんですよ。ふざけんな、あの野郎」
「レックー、口が悪いよー」
隣の相棒に嗜められて、ちょっと我に帰って「失礼」と咳払いしたあと、狐目の隊商は言った。
「嫌がらせだったのか、無知だったのか、とにかくロクでもねえやつでしてね。その後、持ち逃げしたやつがどうなったか知りませんが、どの道、価値なんてわかってないんでしょうよ」
「いくつかの転売先は見つかったんだけど、それも価値もわからず、雑多な商品を扱ってるとこだったみたいで。なんでちゃんとしたとかに売ってなさそうで、行き先がわからないんだよね」
と相方の大男が継いだ。
「でも王都から出ていないことは確かなんだ。王都に入ったのがわかってすぐに届け出だしたし、よっぽどうまく袖の下通してなかったら、門で止められてると思うんだよねえ」
「なるほど。確かに王都の出入りの際に、検問があるからな。怪しいものならその時に発見されるはず」
俺は頷いた。
「となると、価値もわからないままに転売されて、巷の市場に流れているとお考えか?」
「そうだと思うのです。我々が探しても良いのですが、モノがモノで見つけにくくてね。しかも、そろそろ我々も次の仕事があって都にいられない。どうしたものかと困っていたところ、ハイダール様に会いましてね。自分は門外漢であるが、貴方ならわかるかもしれないとおっしゃられるもので」
と狐目の隊商は続けた。
「それにジャッキール様が人物的にも適任かとは思うのですよ。それでこうしてお願いに上がった次第」
「わ、私ならわかるもの? 彼がそう言ったのですか」
俺はきょとんとした。
(俺は、正直、刃物の良し悪しくらいしかわからんのだが……)
流石に商売道具であり、個人的にも収集もしている刀剣については、ちょっとした程度なら目利きもできるつもりだが……。
(猛烈に嫌な予感がする!)
俺は慌てて尋ねた。
「い、一体、探し物とはどのようなものですか?」
「香料ですよ」
「は?」
「香料の原材料と精油です。大陸北方の出身の貴方なら、もしや親しみが深いのでは?」
へへへ、蛇王ー! 何を勝手に適当なことを! 俺が普段、香をまとっているわけではないことを知っているくせに!
天を仰いだとて仕方ないが。俺はあの男の呑気な髭面に拳を打ち込みたくなった。
*
「えっ、香料?」
アイード殿が、意外そうに声をあげた。
それはそうだ。俺も、最初聞いたとき「は?」と声を上げてしまったものだ。
「それは、確かに困るよな。俺もそうだけど、ジャッキールさんも、香水をつけないわけじゃあないし、人を出迎えるときにお香をたくこともあるけどさあ。詳しく知らないよね」
アイード殿の言葉に俺は全力で同意する。
「うむ、確かに雇い主の関係で、上流階級の催しに出入りするときは多少たしなみはあったものの、正直、まったく詳しくない。第一、そういう時も、俺は製品として出されているものを使っているだけだし、原材料等気にしたこともないし。確かに蛇王よりは知っているかもしれんが、まったく心あたりがない。あの男の野生の勘で解決する方が早い気がする」
そう。よりによって、蛇王のやつ、どうして俺を推薦するのだ。俺が依頼を受けてきても、蛇王に任せる仕事だってあるというのに、今回はどうも先方も俺を指名してきているのでかかわらないわけにはいかない。
「うーん、でも確かに、香料ってピンキリだけど、基本は高いからなあ。舶来モノしかない貴重な原料だってあるから、そりゃあ盗まれたもんは取り返したいだろうねえ」
アイード殿はうなずく。
「それなもので、その隊商も組合からの報酬もしっかり出るから、と俺に頼んできたのだ。報酬は成功報酬だが、俺と蛇王が一ヶ月は派手に遊んで暮らせるくらいの額と思ってくれていい。それを俺に払ってでもなお十分な利益が出るものであるという」
「それは豪気だなあ。香料でも、何を運んでいたのか、聞いたのかい」
「ふむ、運んでいたのは一種類ではないそうなのだ。しかも、原材料のまま運んでいたものと、抽出済の精油と、両方があるらしい。精油はガラス瓶に入った小さいもので持ち運びしやすく、原料は燃料の薪や薬草のような感じに雑多に混ぜられ、ざっくり売られてしまった気配もあるとのことなのだ」
俺は眉根を寄せた。
「特に、その中でも破格に高いものがあり、それだけでもいいから回収してくれたら報酬は約束通りと」
「破格に高いのもの?」
「バニラだと聞いている」
「ほほーなるほど」
アイード殿は、嘆息を上げた。アイード殿はさすがに詳しいらしい。
バニラとは、あの甘い独特の芳香を放つ香料だ。
高価であるし、俺もなんども香りをかいだことがあるわけではない。なんでも、真っ黒な豆の鞘ごとを乾燥させたものをそのまま持ってきているときいているが、俺は少なからず実物を見たことはないし、いまいちどういったものかがわからない。
だが、アイード殿はその現物を見たことがあるようだ。
「そりゃ高いだろうね。アレ、現地でしか採取できないんだよ。栽培できないらしくて、舶来モノしかないから、何かと高価になりがちなんだよね」
「それもあって、俺は、恥ずかしながら、バニラの香りもちゃんとは知らず……。実際ものをみつけたところでわからん。嗅いだことはあるが、うっすらとした記憶でな。正直断ろうかと思ったのだが」
と、俺はうつむいた。
「……しかし、良く知っている商人ではあるし、成功報酬なので気負わずに受けてくれればいい、といわれて断り切れず……」
アイード殿は苦笑した。
「ああ、ジャッキールさんも押しに弱いところがあるからね。俺もなんか身につまされるよ。気持ちわかるなあ」
物騒な外見をしているが、基本的にはアイード殿は常識人。彼も普段は何かと貧乏くじを引きやすい性質だ。俺に同情したらしいアイード殿は、一つ提案をくれた。
「俺が役に立つかどうかわからないけれど、周りに聞いてみるよ。少なくとも水運関係の商人とは知り合いだし」
「それはありがたい」
「ジャッキールさんはとりあえず市場の様子を見に行っている感じなのかい?」
「うむ。しかし、ざっくり見てもわかるはずもないしな。何せ門外漢なので、調べる場所があっているのかどうかもわからない」
ふむ、とアイード殿はうなった。
「そういえば、香りといえば、リーフィちゃんが詳しいんじゃないかな。あの子なら、何か知っていることがあるんじゃないかな」
「リーフィさん?」
リーフィ嬢は、俺もよくいく酒場の看板娘だ。そして、彼女は確かに薬草を含む植物にも詳しく、オシャレの一環で自分で調香をしていた気がする。
「そうだよ。リーフィちゃんに意見を聞いてみるのがいいんじゃないかな。彼女、薬草やら香料やらを買っているはずだよ。普通の子が知らないような行きつけのお店があるはずで、そういうの詳しいとおもうんだけど……。一度きいてみたらどうだろう」
「おお! それは名案! アイード殿、礼を言う」
俺は少し気分が明るくなって、彼に笑いかけた。
「いやいや、俺の適当な意見が役に立つといいんだけども」
といって、アイード殿は、俺の目の前に替えのお茶を置いた。
「でも、バニラかあ。ジャッキールさんは、絶対好きそうだけどなあ。あれは甘いお菓子とすごくあうんだよ」
「俺も噂ではそう聞いているのだが。高価なものなのもあり、直接、食したことはないな」
「そうなのかい? ああ、そういえば、俺のところに在庫があったと思うから、今度、お菓子に使ってあげるよ。探し物するときの参考になるかもしれないからね」
「そ、それは悪い」
高価ときいてからそう申し出られると、申し訳なさがつのるがアイード殿は笑った。
「大丈夫だよ。俺も持っているだけで使わないと宝の持ち腐れだからね。香りが飛んでしまう前に使ってしまう方がいいんだ」
アイード殿はそういうと、ふと厨房から呼ばれて席を立った。
「あ、ちょうどいいものが焼きあがったよ。ジャッキールさん」
とん、と机の上に置かれたのは、白い皿にのせられたたっぷりのシロップがかかった焼き菓子だ。緑の粉が目に鮮やか。
これは、絶対に美味だろう。しかも、間違いなく甘い。
ごくりと喉が鳴ってしまう。
「せっかくだから、俺のおごり。これを食べて元気出して探し物してよ」
そこに置かれたのは、甘いシロップがしみしみになったバクラヴァだ。
「こ、これは、ありがたい……が」
(いかん、この間も食べたばかりなのに。しかもちょっとやけ食い気味に多めに食べてしまったばかりだ)
こんなものばかり欲望にまかせて、食べていては太ってしまう。
俺はそう思ったのではあったけれど。
とはいえ、目の前にとろっとしたシロップを置かれてしまっては、もう俺に抵抗の手段はなかった。蕩けるほどの甘い味が口の中に広がるのを感じつつ、俺は、とりあえず、明日からは頑張って依頼された仕事に励むことにしようと心に決めるのだった。
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