2.苦めの依頼は甘味と共に【喫茶店】


 喫茶の文化はこの国では割に盛んだ。

 王都にもたくさんの喫茶店チャイハナがあり、暑い日中にそこで涼むのも一興である。俺も行きつけの店をいくつも知っている。

 涼み台のあるゆったりできる店や、水煙草を嗜む店、菓子がとても美味な店、茶や珈琲にこだわる店、いろんな店があるが、それぞれに魅力的だ。

 元より北方の大陸より南下してきた俺にとっては、多くの店は異国情緒の強いものである。喫茶店の調度品一つにしても、鮮やかな全体的な彩りにしてもだ。

 日陰で緑を感じながら穏やかな気持ちになると共に、天井からぶら下がるランプを見上げたり、絨毯やクッションの鮮やかな刺繍と心地よさにぼんやりくつろぐと、幻か夢をみるような気持ちになる。

 そんな店の多い中、行きつけの店の一つの錨亭は、また雰囲気が違い、太内海風の北方の文化を思わせる小洒落た店であり、この国の中では『異文化風』である。

 逆に俺の出身地とは近く、俺にとっても故郷のそれとは違うが、どこかしらに懐かしさはあって、それはそれで心地よいのだ。

 漆喰の白い壁に黒い机と椅子。彩度の高い黄色の鉢に飾られた花々。小洒落た食器や花瓶。自由に読める小粋な装幀の詩集の本。

 この店のものは、どこか瀟洒な上に格式張っておらず落ち着く。

 それらに囲まれて、たまに店主の鳴らす哀愁の帯びた弦楽器や美声をきくのもよい。

 昼食の時間には太内海各地で食べられている、華やかな料理も出されれば、午後の茶や珈琲も美味だ。

 そう、そして、茶や珈琲が出るとなると、大切なのはお茶請けとしての菓子、つまり甘味。

 こんな強面の武人面しておいて、大変恥ずかしいのだが、俺は極度の甘党だ。甘いものには目がない。だからこそ、食後の甘い菓子が美味い店はそれだけで正義なのだ。

 それなもので、この錨亭は、俺の王都お気に入り喫茶店では、五本の指に入っている店である。

 その日は、店主のアイード殿がいることもあり、俺は昼食にクスクスをいただいた後、詩集を読みながら食後の珈琲を楽しんでいた。

 癒される、洒落た一時。俺は全然伊達男になりきれないが、こういう時は自分が伊達男になったような気持ちになる。

 しかし、その日ばかりは、どうも考えごとがあり、珈琲を飲みながら俺は無意識に何度もため息をついてしまっていた。

「どうしたんだい。ジャッキールさん。ため息なんかついて。なんだか、浮かない顔だな」

 店主のアイード殿が、焼き菓子を手にこちらにやってきていた。

 料理人風の衣服を着ているが、鮮やかな色のスカーフがなんとも洒落ており、色物の似合わぬ俺としてはその伊達男振りがちょっと羨ましい。

 アイード殿は赤い髪と太内海の暖かな海を思わせる緑の瞳の青年だ。口髭をたくわえていて、少し老けて見えるがまだ若い。穏やかで人当たりの良さそうな彼の第一印象は、一番目立つその赤い髪だろう。

 しかし、間近で見るとまた違う。実は、彼の顔には、左頬から鼻までを横断する深い刀傷があり、その剣呑さが穏やかな彼の雰囲気にまるで合わない。とにかく、初対面のものをまず凍りつかせること請け合いだ。

 ヒトのことは言えないが、この傷のせいでこの男はまず堅気に見えない。

 まあ、アイード殿とて、そう問われても否定はしないかもしれない。

 なにせ若い頃、太内海に出て、様々な見聞を広めている彼だ。そこは色々あるのだ。

 普段はあくまで優しく穏やかだが、何か危険を感じた瞬間にガチっと目がすわる男は、概してただものではない。

 そんな彼の出自も、説明するとかなり厄介なのだが、今回はおいておこう。

 ただ一見カタギに見えないとはいえ、アイード殿は、何事もなければ優しく人当たりも良い常識人である。

 俺の部屋にたまっている、あの有象無象の連中と比べると、余程感覚がまともだ。

 そんなことや、彼のまとう話しやすさから、俺は彼よりまあまあ年上だが、困った時にはついアイード殿に相談を持ちかけてしまうのだ。

「いや。実は、久々に一つ傭兵としての仕事を受けたのだが、俺には専門外で、どうしたら良いかと考えていて」

 と俺は顔を上げた。

「そうだ。アイード殿は、色々な商材に詳しいだろうか。特に高価な輸入品など、詳しいのでは?」

「えっ、高価な舶来ものの商材? ああ、まあ、船乗りしてたことあるから、それなりには扱ったよ。目利きするほどじゃないけどね」

「それは助かる。実は、ご教授いただきたいことがあってな」

 と、俺は問題の依頼を思い出し、彼に語るのだった。


 

「お久しぶりですね。ジャッキール様」

 俺にその依頼を持ち込んだのは、旧知の商人であった。

 指定されたのは典型的なチャイハナで、ゆったりできる広い席に、緑の木陰が気持ちが良い店だ。

 珈琲や茶が美味。特に焼き菓子が美味い。

 そして、焼き菓子の中でも、この店はこの周辺の甘い菓子であるバクラヴァが美味なのだ。熱々のバクラヴァに熱くて甘いシロップを並々かけて食べるのが、俺は気に入っている。ピスタチオの緑が目に鮮やかで、見た目も良い。

 俺も商談でも私用でも使うことがある店だったが、目立たない通りにあるので、知る人ぞ知る、という店だった。

 そこを指定してきたので誰かと思ったものだが、蓋を開けてみると待っていたのは、以前からしばしば付き合いのある顔馴染みの隊商だ。

 ひょろっと痩せた長身の、黒髪に狐目の男は、俺よりはおそらく年下だが、かなりやり手の商人である。彼は、東方の遊牧民出身らしい容姿をしていた。

 一方、隣には大男が座っていた。大男とはいえ、彼は愛想良くいつもにこにこしており、優しげな男前だ。その金髪碧眼の大男は、商人の用心棒的存在だった。

 俺も背だけは高いがこの大男の方がまだ高く、戦闘になると流石に不利だなと思わせる。

 髪や肌の色からして、俺より大陸の北部の出身ではないかとも思える風貌だが、正直どこの生まれかはわからない。ただ、別に彼がここにいるのは違和感のあることではなかった。

 文化がぶつかったり集まったり溶けあったりする、このザファルバーンの地は、まさに民族の坩堝るつぼで、俺を含めて異国の特徴のある人間はそれほどには珍しくないのだ。

 この大男は用心棒的な存在に見えるが、この狐目の隊商とは主従関係や雇用関係にないらしい。対等に口をきいており、共同経営者というのが正しいのかもしれない。

 そして、この大男が同席していると、周囲の空気が柔らかくなる。いっそのこと胡散臭く、どこか油断のならぬ狐目の隊商と違い、ほのぼのとしているので大男にも関わらず他人の警戒を解くことができるのだ。

 人見知りの激しい俺も彼がいる方が、話しやすくて助かる。

「いやしかし、まさか貴方からの仕事とは思わなかった。いつのまにこちらに来られていたのだ」

「平和になってからのザファルバーンは、商売のしやすい場所だからねえ。道も綺麗だし、結構来ているんだよ」

 大男が愛想よくいった。

「それで、この間の街に逗留していたところ、ハイダール様にひょんなところで出会いましてね」

 ハイダールとは蛇王へびおのことだ。レックハルド=トゥランザッドという名前のこの隊商は、蛇王とも旧知である。

「それでどうせなら、私どもの困りごとを解決していただこうと思いまして、ハイダール様に相談事を持ちかけたのですよ。そうしたら、貴方もこちらにいると聞きまして、それなら貴方がたにお仕事を依頼する方が良いと思いました」

 隊商はそういった。

「ジャッキールさんは、この街に詳しいみたいだよね。蛇王さんも自分より詳しいってそう言ってたよ」

 親しげに入ってきたのは大男の方。

「それなら、多分、オレたちが血眼になって探すより良いんじゃないかと思ってさあ」

「探す? 何か、ここでお探し物でも?」

 俺が尋ねると狐目の隊商は、頷いた。

「ええ。ちょっと厄介な探し物がありましてね。いえ、儲け話ではあるんです。しかし、どうにも我々にもお手上げ状態でして」

 昼のぬるい風に天井のランプがかすかに揺れる。

「ハイダール様より、自分よりこの王都に詳しく、博識なジャッキール様なら見つけられるのでは、と承っております」

 そこで、隊商の男が口にしたのは、確かにとある『探し物』に関する依頼であった。

(蛇王のやつっ!)

 俺は無責任に仕事を受けてきたヤツに内心舌打ちした。

(どう考えても専門外なのに、何故、俺の名前を出したあああ! 貴様あああ!)

 心の内でいない蛇王に怒りをぶつけても仕方がない。

「そ、それはお困りでしょうな」

 ふるえる手で甘い甘い焼き菓子を口に放り込む。

 せめても救いなのは、これだけ途方に暮れても、頼んだバクラヴァがひたすらに甘かったことだけだった。

 苦い人生には、甘味が必要な気がする……と、その時、俺は思わず天をあおいだのだった。

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