1.異郷の都に陽は落ちて【夕涼み】


 砂漠の王都の昼は暑い。

 特に夏は比喩ではなく灼熱地獄だ。そうでない季節もまずまず暑い。

 このカーネス朝ザファルバーンの王都カーラマンは、それでも涼しい方だときくが、都会特有の人の多さもあってか、なんとはない熱がある。

 直射日光も厳しく殺人的だ。

 ことさらに暑さに弱い俺は、こと昼の時間が苦手だ。用事や仕事は朝に済ませ、昼は家にとじこもり、読書などをすることにしていた。そんなわけで、俺は大抵の仕事は涼しい朝のうちにしてしまうのだが、午後に予定が入ることもある。

 長屋のご婦人方が茶に興じるころ、俺は子供の面倒を見る仕事が入るのだ。

 いわゆる私塾、いうなれば寺子屋教師。

 読み書き計算などを子供に教える仕事だ。異邦人の俺が、というのも、少し珍しかろうが、俺はここの言語を習得してから随分経つし、今では古典などの難しい書籍なども読めるので子供の勉強を見る分には十分であると自負している。

 長屋にいる私塾教師などと、いささか俺には似合わぬ仕事だが、とはいえ、頼られるのも悪い気持ちではないものだ。

「今日は、ここまで」

 暑さと子供達の元気さに、いささか当てられた俺はややへろへろしていた。

「先生、またへろへろしてない?」

「暑さ弱すぎ。雑魚い」

「先生、まじ雑魚じゃん!」

「やーい、雑魚ー!」

「コラっ、なんという口をきくのだ!」

 普段、強面の俺は子供に懐かれることは少ない。そして、俺は子供は好きだが、その対応が苦手ではある。それなもので、普段は距離を置きがちなのだが、ここの子は人懐こいというか、畏れ知らずというか、すっかり俺にも慣れてしまい、こんな調子だ。

 これはこれで楽しくはあるのだが、今日のような暑い日の俺には多少荷が重いかもしれない。

 ともあれ、子供たちを家まで送って帰る頃には、太陽はかたむき、空は赤い色彩を帯びる頃だった。

「先生、いつもすみませんねえ」

 と生徒の母親たちが、ぺこりと頭を下げつつ、籠を差し出してきた。

「良かったら、これ、お夕飯の足しにしてください」

 どうやら手料理をわけてくれるようだ。

 寺子屋教師の仕事は、特に目立った現金の報酬があるわけではないのだが(俺も好意でやっているので)、こういった食品をいただくことも多く、家計の足しになっている。素直に助かっている。

「これはどうも。ありがとうございます」

「あら、ちょっ、あんた、抜け駆け!」

「いいじゃない」

「先生がすんごくいい男だからって」

「いいでしょ、だってこんな美形、役者にもそういないんだから! 目の保養!」

「良い男なんだから、みんなの共有財産って言ってたでしょ!」

 奥様方の会話に俺はちょっと気圧されてしまう。

「は、はは、ど、どうも、過分のお言葉をいただいて……」

 どうも近所の奥様方は、俺に対する世辞が激しい。俺は今までそんなにモテたこともないので、きっと奥様方のお茶時間を提供してあげた寺子屋教師の俺に対する礼なのであろう。


 *

 俺の職業は傭兵。

 名前はここではジャッキールで通しているが、昔の名前の一つであるエーリッヒとも呼ぶものもいる。どちらも本名ではないが、そこそこ思い入れはある。

 元々、自分で言うのもなんだが、それなりの名前を売っていた俺だ。こうして都の片隅で尾羽打ち枯らした生活をしていることに、当時を知るものは驚くようだが、別に俺としても大した意味があるわけでもなく……。

 しかし、こういう生活も悪くはないと、気に入っているのだ。

 

 俺は家に帰るまでに少し散歩をすることがある。

 暑さと日光の落ち着く夕暮れから宵にかけては、俺が出かけるのにちょうど良い気候なのだった。

 少し高台に歩いていくと、王都の街並みが見えていた。

 紫色にかわりゆく赤い街並みと時折見える椰子の木。

 夕暮れの時間は、俺のような人間ですら感傷的にさせるものだ。

 ここに住みつき、ずいぶん経つはずなのにその時ばかりは、捨ててきたはずの故郷とは違うこの風景に、自分が異邦人であることが意識され、ほんのりと切ないような気持ちになる。

 涼しくなりはじめた空気の中、赤い太陽は街と砂の向こうにゆっくりと沈み、やがて夕暮れの淡い空の色は星空へと変わっていくのだろう。

「帰って、まずは茶でも飲むか」

 帰宅して比較的涼しい、少し薄暗い部屋の奥、買ってきたお気に入りのグラスに茶を注いで飲みながら、一日のよしなしごとに思いを馳せる。

 それもまた悪くはない。

 ともあれ、夕暮れの時間、ゆったりとした東方の衣服に身を包み、この異国の地の宵闇に溶けていくような。

 そんな暑い一日の終わりの時間が、割りに俺は好きだった。

 

 しかし。

 帰宅した俺の完璧な夕涼みは、俺のこの感傷的な気持ちを壊すものであった。

 なぜか、いらぬものがすでに部屋にいて、俺の帰りを待ち構えていたのだ。

「うわ、これ、結構美味いじゃん。ねえねえ、ダンナ。これ、どこの茶葉よ。意外といいの飲んでるんだな。生意気ー」

「生意気だろう。この男、凝り性だから、お取り寄せとかするのだ」

「えっ、ダンナ、紅茶好きなの? どこ産? 東方のいいのなら、俺んとこで取り扱いあるから分けてやるぜ」

 紅茶が不味くなるような会話をするのは、俺の目の前にいる三人の男だ。

 何故か鍵を閉めたのに、散歩中に部屋にいた旧知の三人組。

 いつのまにか人の部屋で寝ている無職の三白眼シャー=ルギィズ。

 俺の部屋より広い別宅を、幾つも持っているのにわざわざ来てしまう小鼠ゼダ。

 迷惑な腐れ縁の髭の隣人、ザハークこと蛇王へびお

 一応言っておくが、俺はこいつらと刃を交わした仲だ。本来ならば、どちらかというと敵に近い間柄。

 それなのに、何故だろうか。

「何故帰宅してすぐ、俺はお前らのために茶をわかさないとならんのだ」

 なにゆえ、こいつらは、俺の部屋で茶会をしているのだろう。

 というより、持ち込んだ焼き菓子をぼろぼろ落としている。

 俺の完璧な部屋を汚さないで欲しい。

 箒で叩き出したい衝動を抑えて、俺はいう。

「貴様ら、頼むから、俺の部屋に勝手に住むのはやめろ」

「だって、ダンナの部屋居心地いいじゃん。片付け完璧だし、ご飯も美味しいよね」

「そうだよな。それに、ここ涼しいんだよな」

 三白眼に同調するネズミ。

「そうなのだよな。エーリッヒの部屋、住んでいる主が陰気なせいか、じめっとして空間の温度が下がるのか、俺の部屋より涼しいぞ」

 叩き出すぞ、この髭があ!

 思わず口に出そうになったところで、ふと三白眼が顔を上げた。

「あ、そうだ。今日のご飯なに?」

「近所の人から煮物をいただいている」

 当然の如く夕飯を食って帰るつもりの、そんな三白眼、シャー=ルギィズにため息をつきつつ、

「貴様らには本当に呆れる! いいか! それ以上部屋を汚すな。大人しく飯ができるまで待ってろ!」

「はぁーい!」

 返事はいいが。

 本当に何故にこんなことになったのだろう。

 本来敵味方であった彼等との、この謎の付き合いに俺は奴等の夕飯の準備をしながらげんなりするのだった。

「おう、そうだ。エーリッヒ」

 ふと、炒め物をしようとしていると、蛇王に声をかけられた。

「一つ仕事の話が舞い込んだぞ。明日打ち合わせに行け」

「なんだと?」

 底知れぬ笑みを浮かべて得意げな蛇王。

 傭兵仲間ではある蛇王は、人付き合いの悪い俺よりも細々とした人脈が多く、たまに仕事の話がある。

 腐れ縁ではあるが、ここで生計を立てるにあたって俺はやつと協力せざるを得ないため、なんとなく協業してしまっており、やつに営業は任せているのだ。

「カタギ生活に支障のでる荒事は嫌だぞ」

「安心しろ。ちゃんとその辺は考慮してあるわ」

 ついでに皿に並べた料理を盗み食いしながら(こういう仕草に、俺はイラっとするのだが)、蛇王は言った。

「なにせ、あとの交渉はお前次第だからなー。明日、指定の喫茶店チャイハナで。頼むぞ」

 ひらっと無責任に手を振り、実務は頼んだぞー、と去っていく。

 ここにきて仕事の話か。

「俺の優雅な夕涼みの時間が……」

 迷惑な来訪者がにぎやかに雑談している。

 俺はやれやれとため息をつき、静かではなくなった暑い日の夕暮れと向き合い、ほんのりと苦笑するのだった。

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