8.宿敵は雷光に笑い【雷雨】
バッと飛びる強い光。そして、一拍遅れて轟音が鳴り響く。
体にたたきつける激しい雨粒。雨は衣服も体も容赦なく濡らし、体温を奪う。短髪の俺の髪を伝い、額に雨が流れる。目に入りそうになるそれを振り払う。
雷鳴も稲光も、本能的に人に恐れを抱かせる。たとえば、もはや神も信じず、恐れぬものもなくなったような俺にですら。
しかし、それを悟らせるわけにはいかない。
稲光とともに白い光が目の前を流れる。俺ははっとして握っていた剣をふるった。
ガキッと重たい衝撃が両手に伝わり、相手の刀を受けたことを知る。ぞっとするほど鋭く重い一撃だ。
「ふふふふふっ」
雨の向こうで相手が笑う。長髪に髭のある彼は、俺よりも雨の影響を受けているようだが、それを自然に受け流しているようでもあった。
この男は太刀筋といい、生き方といい、どこか自然だ。
「こんな雷雨の中、金属の棒を振り回すとは。エーリッヒ、貴様もずいぶん恐れしらずだな」
くくく、と笑うのは、
「まア、神も恐れぬ、救われぬ無神論者の貴様ならそれもありえるか。今日こそは、決着をつける日が来たかもしれんな」
この男と俺が刀を交えたのは、一度や二度のことではなかった。
我々は傭兵。雇い主が誰であるかによって、敵でもあり味方にもなる。俺たちも、そもそも、敵として出会った。
その時のことはよく覚えている。
俺はまだ若く、もう少し尖っていた時だった。今でも人付き合いは苦手だが、当時の俺はあからさまに壁を作っていて、周りの傭兵仲間との関係も険悪だった。
自分のことをお人よしと言われるのは、やや心外なことだが、押しに弱いのは事実。そんな素の自分を、海千山千の傭兵たちの前で晒すと利用されるだけである。
とにかくその頃の俺は、相手に舐められないように高圧的に、敵対的に振る舞うのが常だった。それを高飛車と取るものがいればそうなのだろう。
そもそも、俺は戦場においては狂気に取り憑かれることもあるわけであり、そんな俺を敬遠するものがいるのは普通の話。悪魔憑きのような俺の豹変ぶりは気持ち悪く思えるだろうし、恐れられてもいただろう。
そして、その頃にはすでにそれなりに名前が売れており、なにかしらやっかみも受けていたように思う。俺はそれに対する反発も感じていた。
ともあれ、そんな俺が高圧的に振る舞って、好感持つものもいない。その甲斐あって舐められたことはなかったが、今ではその時の俺のやり方は間違っていたようには思う。
ただ、それゆえに、その時の俺は不敗であった。俺は自分と互角に戦える相手を、他に知らなかった。
そんな中で現れた無名の傭兵の蛇王は、異常な強さを誇り、俺はやつに先制をゆるしたのだ。
弓矢をもっては当代一では、と言われるような正確な射撃ができたし、刀を持っての白兵戦においても、圧倒されることがあった。だが、俺もそんなやつを相手に、軽々しく負けるわけにはいかぬ。
なかなか勝負がつかず、剣を捨てての殴り合いにまで発展したが、結局、邪魔も入って、その日の勝負はお預けになった。
その時の蛇王は、まともに名乗らなかった。いつかお前の首は貰い受けると、勝手に読めぬ謎の文字で、名前の書いた予約票を投げ渡したのみだ。
やつとの腐れ縁はそれが始まりだ。
腹立たしく思いながらも、俺が謎めきすぎたやつの存在に、一定の興味をいだいたのも間違いはなかった。
俺は例の隊商、レックハルド=トゥランザッドに依頼してやつの名前や出自の情報を得たりもした。
俗世間から離れているような静けさを待つその男が、リオルダーナの先代王朝の伝説的な王の血を引く末裔であり、祭祀を司る一族であったのは奴に似つかわしかった。
受け継がれるハイダールの姓と忌まわしい蛇の王の名前の他に、秘匿される名前を持つ彼は、リオルダーナの王朝から粛清を受けて滅びた一族の最後の生き残りであり、反体制派に祭り上げられていたこともあるという。
その後、一介の傭兵となったやつは、人懐っこいが得体の知れない男で、俺と違って自由に生きているように見えた。
過去のしがらみから解放されているようで、掴み損ねた栄光に未練たらたらの俺は、やつを見ていると自己嫌悪に陥ることがあった。自分の至らなさを突き付けられている気がした。
それでいながら、いわば宿敵のはずのやっと俺は、傍目からは友人関係に見えるようなやり取りをしていた。
やつは不可思議な男だった。敵として出会ったにも関わらず、次に味方として出会った時はあくまで無邪気で親しげに声をかけてくる。それでいて、次に敵として出会えば、やはり命のやり取りもした。
そして、俺たちは腐れ縁で結ばれているのか、残念なことに、行く先が俺と被ってしまった。
そのため、幾度となく味方にも敵にもなる。そして、俺も蛇王も、お互いを宿敵とみなしていたが、不安定な傭兵の身の上から協力せざるを得ないことも多かった。
そうして、いつも勝負はついたことがなかった。
俺もではあるが、やつも、敢えて勝敗をはっきりつけるのを理由つけて避けていたのかもしれない。
雷雨の戦闘の時。
俺と蛇王はたまたま敵味方にわかれた。戦場で出会った俺は、奴との因縁を立つべく戦闘を開始した。いつものことだが、我々の実力は拮抗しており、勝負は一進一退。そして、それがゆえに長引く。
曇天であった空は、いつの間にか真っ黒な雲がたちこみ、雷鳴とともに雨が降り出す。激しい雨にさらされながらも、俺と奴は戦いをやめなかった。
「ちッ! 何を言う!」
俺は苛立って奴の重い曲刀をはじき返した。それだけでも掌にしびれが残るほどの反動がある。
「貴様こそ、神を恐れるのなら剣を引いて負けを認めるがいい!」
「ははっ、残念ながらここで勝負がつくもつかぬも、神の思し召しというものよ。雷に打たれて死ぬのも死なぬのもそうだ。貴様と今生で出会ったこともな!」
奴の言葉はどこか俗世離れしていた。
「エーリッヒ! 俺は貴様と勝負ができてうれしいぞ!」
奴がそう嬉しそうに言った時、奴の背後の空の雲間から
落雷だ。
その時、恐れ知らずの奴が、はじめて振り返るほどの轟音がとどろいたものだった。
幸い、影響があるほど近くはなかったが、呆気に取られた俺を蛇王が再びみる。
「ふっ!」
流石に目を丸くしていたらしい俺に、唐突に蛇王は今までの殺気を全て体から消して、子供のような顔で笑った。
「ははっ、エーリッヒ! 今日はここまで! そんな面白い顔を見てしまっては、命のやり取りなんぞ、真面目にできんぞ」
「な、な、な、なんだっ! その言い草はっ!」
そう言い返したが、俺も完全に調子を崩していた。
「まぁ、仕方があるまい。全ては神の思し召しだからな」
蛇王はそういってニヤつく。
「貴様との勝負は、どうもなかなかつきそうにない」
雨足がいっそう強まり、微かな戦闘意欲も全部洗い流されてしまう。
蛇王の言う通り、その時、勝負はお開きにした。
結局、その後も勝負のつかぬままだ。
*
ザファルバーンは基本的に砂漠の荒れた国だが、四季はある。それに王都には、降水もそこそこある。
時に雷を伴う激しいものとなり、嵐のようになることがあった。日光に弱い俺としては曇天は助かるが、風を伴う雷雨は望ましくはない。
ごろごろと聞こえる音は遠雷だった。もうすぐきっと稲光が輝き、激しい雨が降り出すだろう。
「雷か」
できれば用事は手早く済ませたいものだが、今日の用事はそうそう手早く済むものではなかった。
今日は俺は、蛇王を探すために街に出てきていたのだ。俺が行く方向とは違う市場を目指して、少し遠出をした。
というのも、長屋の連中によると、やつは俺が調査に外出する朝の時間に帰ってきていたり、逆に夜遅くに帰ってきて朝まで眠ってから太陽の上ったころに外出するといい、どうやら遠い市場の様子を見にいっているらしく、道を聞かれたと言う。
何度か、隣室である奴の隣の扉をたたいたが、俺とは完全にすれ違いの状態なのか、反応はなかった。これは直接俺もそこに出向くしかない。
(しかし、そろそろ、奴の行動について説明してもらわねばな)
濡れたくはないので、こんなこともあろうかと持参していた傘を確認して俺は道を進んでいた。
(そういえば、あの時もこのような天気だったのだ。曇っていると思ったら、一気に振り出してきた)
俺は、かつて戦場で激しい雷雨の中、奴と戦った時のことを思い出した。
とっくにどちらかが死んでいてもおかしくないような我々が、結局この王都にたどり着き、時に協業もしているのだから、何のかんのと腐れ縁は続いている。
もっとも、王都に住み着くことになった奴が、まさか隣室に越して来たのは意外だった。
おもえば、俺もあの長屋に流れ着いたのは、銭湯で出会った大家の老人と意気投合したからだった。
風呂が三度の飯よりも好きな俺は、公衆浴場が整備されているこの王都が気に入った。石鹸の有名な産地もちかく、身を清める風習もある。
ザファルバーンは比較的水が潤沢で、砂漠の国ではあるが王都を流れる川のおかげで水運事情にも恵まれている。山の木材を運ぶこともできるため、燃料の確保にもさほど困らないのだろう。湯を張る風呂も、蒸し風呂もあり、少し遠くには温泉もあり、古傷の療養にも適していた。
ともあれ、銭湯に通っていて、そこで出会った穏やかな老人と
流れものゆえに住む場所を決めかねていた俺に、彼はあの長屋を紹介してくれた。
おおよそ、蛇王も知り合った場所は違えど(やつの場合は、カレーを出す食堂だと聞いた気がするが)、経緯はほとんど同じなのだろう。敵国であった隣国リオルダーナ出身であるやつには、リオルダーナの訛りがある。そのため、住む場所に困っていたのだ。
外国訛りは俺もそうだが、はるかに遠い異国の訛りを持つ俺と、つい先ごろまで戦争をしていた隣国のそれとは感情が違うだろう。
それに、俺もそうだが、奴とて流れの傭兵。人懐っこい蛇王とて、カタギには見えないのだろうし。
そう考えると、あの大家の老人。とても世話にになっていて、今でも親しくしているが、こんな俺たちを引き受けるとは、果たして一般人なのかどうか。
実は訳ありの過去を持つ人物なのかもしれない。
まあそれはさておき。
差し迫っては、蛇王の行方を探さねばならない。
「蛇王のいきそうな場所か。うーむ、……カレー屋以外の見当がつかん」
俺は真剣に考えたが、答えが出ずに眉根を寄せた。
蛇王とはもう随分長い付き合いだが、得体の知れない部分のあるやつのこと、今でも行動がよく読めない。
(大体、やつは俺のような調査の仕方はしていないだろうしな)
やつは勘が鋭いが、一つずつ積み重ねるようなことが苦手だ。
(一体、依頼についてどういう調べ方をしているのだろう)
そうこうしているうちに雨が降り出してきた。雷の音が近くなり、稲光が街の向こうの空に輝いている。
これは来る。本格的な雷雨となるまでに、屋内に戻りたいものだ。
「ちッ、蛇王め。早いこと姿を現してくれると良いのだが」
俺は傘を開いて差し掛けながら、足を早めた。
市場はあったが、この雨で露店は店じまいの途中だった。商人たちは慌てて商品を雨から守り、帰る準備をしている。良い成果はとてもでないが得られそうになかった。
(諦めて今日は帰るか)
そう思いながらぐるりと市場を周り、帰ろうとしたところ、どこかで道を間違えたのか、不意に不穏な場所に入り込んだ。
空き家の連なる廃墟だ。貧民街に入り込んだのかと思ったが、廃墟はそこの一角だけ。その中でも古い四角い建物は、まだ形を十分保っている。
と、俺は、何を思ったか、そこの建物の前で佇んだ。
「ふむ」
と俺は唸った。
「俺の勘は鋭くはないのだが、時にはやつのように野生の勘に身を任せてみるべきか?」
俺はそう独りごちると、傘をたたみ建物の入り口に足を踏み入れた。
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