14.彩な朝に罪を見る【さやかな】

 まだ月が残る暗い空だった。

 夜明け前。

 俺は外にいた。


 いまだに月も星もさやかな光を空に残していたが、東の空はやってくる新しい日を予告するかのように赤くなっていた。

 俺は早起きは辛くはない。寧ろ、早朝の時間は好きだ。しかし、これほど早く起きて外出するのは、やはり珍しいことだった。

 砂漠の王都の早朝は昼のそれとは比べ物にならないほど、ひんやりした冷たい空気に満たされ、どこかぼんやり白い街は別の都市のような顔を見せている。

 俺は朝が好きだ。もちろん、暗い夜の落ち着きながらも沈み込むような闇も嫌いではない。俺のような後ろ暗い男でも、受け入れてくれる。ただ、夜は、ときに底知れぬ奥底に引きずり込まれそうになることもある。そして、そんな時に訪れる、この夜明け前の薄暗い明るさに救われることもある。

 昼間の太陽は明るすぎる。俺は日の下では生きられない。けれど、早朝のうっすらとしたほの明るさの中では、夜よりも前向きに生きていける気がする。

 この清らかでしんとした、それでいながら始まりを告げるひと時が俺は好きだった。


 俺は足音を忍ばせて、目的地に向かっていた。

 目指す場所は、あのまぁちゃんと呼ばれていた少年、マルゥにきいた友人の住まいの方だった。

 俺の住む長屋と、蛇王が調査にでかけていた遠いほうの市場とその友人の住まいは対角線上にある。子供たちが一緒に遊ぶにしてはやや広い行動範囲といえるが、長屋とその友人の住まいの間には広場があるので、彼らはそこで落ち合って遊んでいるのだ。

 俺の住んでいる長屋も吹けば飛ぶような棲家ではあるが、それなりのこぎれいさはある。ただその友人の住まう方向は、もっと建物が古い。貧民街とまではいかないが、貧しい人の多い地域だった。

 その一角。ふと、そっとぎいぎいとなる音をなるべく響かせないように気を付けながら、扉を開けて、まだ薄暗い街に誰かが出てきた。小さな人影だ。

「おにいちゃん、ねむい」

 と子供の声が聞こえる。

「うん。でも、もうすぐ明るくなる。そうしたら眠くなくなる」

 今度は男の子の声だ。

 俺は物陰に隠れて息を殺すようにして、彼らを見ていた。

 マルゥが言っていた友人は、さあちゃん。名前はサリフ。少し年の離れた妹を世話しているという。

(やはりそうだ。あの時、代筆を頼みに来た兄妹だ)

 まだ暗くて、顔こそはっきり見えないが、年頃や声の感じ、おそらく間違いないだろう。

「さ、今日も焚きつけを拾いに行こう」

「うん」

 サリフは、妹にそういうと彼女の手を引いて移動していく。

 俺は彼らに見つからないように細心の注意を払いながら、ついて行った。


 歩いて行った先は郊外の開けた場所で、運河の近くだ。そこには草や低木が生えており荒れている。彼らはその草や低木を刈り取ったり、拾ったりしているらしい。

 空は少しあかるくなってきていた。俺の姿も目に付きやすくなるため、俺は彼らから一定以上離れていた。

 マルゥ少年がいうには、サリフの母は絨毯や機織りをしているらしいが、近頃、病弱なのだという。父はいない様子で、母の内職でかせげないときは、サリフが焚きつけを拾うなどしてわずかな日銭を得ているらしい。

「さあちゃんは、妹の面倒をみていてえらいんだよ。でもいい子だから、いい匂いのするお花をわけてくれたりもするの」

 あの後、マルゥ少年に根気よく聞きだすと、彼はそう教えてくれた。

「いい香りのする木の方は、本当はそのまま売らないんだけれど、仕方なく薪売りのおじさんに売ってもらうことがあるんだって」

「それで定規で木をてのひら大の長さに切っているのか?」

 マルゥ少年はサリフの手伝いをしたいといって定規の使い方を教えてほしいといったが、それは白檀の木材を同じ長さにそろえるためだといっていた。

「ううん、いい香りの木は、焚きつけにするんじゃないんだよ。でもね、最近あんまり拾えてなくて、それで焚きつけにだしちゃったっていってたの」

「薪にするのでないのに、何故小さく切る必要があるのだ」

「おにいちゃんに言われて、小さく切ってほしいっていわれてるんだって。その方が持ち運びやすいからだって」

「おにいちゃん?」

 俺はマルゥ少年に聞き返す。

「薪を売る商人のことか?」

「別の人だよ。でも、おれもよくわかんない。ただ、さあちゃんは、『昔から知ってるおにいちゃん』、って言ってた。いい香りのするお花も、おにいちゃんにもらったんだって」

 俺は眉根をひそめた。

「さあちゃんは、その花をお前に分けてくれたと聞いたが」

「うん。でも、おれのは全部女子にやっちゃったからなあ。先生にあげる分ないなー」

 だって、喜ぶしー、とモテたいがためにやってしまった、みたいな苦笑いを浮かべつつ、マルゥ少年はつづけた。

「先生にだからいうけどね。本当はお花はお外に出しちゃいけないの。でも、たっくさんあるから、少しならバレないからいいよって。さあちゃんがいうにはね『こどもが使うぐらいの量なら大丈夫』なんだって」

 

 俺はマルゥ少年とのやり取りを思い出して、ため息をついた。

 彼が手に入れた花の種類はわからなかったが、彼から花をもらったという女子にきいてみると、やはり甘い香りのする小さな花だったという。リーフィ嬢も基本的には香料のもとになる花が付着していたといっていた。

 そして、それは通常、薪がとれる場所で自生するものではないといっていた。

「結構あつまったね」

 妹がサリフにそう声をかけた。

「これで十分かな」

「ううん、まだもう少し要るけれど、おれたちでは運べないからな」

 とサリフはこたえ、ひもで縛った枯れ草や枯れ枝をまとめている。

「そろそろ一度帰ろうか。あまりゆっくりしていると、おじさんが市場にでかけちゃう。それまでに戻らないとね。代わりに後で薄荷を摘みに行こう。あれも買ってくれるから」

「うん」

 サリフと妹は作業をやめ、それぞれ背中に枯れ草や枯れ枝を背負って歩き出した。例の薪売りの商人は、彼らの住居の近くにすんでいるのだろう。

 彼らは帰路につくようだった。

 俺は彼らに見つからないように、さらに場所を変えて身を隠した。

 幸い兄妹は、俺の存在に気が付かなかったらしい。だんだん日が高くなると、いくらいろんな民族がまじりあう王都とはいえ、背が高くて異邦人風の俺はさすがにこんな人気のない場所では目立つ。まして、俺は兄妹と面識があるわけだから、悟られてしまいかねない。おまけに、あのおしゃべりなマルゥ少年は、きっと俺の話も散々彼にしているだろう。

 兄妹の話し声を遠目にきき、彼らが遠ざかるのを待って俺はため息をついた。

 そのまま彼らに声をかけることもできたが、俺はあえてそうしなかった。ここで声をかけて事情をきけば、確実に警戒される。

 マルゥは、香料を預けた”おにいちゃん”がいるといっていた。問題はその”おにいちゃん”だ。マルゥ少年によれば、血縁者ではなさそうないいぶりだった。

 その男が俺が探している人物なのだとしたら、俺に追われていることを知れば、きっと何らかの行動に出るだろう。

 ここは慎重に動くべきだと俺は思った。

 そのころにはすっかり日が昇り、太陽は冷たい空気を温める優しい温かさから、徐々にぎらついた攻撃的な輝きの片鱗を見せ始めていた。このまま、太陽が南中するころには、相手の命を奪うような容赦ない輝きとなるのだろう。

 俺は彼らの居住する住居をもう一度確認し、それから一度帰宅することにした。

 まだ、周辺は朝のさわやかな空気に満たされている。

 それだのに、俺はなんとなくもやもやとした重たい気持ちを引きずっていた。

(あの兄妹、病弱な母の手伝いをしているのだったな)

 きっとそれが契機なのだ。あの少年は金が要る。

 それでこそ、わかるのだ。あの少年サリフが、この事件にかかわっているのは間違いない。

 彼はその香料の出所をおそらくしらないが、あれほど聡明な子。まったく、なにもしらぬわけではないだろう。きっと、自分の預かるそれに、暗い事情があることをうっすらと悟っている。

 それでも、彼は仕事を受けた。彼は香料を預かる罪を本来の罪を知らないまでも、秘密の仕事だとわかっていて、請け負った。金が必要だからだ。

 しかし、彼は、悪い子ではない。

 薪を拾って生活のための日銭を稼ぎ母を助ける、妹をあやし、少しの香料を友人にわけて喜ばせているだけの、良い子なのだった。聡明で善良な少年だ。

 ただ、生きるためには金が要る。何も知らぬ妹と違い、兄の方はきっと覚悟して、なんらかの罪を自覚しながら加担している。

「こういう時は、どうも心が沈むな」

 俺は苦笑してつぶやいた。

 俺とて、傭兵で各所を流れてきたわけだから、現実の非情さは知っている。この世は綺麗なものだけでできているわけではない。不幸も貧困もそこかしこに落ちていた。

 そして、俺はこういう人間だから、人を救える力はない。憐れだと思っても、俺の力量でどうにかできるほど現実は甘くない。俺が助けたとて、一時のこと。根本的な解決もできない。

 結局、俺はただの流れもので傍観者にしかなれないのだ。

 そんなことは、今までの経験で痛いほどわかっているのだが。

 俺は深くため息をつく。

 いまだに自分では救えないものを見るのは辛い。

「あの兄妹に、香料の保管を依頼した男、……早く捕まえなければな」

 俺は、そのモヤついた気持ちをぶつけるかのように、いまだ姿のわからぬ黒幕の人物に苛立ちを覚えていた。

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