21.問答は非情を隠して【自由研究】


 石鹸店の老店主の話を聞きながら往来をまだ眺めていると、エンデル青年がこちらを向いた。老店主に挨拶しようとしたらしい。

「こんにちは。ご機嫌いかがですか?」

「まあまあじゃな。お前のところはどうかね?」

「ああ、弟妹は元気にしていますよ。おばさんはまだ寝付いていますが」

 と、答えたところで、エンデル青年が俺を見た。流石に彼は意外そうな顔をしている。

「あれ、旦那。これは珍しいところでお会いしますね」

「ああ、本当だ。こちらのご主人とは、長年懇意にしていてな」

「そうでしたか」

 エンデル青年は例の通り愛想よく笑う。

「こちらの旦那様には、俺もよくしていただいているんです。お店で取り扱う品物もよくて。ああ、俺は向かいのお店で働いていたんですが、そちらは石鹸が専門じゃないので、石鹸なんかはこちらで仕入れるんですよ」

「なるほど。ここの店の品はとても良いからな」

 と俺は答えた。

「よく買いに来ているのだ」

 と、その時、別の客が入り口から入ってきた。常連客であるらしく、老店主が俺に一言断り挨拶に向かう。

 幸か不幸か、俺はエンデル青年と差し向かいになっていた。

「青年も石鹸に興味はあるのかな?」

「ええ。向かいの店で働いていた時に、良い香りがするなあって。っていっても、まだ、知らないことも多いんです。今から勉強する予定なんですよ」

 そういってエンデル青年が微笑む。

「そうか。勉強熱心で感心だな」

(それで、知ることと知らないことがあるのだろうか……。商品の取扱いがずさんなのだとしたら、それは中途半端な知識のゆえに?)

 まだ疑うには早いのに。

 俺はそんなことを考えてしまう。

 できるならば、この青年は無関係でいてほしい。こんな好青年を疑いたくない。

 そう思いながらも、俺にも、蛇王ほどではないが、ある種の勘は働く。

 こうなる前の俺ならいざ知らず、俺とて幾度となく修羅場を潜り、見たくもないものを散々見てきている。

 無邪気な愛想笑いだけで、無垢を信じられるほど、今の俺は綺麗な人間ではなくなっていた。

 だから、俺は彼を試すように笑いかけた。

「エンデル青年は、もしや、香りにも詳しいだろうか」

 と俺は切り出した。

「実は俺はここの石鹸では、普通のものを使っていてな。あれは泡立ちが細やかだし、肌にも優しい。俺はこの通り、陽の光が苦手でな。石鹸は柔らかなものが好みだ。しかし、流石に飽きてきていて」

 と、俺はあくまで自然に言った。

「少し香りのついたものが欲しいのだ」

「なるほど」

 とエンデル青年は俺の話を飲み込んでうなずいた。

「よくアレルプで作られている香り付きのものは、やはり薔薇が多いですね。薔薇はこの国でも外国でも安定して人気なんです」

「なるほど。しかし、俺は無骨者ゆえ、薔薇は少し気恥ずかしくてな」

「旦那みたいな男前なら、薔薇も似合うと思うんですけれどね。でも、他にも良い香りのものはありますよ。ローズマリーなんかも、心が落ち着くって人気みたいです」

「そうなのか。それは興味があるな」

 個人的にその名前と植物に思い入れが深いのもあるが、青年が話に乗ってきたので俺は演技でなく前のめりになる。

 ここはもう少し深追いしてみてもよかろう。

「実は、近頃、香り自体にも興味があってな。恥ずかしい話ではあるが、俺は今まで大して香を焚いたり、纏ったりすることに興味がなかったのだが、嗜みとして身につけていても良いのでは? と思い」

 と俺は照れ隠しのように付け加える。

「まあ、自由研究のようなものだが、少し手元にてまとめてみようかと。それで、旧知であるここのご主人にも話を聞きにきたのだよ」

「ああ、そうなんですね。ここの旦那様は、とても詳しいですからね」

「しかし、俺はまだなにゆえ初心者で……、ここのご主人の話にはまだついていけない上、あの通りお忙しそうだ。それでエンデル青年がもし差し障りないなら」

 と俺は、いくらかの硬貨を掴んでいた。

「少し俺の話し相手をしてくれぬだろうか」

 相手は商人。これ以上、話し相手をさせるには、それなりの心付けが必要だ。

「俺なんかで良いんですか? 他にも詳しいお兄さんたちがここにいるのに」

「いや、これも何かの縁だからな。それに、この間の蚊取りの香や香炉はなかなか気に入っている」

「それは嬉しいです」

 エンデル青年は素直に硬貨を受け取った。乗ってきた。

「それでは、俺に基本的なことを教えてほしい。この地でよく焚かれる、沈香の香りについて……」

 俺はあえて少し遠回りをさせるように、一般的な香の話を持ち掛けた。

 続けて乳香がどのような材料から作られるのか、どういう香りなのか、をたずねる。

 エンデル青年は、それなりのそつのない返答を俺にくれた。俺にもリーフィ嬢からきいていて、今では多少の知識はあるが、その内容は上澄みに過ぎない反面、間違ってはいなかった。俺もそれが目的ではないので、青年の知識の浅さを試すような意地悪な話をするつもりはない。

 乳香、白檀、そして、破格に高価な香料である麝香や龍涎香。俺が事前に聞いている範囲では、麝香や龍涎香については、今回あの狐目の隊商の調達した商品には入っていなかったが、あえてそれについても尋ねる。そうした関係のない香料まで盛り込んで話をした後で、俺はちょっともったいをつけてから核心について尋ねることにした。

「いや、よく勉強されているな。いろいろ、為になることを聞けてうれしい」

「いえいえ、俺なんて本当にまだ全然知らないんですよ。旦那とこんなお話するのもお恥ずかしいぐらいです」

「いや。本当に、エンデル青年はお若いのによく勉強している。ここのご主人が褒めるのももっともだ」

 俺はやや世辞を込めてそう言ってから、

「そういえば、バニラというものをご存じだろうか。原産地でしか栽培できぬときいていて、高価だというのだが、甘い香りがするときいていてな」

 俺は自然を装ってそう尋ねた。

「実はこう見えて、俺は甘いものに目がなく、少し興味がわいてきたのだ」

 バニラ、といわれても、エンデル青年に目立って変化はなかった。動揺している気配はない一方、反応が少し遅れている気がした。

「バニラ、ですか」

 少しおいてからエンデル青年が答えた。そして、笑顔になる。

「あれは良い香りですよね。独特の、けれど、不思議に幸せになるような香りです。もう少し価格が安くなると良いんですが、すごく高くて……」

「ああ、そうだな。あれを使った菓子を食べたことがあるのだが、不思議な上品な甘みがある。もっと手頃なものであるなら、気楽に味わえるのだが……」

 と、俺は相手の反応をうかがいながら苦笑した。

「おっと、すまぬ。つい食い意地の張った方向に話をしてしまった。ともあれ、あれが手ごろに手に入るようなら、俺としてはありがたいのだがなあ」

 さすがに、こういっても商人ではない俺に香料売買の話はすまい。そう踏んだ上で思わせぶりなことをいってみたわけだが、エンデル青年はちょっと考えていた。

「そうですねえ。もう少し価格が下がればいいんですが」

 と、彼は何を思ったか、俺の方を見た。

「旦那の話をきいていると、意外と需要があるものなんですね」

「ああ、バニラのことかな? もちろん。あれは代替が効くような香りではないわけだし、特に菓子にも使えるわけで。まあ、俺は今ではまあまあ落ちぶれているものだから、それほど気楽にあれを買える身分ではないわけだが、手に入るようならほしいものだよ。あれは取り扱う店も多くないのでな」

「そうなんですね。参考になります」

 エンデル青年の反応に、俺はひそかに注視していた。

 この反応はなんであろうか。何を参考にするのだろうか。

「エンデル青年は、バニラを手近で取り扱う商人は御存じか? もしご存じなら紹介してほしいのだが」

 あえてそう突っ込んでみる。俺は何でもない態度を心掛けたが、さてこれは見破られなかったかどうか。その一瞬だけ、エンデル青年の微笑みが固くなった気がした。一瞬エンデル青年は目をそらし、それからいつもの彼に戻って答えた。

「いえ。……高価なものですし。輸入物なので、なかなか入ってこないんじゃないでしょうか。まだ麝香の方が陸路経由で入ったものが流通しやすいみたいですね」

「そうか。なかなか難しいものだな」

 俺はあえてそう軽く答えた。

 と、その時、老店主が常連客との挨拶を終えて帰ってきた。

「旦那様、お待たせいたしました。おや、エンデルとお話されていたのですか?」

「はは、俺の話相手をつとめてもらっていたのだ。忙しいところ悪かったな。おかげで俺の自由研究も進みそうだ」

 俺はそう答えて追加で彼に心づけの硬貨を渡した。エンデル青年は、それを嬉しそうに受け取った。先ほど一瞬見せた顔はどこかにしまい込んでいた。彼は若い店員にいくつか石鹸を見繕ってもらって入手すると、俺と老店主に会釈して帰っていった。

「あれは、結構な苦労人なのですよ」

 と老店主が言った。

「父母は早くになくしましてね。どうやら近隣にまだほんの小さな赤ん坊をかかえた女がいましたもので、彼女に奉公するまで養われたようです。あれは、その養母の子を実の弟妹のようにかわいがっておりましてね」

 老店主の話を俺はいささかぼんやりしながら聞いていた。

「向かいの店はうちと違いまして、いろいろな商材を扱う店で、隊商をくんで方々に出向くものですから、彼も商人として見聞を広められたのですが、その養母というのが寝込んでしまいまして……。幼い弟妹が気にかかったのか、あれは王都から遠く離れるその仕事をやめて、近隣の輸送にかかわる仕事を始めたのでございますよ。奉公先の主人も向かいの店の我々も、あれのことは不憫で健気に感じており、何かと気に掛けるようにしているのですが……」

「なるほど。そういうことか」

 俺は老店主の話をきき、淹れなおしてもらった珈琲を啜っていた。この地方の珈琲は、甘い菓子と食べるのでことさら苦めにするものだったが、今日の俺の舌にはいささか耐え難いほどの苦みを感じる。

(そんな反応を見たくなかった)

 あの時のエンデル青年は、一瞬だけだが顔を引きつらせて俺から目をそらした。それは、ほんの一瞬。しかし、俺はそれを見逃さなかったのだ。

 自分である程度の核心を持って、疑いを持って、あえて俺はそう仕向けたくせに。

 俺はエンデル青年を疑った自分も、”そう”と見抜いてしまう自分も、少し嫌になっていた。

(寝込んでいる養母と幼い血のつながらない弟妹。石鹸を扱う商人との関係。エンデルの名前、エニーにいちゃん……)

 集めた情報は、明らかに俺の予想を裏付けている。それでも、感情的な部分で、俺は俺の予想が違っていればいいのに、と思ってしまうのだ。

 ふむ、と俺はため息をついた。

「本当に、世の中とはままならぬものだな」

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