22.雨男は水滴を払い【雨女】
ざあざあと雨が降っていた。
傘を叩く雨の音。
「お前、雨男だよな」
三白眼が呆れたように言った。その視線の先にいるのは、ネズミである。
ひどい雨で二人とも濡れていた。
そんなやつらを見ている、隣の俺も濡れているのだが。俺は本音を言うと、もう風呂に入りたい。
「なんであんなに晴れてたのに雨が降るかねえ。お前、オレと最初に会った時も雨だったよな? マジで雨男だろ」
「失礼なこと言うなよ。てめえと一緒にいる時だけなんだよ、雨が降るのは!」
ネズミことゼダは、頬を膨らませて不服そうだった。
「っていうか、雨男っていうのは、むしろ、てめえのがぽいんだよ。じっとり三白眼のが雨に似合うだろ」
「なんだと!」
「こらこら、喧嘩するのではない!」
俺は見かねて割って入る。
三白眼は、基本的には争いを避ける傾向にある。いつぞやのように絡まれても、限界まで手出しせずにやられてヘタレな青年を演じる癖に、何故かネズミにだけは攻撃的で、積極的にからかいに行くし、反撃されるとすぐにムキになる。
ネズミには本性がバレているのだから、遠慮はいらないという部分もあるのかもしれない。一方で、その態度は、何事にも壁を作りがちの三白眼がネズミにだけは本来の姿をさらしているとも取れ、そこには彼なりの友情めいたものがあるのかもしれない、とも思う。(これを本人に言うと、すさまじい抗議をくらいそうなので俺は言わないが)
何にせよ、普段は仮面をかぶっているような三白眼のシャー=ルギィズにとって、ゼダは同年代の悪友といえるべき関係にはなりつつあるのだろうな、と、俺はひっそりと思っているのだ。それは好ましいことなのだ。
「私がむしろ雨女なのかもしれないわね」
と急に不安そうに言ったのは、リーフィ嬢だった。
「えー? リーフィちゃんが雨女なんてことないよー」
「そうだぜ。リーフィと出かけるとき、別に雨降ったりしねえもん」
青年二人が、傷つけたかとばかり、リーフィ嬢に慌ててそうつくろいにいく。しかし、彼女は首を振る。
「実はね、昔神殿で雨ごいの舞を躍った時は失敗しているから、安心していたんだけれど。最近、酒場で舞うときに雨ごいの所作をそっといれると、次の日雨が降ってしまうの。昨夜もそういえば……いえ、流れで入っただけで、わざとではないのだけれど」
(そんなことをしているのか?)
「うーん、統計を取ってみるべきかしら。けれど、私は非科学的なことはあまり信じないのよね」
リーフィ嬢は舞踏の玄人で、舞姫としてはとても優秀だ。古き良き舞いから、自分でも工夫をこらした新作までなんでも舞うことができる。のだが、彼女が悪気なく実験的に、所作を組み入れて遊んでいるというのは知らなかった。
そして、非科学的なことは信じない、とはいいつつ、彼女はそもそも、金星の女神の神殿に関わりがあるという。この国において金星の女神は、妓女などの水商売の女性たちの守り神でもあるため、彼女と女神の神殿に関わりのあることは、何のおかしなこともなかった。
の、割には、この「非科学的なことは信じない」あたりが、つくづく彼女らしい。
「んー、でも、ま、雨は降ってるけど、予定は決行するんだろ。兄妹みつけて、俺が商人として取引を希望すりゃいいんだよな」
ネズミはさすがに今日は抑えめの色の上着を羽織っている。ただ兄妹の前ではちゃんとしろ、と言ってはいるが、今はまだ袖を通さずにだらっと不良らしい着こなしだ。
「いきなり俺が押しかけても大丈夫なんだよな、ダンナ」
「ああ。そこはうまく話をしてくれているはずだ」
あれから後、喫茶錨亭のアイード殿のところに、サリフ兄妹は別のハーブを納入している。それは、ローズマリーなど、自分で採取した野草だったらしい。
顔の傷のせいで一見恐ろしげな容貌ではあるが、彼が優しい気性なのは子供なら簡単に見抜けるところではあるから、商売相手にしやすかったのだろう。もちろん、アイ―ド殿は、快くそれを引き受けたが、その際に気を利かせて精油の件を聞き出していた。
『この間、液体もあるっていっていたよね。飲み物なら自作で間に合ってると思ったんだけど、もしかして、精製した油みたいなもの?』
そう尋ねると、サリフ少年は薄荷油を見せてくれたらしい。アイ―ド殿は知らぬふりで、
『そうか。こういうの、他にないかな? 実は友達の雑貨のお店で、店に良い香りをさせたいんだ。もし、薄荷以外にもあるなら、わけてくれないかな?』
そこでアイード殿は、うまく彼の棲家を聞き出したうえ、その商人が直接お願いにいくようにするから、出会ったらお願いね、と伝えてくれたのだった。
とはいえ、その商人の役は、さすがに武人でしかない俺では不審。顔をすでに知られている上、住所不定無職でしかない三白眼も難しい。もちろん蛇王も厳しい。
となると、当然その役柄が一番ふさわしいのは、実際、商家のあるじであるネズミだ。もう少し不良っぽさが抜けているのが理想だが、この際、贅沢は言っていられない。
「でもよー、いきなり家に踏み込むとかちょっと嫌だよな。親がいるなら、勘づかれるかもしれないだろ。怪しまれたら終わっちまう。外に出てきた時に声かけたいんだが、こんな雨だと外に出ないんじゃね?」
ネズミが続けた。
「そこんとこは大丈夫だぜ。ちゃんと、あの兄妹、天気関係なく外に出てくる時間があるの、オレが確認してんの」
というのは三白眼。
「午後一番に、薪売りのトコに売上をもらいに行ってるの。今日は朝は晴れてたわけなんだから、普通に考えれば売上もらいに行くはず」
三白眼はこのところ、サリフ兄妹の家に張り込んでいた。近頃は、俺の窮状に流石にかわいそうになってきた、などといってちらちら協力してはくれている。まあ、俺への同情が全くないわけでもなかろうが、大方のところは自分の興味がわいたのと、暇になったからだろうとは思っている。なにせ、この男も結構気まぐれだから。
いざ真面目にやりはじめると、隠密活動はこう見えて得意な彼だ。普段はその見かけの不審さもあって目に付く彼だが、真面目に潜伏をはじめると非常にうまく忍ぶことができる。そこはどうしても、俺などは真似ができないところで、三白眼の良いところだった。
「問題は、エニーっていうおにいちゃんとの接触が確認できなかったことなんだよね。結構真面目に張り込んだんだけどな。オレが休憩しているときに出入りしていたのか、それとも接触してないのか」
俺はエンデル青年のことを三白眼にも話している。彼の特徴を伝えてあるが、そうした人物と兄妹の接触は彼のところでは確認できていなかった。
「オレも、兄妹が街中に出て行ったところを毎日尾行できたわけじゃないからなあ。遠目に見る限り、市場ではそういう接触なかったけど。ただ、オレは尾行はうまいほうだけど、毎日同じ市場でつけまわしてたら、周りの奴らに不審者ってことで取り押さえられちゃうから、オレが見えなかったところで、何か接触あった可能性はないわけじゃあないんだよね」
うーん、と彼は唸りつつ。
「ま、でも、オレが取引もちかけりゃ、その兄貴と接触する可能性高いだろ。考えるより産むがやすしってやつだぜ。行ってみようじゃねえか」
ネズミはこういう時は前向きだ。雨男の可能性が濃厚なのは彼ではあるが、その気性は意外にからっとしている。
「私もついていきたいんだけれど、今日はお仕事があるの。気を付けてね、みんな」
リーフィ嬢がそう言って見送ってくれる中、俺たちはサリフ兄妹の家のある一角を目指すのだった。
雨は少し小ぶりになったが、それでも、しとしと降っている。
「アレ、そういや、蛇王さんは?」
道すがら、そう三白眼に聞かれて俺は渋面になった。
「知らん。またここ数日見かけていない。アイツ、一体どこに行っているのだ」
どうでもいいときは、しょっちゅう顔を見せにくるのに、こういう話したい事項ができた時ほどいないのがアイツだ。
「アレ? 蛇王さんなら、朝、俺とメシくってたんだけどな。うん。一緒に美味いクスクス食ってた」
というのはネズミだ。
「はアっ? なんだと!?」
「いや、今からダンナと兄妹のとこ行くぜ、って話して、わかってそうな口ぶりだから、てっきり一緒に来るのかと思ってたぜ?」
「あの髭達磨ァア! わざと俺と顔を合わさないようにしているなァア!」
ふつふつ怒りがこみ上げそうになるのを、三白眼がとりなす。
「まあまあ、蛇王さんも、考えあってやってるのかもしれないんだし。ない可能性のが高いけど」
三白眼に取りなされても、怒りは全然おさまりはしない。
「ぬう! 一番、雨男そうな名前をしているくせに、実際は相当の晴れ男であるアイツが来ないから、今日は雨なのではないか?」
「それはそうかもな」
「いや、雨なのは絶対、お前のせいだぜ。ネズミ野郎」
「なんだよ、突っかかりやがって」
「こら、往来で喧嘩はよせ」
俺がそんなことを言うとネズミは同意し、そして、三白眼が軽くまぜっかえす。
雨の中、比較的賑やかに道中進んで行った。
しかし、そんな戯れたやり取りをする間に、いつの間にか目的地は近づき、自然と皆は静かになっていた。
例の住宅地の一角に差し掛かるころには、ちょうどいいことに、雨はこやみになっている。
「よし。じゃ、行ってくるから」
ゼダは上着に袖を通し、きちんと整えた。ざっと上着をふるって水気を落とし、きちんと着こなして、髪の毛を整える。
「ちゃんとしろよ。オレたちは離れたとこで見てるから」
さすがに住居のある往来で二人で立っていると目立つ。三白眼が張り込みに使っていた物陰に我々は潜んでいることにした。
「任せとけって」
見かけは、商家の小間使いのような雰囲気になったネズミだが、まだ目がもうちょっと悪戯っぽい。そこが少し不安ではあるが、さりとて、この男もそれなりに欺くことには長けている。
我々が物陰に移動し、ネズミはサリフ兄妹の家の前の角にそっと身を隠した。
さほどの時間が経たない間に、ふいに兄妹の住居の扉が開いた。
「雨、やんできたねー」
小さな少女の声がする。
「うん。やんできてよかった。さ、おじさんのところにいこう」
サリフ少年は、優しいまなざしを妹に向け手を差し出した。妹がその手を握り、出ていこうとしたところで、ネズミがごく自然に角から出てきた。
そして、なんとなく道に迷っているような小芝居を入れつつ、きょろっと周りを見回し、それから兄妹に目を向けて、「あ」といった。
そういうときのネズミは、流石にいつもの不良の顔ではなく、おとなしくて道を問うのすら、はばかっていそうな控えめな青年だ。ネズミは軒先にかけよって、雨を避けながら兄妹に近づいた。
「あの、もしかして、ここサリフくんの家ですか?」
とネズミが、いつもと別人のような気弱な口調で話しかける。
「はい、僕がそうです」
「そうなんだ。俺は錨亭の人に紹介されてここにきたんだよ。あの喫茶店にいる赤毛の人……」
「あ、『お取引』の? あの店主さんのお友達ですか?」
「うん。君たちのおうちに行こうと思ったんだけど、どのおうちかわからなくなっちゃって。迷っていてね」
ネズミの濡れた服装は、確かにしばらく家がわからずにさまよっていた気弱な青年という設定に、説得力を与えている。
「もしかしたら、出てきてくれないかなって待っていたんだ。そろそろ、誰かに聞きたいなって思ってたんだけど、ちょうど出くわしてよかったよ」
サリフ少年は、警戒のまなざしを持って彼を観察しているようだったが、不審な点は見られなかったのだろう。彼はうなずいて、ほんの少し愛想笑いを浮かべた。
「『お取引』は僕が直接するわけではないんです。ただ、お取引がある場合、このお手紙を渡すようにって……」
サリフ少年はそういって、例の香りのついた巾着袋を取り出すと、そこから手紙を取り出した。それは俺が彼に書いてあげたものと同じように見えたが、封筒の紙質が違う気がした。
「手紙?」
ネズミはきょとんとしつつ、その封書を受け取った。
「ここに書かれている通りにしていただければ、『担当のもの』がお話させてもらいます。手紙を『担当』にお渡しください」
幼い彼にはいささか似合わない、商人めいたしゃべり方で彼は言ったものだった。
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