23.暗殺者ははかりごとを語る【ストロー】


 俺は、本格的な農作業はほとんどしたことがなかった。

 もともと、家柄的にも武門の道に進まざるをえなかった。零落していたので、家庭菜園の手伝いなどはしたし、俺自身も畑仕事を厭うつもりはなかったが、そういう機会を持たなかった。

 なのだが、収穫期に目の前で忙しそうな面々を見ると、自分もなんとかしなければと思ったものだ。

「お客人は、お客人なのです。別に手伝わなくてもよいのですよ」

 といわれたのは、かつて重傷を負った時にラゲイラ卿に保護されていたときのこと。

 けがの療養中、ラゲイラ卿は、傭兵仲間に敵が多かった俺を別荘地に連れて行った。気兼ねすることなく療養ができるようにと手配してくれたのだ。

 そこには彼の古くからの使用人が何人かおり、ほそぼそとだが、穏やかな生活がなされていた。

 屋敷は豪奢でなかったが洗練されており、ラゲイラ卿がほうぼうから集めて戦火から守っていたという古今東西の書籍が集められた、もはや図書館といってよい大きさの書斎や、よく手入れの行き届いた庭があった。

 そして、ザファルバーン北部にある領地の別荘は、太内海近郊の気候に似ており、南の王都に比べて気候が穏やかで、緑に囲まれてもいた。

 世俗の忙しなさとは隔離されており、まるで楽園のような穏やかさがあった。

 そこで、ラゲイラ卿の使用人たちは自分たちが食べる為の食糧を菜園で生産しており、一部に麦畑があった。

 刈り取りの時期には黄金色に実った麦が畑を埋め尽くして、心を動かされるほどきれいなものだった。使用人たちはそつなくそれを刈り取って乾燥させていった。

 そして、脱穀後、残った麦藁は、家畜の餌や畑の敷き藁、家具につかうなど、様々な用途があるので、専用の小屋に運び込んでさらに乾燥させて備蓄しておくのだが、その作業を、使用人の老人が一人でやっていた。俺は手伝いを申し出たのだ。

 収穫期の手伝いは、客人であることと療養中であることもあり、遠慮されていたのだが、自分一人が休んでいることにも抵抗があった。

「ジャッキール様は、まだ療養中でしょう。お怪我が悪くなるといけません。お休みください」

「い、いえ、これ以上おとなしくしていると、体もなまることですから。ラザロ殿」

 と食い下がってみると、その老使用人は黙って俺をじっと見つめるのだ。

(あああ、なんだかすごい目で見られているう……)

 俺は、正直言って、この男が非常に苦手であったのだ。なぜなら、気配もしなければ、まったく顔に表情がないからである。死んだ魚のような目で、しかし、値踏みするように見られているような気がして、いつでも彼の視線を浴びると冷や汗をかいていた。

 ラザロはひょろりと痩せた老人で、ラゲイラ卿の使用人の中でも特に古くからの従者だという。特に高い身分でもないのだろうが、この屋敷にいる間、いつでも彼のそばにいる。ラゲイラ卿は簡単に人に心を開かない。彼はよほど気を許した側近なのだろう。

 ラゲイラ卿は、俺の療養中も方々に飛び回っていたが、俺の世話はこの別荘を取り仕切っていたこのラザロが筆頭となって申し付けられていた。あとで聞くと、瀕死の俺を助けたことも、このラザロによるところが大きいらしいので、彼は俺の命の恩人ではあるのだ。

 あるのだが……。

(このじっとりとした目で見られるの、いつまで経っても慣れんな)

 しかし、療養中といってもすっかり体は良くなっているし、何もしないで世話にばかりなっている厚かましい客人などと思われるのも心外だ。ただですら、良く思われていない気がするので、俺はつとめて彼に話しかけるようにはしていた。苦手だが。

「そこまで言われるのなら、お手伝いいただきましょうか」

 と、ラザロは、ふと言った。そういうときも彼の表情は全く変わらなかった。面倒臭がられているのか、それとも喜ばれているのか、まったくわからない。しかし、世話になりっぱなしも気が引けるので、そう言われて俺としては安堵していた。

「この麦藁を小屋の二階にあげておくのですよ。梯子は足場が悪うございますから、十分にお気をつけてください。けして、ご無理なさいませんよう」

 ラザロはそういって、自分は痩せた体に藁の束を二つ軽々持ち上げて、ひょいひょいと仕事をこなしていく。

(なんとなく、この老人、ただ者ではなさそうなのだよな)

 うーん、と俺はその手並みを見ながら思ったものだ。第一、彼はこの俺をして、気配を全く読ませないのだ。いつの間にか後ろに立たれていることもあって、思わずヒヤッとすることもあるほど。仮に彼が暗殺者だったら、俺などはとうに後ろから心臓を貫かれているに違いない。恐ろしい話だ。

 けれど、そのたとえは、荒唐無稽なものではないようでもあった。ラザロには確かに元は暗殺者だったという真偽不明の噂があった。ラゲイラ卿に古くから仕える彼は、謎めいた実力者でもあった。

「ジャッキール様。少し休憩をいたしましょう」

 半分ほど作業が終わったところで、ラザロがそういうものだから、俺と彼は休憩をはさむことにした。

 ラザロが俺のことをどう思っているのかわからないが、少なからず彼の対応は丁寧である。

 ラザロは俺の為に冷やしたお茶と、甘いアーモンドの入った焼き菓子を用意させて差し出した。

 ラザロは俺が甘党であることを見抜いているらしく、何かと甘いものを準備してくれる。が、何も言ってはくれないので、『強面のいい歳した男のくせにこんな子供みたいに甘いものを食べるのか』と、思われている気がしてしまっていた。

 なおかつ、ラザロはすすめても自分は食べず、俺が完食するまで瞬きもしない勢いで俺のことを凝視してくるのだ。

 怖い。控えめに言って怖い。

(しかし。ラザロ殿が出してくる菓子は、いちいち美味ではあるのだよな)

 居心地が悪いし、こわいのだけれど、菓子がうまいのも事実。

 俺は欲望に負け、結局焼き菓子を恥も外聞もなく味わい、冷やした茶をゆったりと飲んだ。

 その頃には傷はほとんど治っていて、痛むことはあまりなかったが、久々に体を動かしたので、心地よい程度につかれている。体に、甘い菓子と茶がしみこむようだった。

「ジャッキール様」

 そうラザロがたずねてきたので、俺はきょとんとした。

「なんであろうか」

「すこし、雑談になりますが、お話、よろしいですか?」

「あ、ああ。どうぞ」

 な、何を話されるのだろう。俺は正直ドキドキしていた。

 そろそろ、寄生虫みたいな食客生活をとがめられるのではないだろうか。そんな怯えが顔に出ていたのか、ラザロがかすかに笑うのを見た。珍しい。……が怖い。

「そのように恐れずとも、取って食いやしませんよ。ただ、このラザロめといたしましても、少しあなた様には心配がございまして……」

「ご、ご心配? どのような」

 ラザロは無表情に告げた。

「今、ジャッキール様が、敵に追われていると致します。目の前に、このような麦藁を干した農作業小屋がございます。少し離れたところには茂みがあります。ジャッキール様はどちらにお隠れになりますか?」

 唐突な問答に俺はあっけにとられていた。ラザロ の視線に負けて答える。

「む、……そうだな。農作業小屋は隠れる場所が多いが逃げ場をふさがれ籠城をやむなくされる。茂みであればさらに逃亡することはできるかもしれぬ。……人の心理としては隠れられる小屋に逃げたい気持ちとなるが、そこに逃げ込むのは得策ではないと思う」

「正解ですね」

(せ、正解なのか……)

 ラザロは特段表情を変えずに言った。

「しかし、そんな風に正答できるのであれば、今、現在、このラザロめには、一つ気になることがございます」

「な、なんであろうか……」

 ラザロは俺を瞬きもしないで見た。

「もし、このラザロめがジャッキール様を害する刺客であるとしたら、この状況をどうお考えですか?」

「えっ」

 そういわれてどきりとした。ここは農作業小屋だ。比較的広いとはいえ、俺の武器は得意な武器は剣であるので屋内での戦闘には不利である。さらに言えば、乾燥しかけた藁が満載に積まれている。

 ラザロは黙って俺を見ている。瞬き一つしない冷徹な目。そのラザロは、いつでもラゲイラ卿を先導できるよう、油の入った小さなランプと種火を持ち歩いていることを俺は思い出した。

 そうだ。……もし、火をつけられたら、逃げ場が……。

「ふっ」

 ラザロが初めて吹き出した。この男がここまではっきり笑ったのを見たのは、これが初めてだったかもしれない。

 ラザロは、ふいに手元をすっと動かした。どきっとして俺は反射的に身を引いたが、ラザロの手には一本の麦藁があるのみだった。その藁で砂糖水がグラスの底によどむ紅茶をかきまぜた。そして、それに口をつけて優雅に啜る。

 そういう飲み方もあるのか、と感心する余裕などなく、呆然とした俺にラザロはにやりとした。

「そのような顔をなさいますな。ラザロめは、御前様の大切なお客人を命がけで守ることはあろうと、害することはございません」

「あああ、そ、それは、わ、わかっているのだが……」

 俺は振り回されて、かなり動揺していた。やはり苦手なのだ。この老人。

「ラザロめは、ジャッキール様にお気をつけていただきたいのです。貴方様は能力はおありだが、心根がお優しい。それは付け入るスキになります……。世には信用ならぬ狼のような人間が多数ございます。それこそ、御前様のようなね」

 とラザロは、自然と自分の主君をくさしていた。これは、彼なりの自虐的な冗談らしい。ラザロ老人にはラゲイラ卿への深い忠誠心があるのは、疑いようもないことでもあった。

「このような場所にお出向きになるときは、決してご油断召されるな。必然もなく、こうした場所を指定する相手には思惑がございます。……お気をつけあそばせ」

「あ、ああ。ご、ご教授いただきかたじけない。お気遣い、痛み入る」

 どこまで本気なのかわからないラザロの言葉にびくびくしながら俺が挨拶すると、彼は俺の方をじっとみた。やっぱり怖い。

 しかし、多分、彼は俺のことが嫌いではなかったのだ。彼のその視線は、彼が過去をいとおしむためのものであった。

 その時の俺にはわからなかったが。

「貴方は、”お坊ちゃん”とどこか似ておられるので……」

 ラザロは目を伏せた。

「その優しさが甘さとなり、身を亡ぼすことのないよう、どうか、くれぐれもお身をお大事になさいませ」


 俺がラゲイラ卿に、戦火で亡くなった一人息子がいることを知るのは、それからもう少ししてのことだった。


 *


 俺は指定の場所に向かって歩いていた。

 ネズミをあの兄妹のもとに遣わせて、取引を申し込んだとき、兄妹は彼に『手紙』をくれた。

 昨日、俺はその手紙をネズミから受け取り、精査していた。

「この手紙は、俺が書いたものではないな」

 微かにイランイランの妖艶な香りがする手紙。その内容は恋文で、その文章はあの時俺が書いたもの、そのものだった。

『お慕いしているあなたを、いつもの場所で、お待ち申しあげています』

 だが、紙が違う。それに筆跡も僅かに違う。

「これは俺があの兄妹に書いたものを、誰かが写し取ったものだな」

 しかし、それを写したものはおそらく文字が満足にかけてないのだろう。書きなれないペンでなぞったであろう文字は、ところどころふるえてインクがにじんでいる。ただ、俺の筆跡には似ているから、紙を合わせて写したのだろう。

 そして、その手紙には、場所の表記が書いてあった。

 西の木屑の市場。朝市。花売り娘。時間は、朝市開始後、ひととき。

 朝市は午前九時頃の開始、それから一刻。つまり二時間の間。

 花売り娘とはやや意味深だが、こんな朝早くに客を引く売春婦はそうそういないのでここは意味の通りにとってよかろうか。

「ダンナだけで大丈夫かよ? 俺が行った方がよくない?」

 と、ネズミは心配そうであったが、俺は彼の同行を固辞していた。

「しかし、ここまでくると危険も伴うことだ。直接にしろ、間接にしろ、何かしらの荒事も伴うかもしれんしな」

「それじゃあ余計……」

 とネズミは食い下がったが、

「複数人でいくと、あっちの方に逃げられる。俺なら、お前の店の用心棒でいったんは通るだろう。一度これで行ってみよう」

「でも、あっちも何かしら準備してないかねえ?」

 と三白眼が唸った。

「あんま、アブナイ橋渡るのは感心しねえな。アンタ、人に無謀だなんだ、っていうけど、アンタが一番無茶するからさあ」

「そんなことはないぞ。俺だって、引き際は心得ている」

「そりゃあそうだけど。……なんていうか、ダンナはたまに発作が出るじゃん」

 奴が言っている『発作』というのは、戦闘中、俺が見境をなくして戦闘に夢中になってしまうことを言っている。

「ああいう感じになったら、作戦も全部放棄して暴れちゃったりとかするでしょ。大丈夫?」

「それは安心しろ」

 俺は言った。

「流石にその病とは、十年以上付き合っている。……あれにもそれなりの御し方がある。それにな、あれに侵されるときは、俺の精神状態が良くないときだ。若い時は不安だったが今は大丈夫だ」

「えー、そうかな。信用ならねえ」

 三白眼は憎まれ口をたたくが、心配はしてくれているらしい。

 三白眼は手元の飲み物を引き寄せて、どこからかとってきた麦藁を差し込むと、手持ち無沙汰に飲み物をかき交ぜてそれで啜る。

「今回はアンタに任すけど、マジで危なくなったら言えよな」

「珍しく素直だな。心配をしてくれているのか」

 ずずーっとあまり上品でもなく飲み物をすすってから、三白眼はちっと舌打ちした。

「べ、べっつにー。アンタを心配してるわけじゃねえの。オレは、アンタがやりすぎて大ごとになるのと相手が心配になってるだけだ」

「素直じゃねえなー」

 三白眼がそういうのを見て、ネズミが呆れたように言った。三白眼は本性は意外に天邪鬼だった。


 ともあれ、俺はその日は一人で行動していた。

 西の木屑市場は長屋からは遠くない。ぐるりと朝の市場を巡っていると、一人だけ花を売る娘を見かけた。

 花売り娘。それには先に俺が述べた通りの隠語もあるが、……その花売り娘は逆にその意味が正しいような雰囲気の娘だった。実際、かごに花を詰めて売ってはいたが、花売り娘ときいて思い浮かべるような清楚さや明るさはあまりなく、すれた大人の女、といった気配がある。

「失礼」

 と俺は意を決して彼女に声をかけた。

「なんだい、旦那。花を買ってくれるのかい?」

 むしろ、それは隠語の方の意味にとれる色気があったが、俺はそれを振り払うようにして、手紙を差し出した。

「俺は主人の使いできていてな。……この手紙の通りの用事でここにきた」

 娘は手紙を受け取って、そして、ふと顔を変えた。

 彼女は近くにいた絨毯などを売っていた雑貨商の方に歩いて行き、いくらか彼と話した後に早足で戻ってきた。

「わかったよ。アンタ、エニーの客だね」

 俺は黙ってうなずいた。

「いいよ。取り次いでやるから、こっちに来な」

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