20.摩天楼の見下ろす街【摩天楼】
まだ淡い輝きを放つ太陽。
白っぽい日干しレンガで築かれた摩天楼は淡い太陽に煌めき、朝霞がたなびく。
ザファルバーンは、古来より高層建築物で知られるという。
天に聳える建築物が建てられるのは、それだけ建築技術が高いということだ。
俺が長屋周辺からでもみることのできるそれは、リーフィ嬢の言っていた商人達の住居だが、そもそもこの街の建築物は、二階、三階を持つものが少なくない。
庶民の住居ですら高層になりがちということは、王宮や貴族の住まう建物、さらに言えば神殿やなどの宗教施設は高い塔を持ち合わせていることも多い。
特に有名なのは、この国で最も崇拝されている金星の女神を崇める神殿であるが、古来から本当に天にも届かんばかりの高層の神殿が造られていたという。
最も高い建物は、神に壊されたとも伝説ではきくけれど、今でもこの都市には摩天楼が聳えていた。
それが朝霞を帯びながら明けゆく空から姿を表すのは、その神々しいような、はては禍々しいような、どこか不思議な感じすらした。
早朝の散歩。それを見やりながらゆるりと周囲を一回りする。
戻ってきても、まだ部屋で例の三人は雑魚寝していた。
昨夜、俺の部屋で夕飯を食べに来ていた三人は、そのまま帰らずに寝落ちしてしまっていた。蛇王はともあれ、ほかの二人は酒も入っているし、最初から帰るつもりはなさそうだったのだ。
俺が途中までつきあってくれていたリーフィ嬢を家まで送ってから帰宅すると、部屋が隣の蛇王までもが勝手に人の部屋に寝床を作って寝ていたわけで、俺は完全にやつらを追い出す機会を失っていた。
まあ、それはもうどうでも良い。こうなることはあらかじめ予測はできていたとも。
だからこそ俺は先に朝食の用意をしてから、こうして朝の散歩にでかけていたのだ。
散歩から帰ると、そこそこ太陽は上っていた。もう遠慮はいらんだろう。俺はやつらを起こすべく使っていないほうの鍋をたたいた。
「ほら、貴様ら! 朝餉の時間だ! 起きろ!」
けたたましい音に、やつらがうなりながら目を覚ます。
「ジャキのダンナ、相変わらず朝、早いんだよなあ。年寄かよー」
三白眼が目をこすりながらぼやいた。
「いいから起きろ。メシを作ってやっただけありがたいと思え」
「相変わらず、謎のおかんみがあるよなー。おせっかい焼きー」
吐き捨てる三白眼と眠そうながらもそれなりに起きている蛇王、そして、しつこく寝具をかぶって耐えるネズミを見やりながら、俺こそ、お前らの母親を務めるつもりはない、と思うのであった。
*
「石鹸屋の聞き取り調査?」
朝飯の、昨日の残りのトマトの詰め物と卵焼きを挟んだピタパンを食べながら、三白眼がたずねてきた。
「あー。そういや、そうか。例の銭湯の話って相手、石鹸取り扱い業者なんだっけ?」
「うむ。リーフィさんにも勧められたし、一応当たってみるほうが良い気がしてな」
「それはいいかもしれないなあ。確かに石鹸の香りづけに精油使ってるし。そこからうまく別の業者につなげられるなら、丸ごと買っても損はしないよな」
まだ眠そうなネズミがうなずいた。
「んでも、ダンナは石鹸の業者に顔見知りが……、って、まあ、あるかー」
と、ネズミが俺の部屋の一角を見やった。そこは備蓄品の置き場だが、棚の一角には石鹸の保管場所がある。蛇王がそれを視線で追って、香辛料をきかせた紅茶をすすりながら呆れたような顔をする。
「エーリッヒの奴の石鹸収集癖はなかなか狂っているからな」
「別に狂ってはいないぞ。ただ、周辺の治安事情などから街道封鎖が時々あるし、良い品物の備蓄に努めているだけだ」
むっとしてそう言い返す。
そこの一角は良質な石鹸の貯蔵をしているところで、家でも涼しい場所にあたる。俺は石鹸をそこに綺麗に積み上げて備蓄している。我ながら非常にきれいな四角錐ができていた。近頃、その隣にも小さな石鹸を塔状に積み上げてある。途中で遊び心が出てしまい、尖塔に似た形にしてしまった。
「ダンナの石鹸ミナレット、こうみると相変わらずすげえな。ご利益ありそうな積み方してやがる」
三白眼がその大きな目でまじまじとそれを見つめた。するとネズミがその隣をみる。
「俺はこの石鹸ピラミッドのが衝撃だぜ。どっかの王の陵墓みたいだよなー。祭壇かよ?」
三白眼とネズミはそう言ってから、二人して俺をまじまじと見上げてたずねてきた。
「ダンナ、もしかして、石鹸の神様とか祀ってる方の人?」
「新しい宗教開いた?」
「違う! ただの備蓄品だ!」
俺は惚れ惚れと部屋の片隅を見やる。
「まあ欠けがあればすぐに補充するがな。この秩序を乱したくない」
「ほらな! なかなか狂っている」
間髪入れずら蛇王がまとめるかのごとく発言してきた。
「ま、そういうお前だから、石鹸屋のなじみはあるのだろう」
「その雑なまとめ方には悪意がある気がするが、まあそうだな」
俺は紅茶をすすりつつ答えた。
「そこの商人なら信用が置ける。少しきいてみようと思うのだ」
「それはいいかもな。オレもあの兄妹の家のあたり、張り込めそうなときには張り込んでみるよ」
三白眼がそう申し出る。こう見えて奴が一番隠密活動に向いている。
「うむ。無理しない範囲で頼む」
俺はそう答えつつ、朝食後に早速出かけることにした。
*
遠くから見ても非常に目立つ建物である、その高層住宅であるが、近くから見るとその高さはかなり威圧感がある。しかも、それが何棟も道の両側にずらっと並んでいる。
普通、ここいらで多いのは三階建て程度の建物であるが、この地区の高層の建物は五階建て以上が多く高いものになると十階ほどあるのだった。それゆえに多少観光地化しているところもあるらしく、ひとつの高い建物などは手数料を払えば見学ができるようになっている。
もともと、特定の地域出身の商人の住居だったこともあり、なかなか商魂もたくましく、それゆえに今では低層階には店が入っていることもあった。
俺がなじみにしている石鹸の卸売りと小売りをしている店にしても、その周囲にある。
「これはこれは、旦那様。いつもごひいきにしていただきまして」
俺が店を訪れると、上品で愛想の良い老店主が挨拶をしてくれた。
この店は庶民的な価格のものから、それなりの高級な石鹸まで、さまざまに取り扱う店だ。俺は近頃は取り立てて高い石鹸を買っているわけではないが、この店主は愛想の良い男でもあって挨拶をしてくれる。
それは、俺がかつてラゲイラ卿に仕えていた時代から、ここに通っていたことも無関係ではないのかもしれない。
俺が彼のもとを離れていることは、すでに知られているとおもうが、店主は変わりなく俺に挨拶をして雑談に応じてくれるのだった。そうした事情から、彼なら信頼がおけると思いこの店を選んだこともある。
「今日はいつものを包んでもらいたいと思ってきたのだが、他にも良いものがあれば見せていただけるとありがたい」
「ああ。それなら、届いたばかりのものがありますよ」
と新しい石鹸を紹介してくれた。
主にここの石鹸は、王都より西北街道を通って西側に北上したところにあるアレルプという古い町で作られている石鹸だ。ただその街道は盗賊がいることもあるほか、そもそも、ザファルバーンという国が小さな諸国との同盟により成り立っている一面もあるため、時折諸国間の小競り合いがあり、まれに街道ごと封鎖されてしまうことがある。
となると、アレルプからは太内海を航行してから運河沿いに下って王都に運ぶわけだが、海賊が非常に多い地域である為、もろもろ諸経費が高くつく。海賊の害を防ぐ為には護衛船を頼むなども必要だが、その海賊自体に袖の下を通しておく必要に駆られることもあるのだ。
そのため、時々石鹸の価格が高騰してしまい、心配性な俺は取り乱しそうになることもしばしばあるのだが。
一般的にオリーブや月桂樹の油で作られているここいらの石鹸は、本来は鮮やかな緑色をしているが、一年ほどの間乾燥にかけてから売り手に卸されてくる。そのため表面は褐色に変化しているが、半分に切ってみると中はまだ鮮やかな緑色をしている。それゆえに泡立ちがまろやかだった。
「旦那様もお変わりなく……」
店主が珈琲を出してくれるので、俺はいただくことにする。
「近頃はかつてと違い、さほど買い物もできないのに、このように丁寧に対応いただいてありがたい」
「いえいえ、私が旦那様とお話するのが好きなのですから、ご遠慮なさることはございません」
老店主はそういうと皺の多い顔で微笑んだ。
「ご事情は察してはおりますが、旦那様は御前様とも懇意にされておりました。御前様は我々のようなものにもお優しい方でしたから、あの方のお眼鏡にかなっていた貴方様ですからね。わたくしといたしましても、旦那様とお話するのは楽しいのですよ」
御前様、というのはラゲイラ卿のことだ。いまだに彼のおかげで大切にしてもらえるのは、ありがたいと同時に少し申し訳なくも感じる。
「そうだ。少し聞きたいことがあり、もしご存じなら教えていただきたいのだが……」
「どのようなことでしょう?」
「近頃、薬草を取り扱う店に、若い商人が出所のはっきりしない香料の取引を持ち掛けてくることがあると聞いていてな。うまく取引ができないようで、石鹸に関連する業者との取引をめざしているのではないかという情報を得ている。……実は私はその商人の行方を捜しているのだが……」
「ふむ。盗品のような事情のあるものでしょうか。そうですな。わたくしどものようにアレルプから仕入れているだけの店はともあれ、工房を持ち、直営している商人もこの周辺にはございます。そうしたものたちは、香料を必要とはしていますが」
と老店主は言った。
「これは表向き自身が使う仕入れたことにして、その内実、転売のための取引を行うのではないかと、そう読んでいらっしゃるのでしょうか」
「そうなのだ。確かに石鹸にも香りづけは行われるが、私の探している商人が持っている香料は、高級かつあまり石鹸に使わないような香料も含む。ただ、その商人としては売れればよいだけではある。一方、買う側としては出所のわからぬ、盗品かもしれぬものを買うのは危険を伴う。もしかしたら、直接的に香料を扱う店には売りづらいのでは……と」
「確かに自身が使うものとして買い入れてから転売することはできそうです。直接香料を扱う商人とのつながりも多いことですし、そこでは秘密の取引が行われることも、ままあることですから」
老店主は言った。
「ただ、今のところ、そのような怪しい動きをする若い商人はみかけておりませんな。観光客も通りすがりはしますが、出入りの商人は顔を見知ったものが多いので……」
「ふむ、なるほど」
例の石鹸の話は、関係のない取引だった可能性もある。俺が銭湯で偶然、石鹸の話をきいただけで、相手の顔をみたわけでもない。窓越しの会話、俺の聞き間違いがあったことも否定できない。
(まあ仕方があるまい。可能性を一つずつつぶしていくことが大切なのだからな)
俺はそう考えて、出された珈琲に口を付けた。
と、その時。
「おや、エンデルじゃないか。運びの仕事かね」
と向こうで声がした。顔を上げると、見覚えのある若者が往来にいる。今日はロバをつれていないがゼダが岬で頼んだ人足のひとりで、俺が蚊よけの香を購入した青年だ。
「いや、今日は石鹸を仕入れようと思ってきたんだ」
「そうかい。うちの店にもよっていきなよ」
「もちろんだよ」
老店主の店の若い店員が、エンデル青年に声をかけていた。
「あれは……」
「おや、旦那様ご存じですか?」
「ああ、この間、市場で珍しいものを売ってもらったのだ」
老店主はそうでしたか、とうなずく。
「あれはエンデルという青年でしてな。かつて、向かいの店で奉公していましてね。その後は、隊商についてあちらこちら回っていたのですが、近頃は独立して輸送の仕事の傍ら自分で商売を始めているようですな。どうやらその時に貿易商とも知り合っているので、珍しい商品に触れることも多いようで……。とはいえ、まだ独立したての若者。気立ての良い青年ですが、世間知らずな部分も多いので見守っているのですよ」
俺は老店主の話を聞きながら、往来の青年を見ていた。
そう、気立ての良い青年だ。愛想が良く、俺などにも話しかけてくれる。控えめに言っても十分に好青年。
それだけに、今、この瞬間、ここで彼を見かけたことに、俺は一抹の不安を覚えていた。
俺は、本心では、彼を疑いたくない。
しかし、珍しく俺の本能的な部分が、注意せよと囁きかけてきている。
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