28.潮騒は自らの内に鳴り響く【ヘッドフォン】-2

 *


 西の木屑市場。

 時は正午をまわったところ。俺はそこに向かっていた。

「こっちから仕掛けていって大丈夫かな?」

 俺の少し前を歩いているのは、三白眼だった。今日は、こやつとの二人連れだ。

「さてな。しかし、あちらの出方を待つのも危険すぎる。郊外とはいえ、平気で放火するようなやつらだ。長屋に俺がいては何をされるかわかったものではないからな。色々考えたが先手必勝が最善策だろう」

「それもそうかもねえ」

 と三白眼は唸る。

 サリフ少年と話した後、俺は例の雑貨商のもとに出向いていた。持ちだしたバニラを置いた部屋にはネズミと蛇王をおいてきていた一方、俺は三白眼と二人で出かけることにしたのだ。

 それは表向き、『取引』をするためだ。

 しかし、昨日の今日だ。ただ単に俺が行くとただの殴り込みになる。

 そこで交渉役として三白眼がついてきていた。

 俺と同じ人種である傭兵としての気配のある蛇王にもこの役割はできまいし、かつてサリフ少年とやり取りをしたネズミは囮であるとバレている。そして、こうした混み合った荒事に慣れていると言う意味で、シャー=ルギィズの協力も、また最善の策であると思う。

「んでもさあ、和解の交渉の餌するのに、この石ころ一つで説得力ある? ダンナのへそくり、ごっそりおろしてきたほうがよかったんじゃない? ジャキジャキ、大金溜め込んでるでそ?」

「何を言うか。そんな大金あるわけがないだろう」

 と俺はむっとしつつ。

「それに、これは紫水晶の原石だ。先ほどリーフィさんにも見てもらっただろう? 確実に値がつくものだぞ、これは」

 昨夜は仕事で来られなかったリーフィ嬢だが、誰から事情をきいたものやら、俺を心配して午前中に俺の部屋に立ち寄ってくれたものだった。表情は全く読めなかったが、本当に心根の優しい娘だ。その心遣いにつくづく感激する。

 部屋には、男どもがそろっていて非常にむさくるしかったのだが、彼女は気にせず上がって茶を飲んでいってくれていた。

 俺がろくに片付けもしない連中が、寝具代わりの毛布や敷布をあちらこちらに散らばっているのを慌てて片付けている隣であったが、リーフィ嬢が優雅にお茶を飲んでいるのをみるのは、まるで一服の清涼剤の感があった。俺の心も癒されようというものである。

 そして、あの動じない感じはとても見習いたい。実にさっぱりとして、凛々しい。ここまで来るといっそ雄々しい。

 ともあれ、そんなリーフィ嬢に、サリフ少年が持ってきた、紫水晶らしい結晶のある石を鑑定してもらったのだ。

 リーフィ嬢も専門ではないと断っていたが、そもそも、きらびやかな宝石のことはここにいる野郎どもより女性の方が見慣れているだろうし、自然科学に素人な我々よりもよほど彼女は知識がある。

 正直、一番信頼ができる相手だ。

『これは立派な紫水晶ね。運河で見つけたというのだから、川上から流れてきた可能性も否定できないけれど……、あそこなら何らかの事情で船から落としたか投げたかしたものかもしれないわねえ。とにかく、良質だし、ザファルバーン近郊のものではなさそうよ。それだけに高値がつく可能性が高いわ』

 彼女は、まじまじとそれを見やってそういったものだ。その紫水晶は、三白眼の手にある。

「それだけあれば、餌としては十分だ」

「そうかねえー? ま、きれいだとは思うんだけどさあ。オレはちゃんと宝石として加工されてないと、イマイチ食指わかないっつーか。アイツらも目利きできなさそうじゃん。オレと似たようなもんそうだし、連中、乗ってくるかな?」

 三白眼は気が乗らなさそうに、サンダル履きの足でひらひらっと歩く。

「相手は腐っても雑貨商だ。全くの素人ではないはず。お前は身を飾る装飾品にしか、興味がないだけだろう」

「それはそうよー。だって、そんなモン、いいものだっていわれたところで、部屋に置くしかないじゃんか。オレにはいい質草にしかみえないもんな。指輪でも質に入れようとおもうのに、自分を飾ることもできないキラキラなんて、要らなくねえ?」

「質草にはする価値はあると思っているのだろうが!」

 こいつにはこういうものは渡せないな、と俺はしみじみ思う。全部酒代に消えそうだ。

 呆れながらそんな会話をしているうちに、三白眼がちらりと俺を振り返った。

「でもなにさ。今日は顔、すっきりしてんじゃん? 昨日とはえらい違いだぜ?」

 そう言われて思わず、俺は苦笑した。

「まあな。……そこはお前にも協力してもらったからな。どうやら迷いは断ち切れそうだ」

 三白眼はニヤリとした。

「そりゃあよかった。感謝してもらえるなら、いろいろおごってもらえそうで、オレも寝不足になった甲斐があるってもんだよ。とりあえず今日片付いたら、かこつけ一杯ヨロシクね?」

「お前はたかりから離れろ。全く! 少しは見直していたのに!」

 いい奴ではあるのだが、こういうところは本当に治らないな。

 俺はげんなりしつつそういったが。そろそろ、目的地に着く頃だった。店先が見える。

 例の花売り娘は、正午を回った今は、往来ではなく、雑貨商の店の店頭で休んでいたが、俺の顔を見てさっと顔色を変えた。

「やあー、こんにちはっ! 綺麗なおねえさん! なんだい、こんな昼間っからずいぶんきれいどころがいるんだな」

 と、彼女が動く前に、すかさず、三白眼が割り込む。

「なんだい、アンタ」

 花売り娘は俺に気を取られていたようだが、三白眼に話しかけられて、彼をきっと睨みつけた。

「わあ、こわい。そんな睨んだら、かわいい顔が台無しじゃん。ねー、ちょっとお話したいことがあるんだよー。そこで、お茶しない? あ、客引きはダメだよ。オレ金がないから」

 三白眼は、いつものおどけた雰囲気で一方的に話しかけていく。が、特に伊達男でも何でもない彼に対しては、花売り娘は辛辣だった。この男はナンパには手慣れているが、成功率は激しく低い。寧ろ、成功していたら驚くほどだ。

 案の定、花売り娘の不興を買っている。

「うぜえな。なんだ、てめえは? とっとと消えな!」

「あらまあ、つれないお嬢ちゃんだことぉー。ちょっとお話したかっただけなのに」

「おいどうした?」

 店の奥から、恰幅の良い人相の悪い男が出てくる。その男も、俺の顔を見てぎょっとしたようだった。見覚えがある。昨日の焼き討ちの時に近くにいた男だ。

「てめえ……、昨日の!」

「ちょい待ち」

 と三白眼が、俺と男の間に入る。

「おねえさんもおにいさんも、あのダンナと話がありそうだけど、まずはオレと話をしようぜ」

「なんだ、てめえ」

 ひょろっと痩せている三白眼は、見かけはとても弱弱しくみえるので、相変わらずなめられている。しかし、今日はわざとやられてやるつもりがないらしい奴は、いつもと雰囲気が違う。

 やつは懐から、例の紫水晶をつかんで目の前に差し出した。

「アンタら、あのダンナともめてんだろ? どういう揉め事かしらねえけどよ。小屋燃やしても、ちょっとお焦げになっただけで生きているような、丈夫な男。マジ相手すんの、面倒くさいぜ」

 三白眼はいつものヘタレ男の仮面をすでにかなぐり捨てている。

「死んでねえのは知ってたろうが、こうやって殴り込みかけてくるようなオッサンだぞ。やなやつだよなあ。オレでもそう思うわ」

 その三白眼の青い目は、俺もぎょっとするほどの剣呑な気配をたたえていた。そうなったときの奴は、得たいが知れず、いっそのこと不気味な気配がある。

 それに飲まれたのか、男と花売り娘が黙ったところで、やつはにやりとした。

「取引しようぜ。不器用なアンタらのためにオレが仲介してやるよ」

 男と花売り娘は顔をを見合わせて考えていたが、やがて、俺と三白眼を店の隣の路地の奥へと案内した。

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