25.探していた『黒』【カラカラ】


 俺が刃物に手を伸ばしたことで、急激に場の空気の緊張感が増していた。

「なんだよ……」

 エンデル青年が絞り出すように声を出した。

「旦那は、俺が何の真実を話してないっていうんだい」

「お前は先ほど、あの筋の悪い連中に協力してもらったといったな。当然、積み荷を彼らに任せたということだろう」

「ああ。そうじゃないと、こっちのお願いも聞いてもらえない。後金で払えばいいってやつらじゃないよ。でも、俺には前金を支払おうにも金がない」

「そうだろう。……だが、お前は全てを彼らに任せたわけではない」

 エンデルの背後の壁は破れ、裏から逃亡できる。俺はエンデルを牽制し、逃げられないようにしながら続けた。

「奴らにどの程度を任せたのかは知らないが、……お前は高価なものをいくらか手元に残した」

「なんでそんなことがわかるんだよ」

 エンデル青年が厳しい目で俺を見た。

「お前には義理の弟妹がいるのだろう。あの幼い兄妹が白檀を売り物の薪に混ぜていた。ということは、お前はあの二人に何かを預けていたということ」

 エンデルは黙っていた。

「先ほど見た雑貨商はずいぶんタチが悪い。あんな連中が、お前の足元を見るのはわかりきったことだ。お前は頭の良い子だ。だからこそ、すべてを連中に任せるなどという愚かなことはしなかったはず」

「これは恐れ入ったね。サリフ達のことを知っていたのか」

「あのような幼い子を、何故巻き込んだ?」

 俺は質問に直接答えず、声を低めた。

「……お前たちに事情があり、輸送を担当した隊商がよほど業突く張りだったとして、それでお前たちが持ち逃げしたことの是非を俺は問いただすつもりはない。俺はそれを裁けとの依頼はうけていないからな。しかし……」

 と俺は彼を睨みつける。

「幼い弟妹を、何故巻き込んだ。盗品だと知っていようが知るまいが、このままでは、あの二人も罪に問われる。……それがどういうことかわからんわけでもないだろう」

 俺は目を見開きながら言った。

「その返答次第では、貴様を斬らねばならん。そうでなければ、最悪あの二人にも累が及ぶからな」

 しばらく無言に落ちたエンデルは、それでも俺を睨み返していた。

 そして、ややあってから。

「旦那にはわからないよ」

 彼ははっきりといった。

「旦那みたいに力に恵まれて、どこにでも流れて生きていける人には!」

「何?」

「俺たちみたいな底辺の人間はな、そこまでしてでも、一か八かにかけてやらないといけないんだ。サリフだってわかってくれてる! 俺たちには金が要るんだ!」

 その瞳はまっすぐに俺を見ていた。それは追い詰められた罪びとの目ではない。

「旦那みたいな恵まれたヤツには、絶対にわからない!」

 そのまっすぐさに、俺はいささかたじろいでしまった。

 俺は禁を破ってしまっていたことに、いまだに気づかなかった。

 かつてラゲイラ卿が俺に告げたように、相手を追い詰める時に絶対に心を乱してはいけないということを。

 と、その時、どこからかばしゃっと水の音がした。いや、正確には水よりも重い音だ。

「エニー! 小屋から逃げろ!」

 不意に声が聞こえて、明るいものが小屋に投げ込まれた。干し草にかかった液体の上に投げ出された途端、それは赤々と燃え上がる。

 ところどころ壊れた壁の向こうに、先ほどの雑貨商の仲間らしい男の姿が、走り去るのが見えていた。

「ちッ!」

 俺は舌打ちした。

 この乾燥した小屋に誘い込まれたとき、一応注意していたが、逃げ道を塞ぐように、入口付近の干し草が燃え上がっていた。

 厩のロバが解き放たれたのか、いななく声がきこえ、逃げていくのが見える。

 しかし、意外にも火を放たれたことに動揺しているのは、俺よりも肝心のエンデル青年だった。

「な、なにをするんだ! ここには何もしないでっていってたじゃないか!」

 彼は慌ててそう叫ぶ。

「何言ってんだ! 変な奴につけられやがって! ボロ小屋と一緒に、そいつを燃やしちまえ!」

 そして、窓の外の男が、追加で油をまいて火をつける。ただでさえ乾燥している干し草はあっという間に燃え上がっていく。

「ま、待てよ、ダメだ。これは!」

 エンデルは慌てていた。今燃え上がったばかりの干し草に近寄ろうとしたが、

「何してんだ! 来い!」

 彼の後ろの壁の破れから入ってきた男に、襟首をつかまれて引き出されていく。

 エンデル青年は、一点に視線をやったままだった。

 俺は。

 その時、一瞬、動きを止めていた。

(今の動きはなんだ?)

 出ていく時に男がランプを投げ込んで行ったせいで、さらにその周囲に火が燃え広がっている。

 この建物は、壊れた部分もあって開放的であったが、それゆえに空気が入りやすく火は燃え盛り安く、煙が立ち込めてきていた。焦げ臭いにおいが立ち込める。煙を吸ってしまい、いくらかせきこみ、しかし俺は手ぬぐいで咄嗟に口を押さえた。

 エンデル青年の先ほどの動き、あれは一体何を意味するのだろう。

 目の前で、赤い炎がちらちらと揺れている。

 と、俺は、先ほどエンデルが向かおうとした方向を見た。今にも炎に舐められそうなそこには、一つだけ大きな藁束が置いてあった。ひと抱えほどあるそれが、何故か不自然に見えた。

 俺ははっとしてそこに駆け寄った。炎はその藁をすでに焦がしていたが、俺は足でそれを踏みつぶして消した。

 がっと藁束をつかみ上げると、熱で焦げたそれから甘く、かぐわしい香りがした。

「これは……」

 藁の間から黒いものが覗いている。木炭? いや、ちがう。もっと小さな軽いものだ。

 そうしている間にも、干し草は燃え広がっている。先に中二階に積んであった干し草の束に燃え移っていたらしく、それが、炎をちらしながら俺の目の前に落ちてきた。

 その瞬間、どこからともなく飛んできた矢が干し草の束を吹き飛ばす。

 その音に、はっと俺は我に返った。

 壊れかけた小屋は、壁のところどころが開いている。その矢の飛んできた方向をみると、煙の向こうで黒い服の大柄の男が、弓を持って立っていた。

 俺はそれを見るまでもなく、矢を放ったのが蛇王だとわかっていた。

 彼は再び矢をつがえて、こちらに射かけた。といっても、俺にではない。周りで声が上がったところを見ると、小屋から離れたところに武器を持った男たちが控えていたらしかった。

 俺が飛び出たところを攻撃するつもりだったのだろう。

「チッ」

 俺は舌打ちした。

 いよいよ長居は無用だった。

 藁束を抱え上げると、炎が燃え移っていない方向の窓に向かう。足元を炎が舐めていたが、構わず突っ込んで窓の向こうに飛び込んだ。

 そこには伏兵はいない。俺は靴に燃え移った火を払って消すと、身を隠せる路地のある方角に、走って逃亡した。

 俺が逃げる背を援護するように、牽制の矢が飛んできていた。 


 *


 ザファルバーンやリオルダーナ近辺の言葉で、『カラ』とか『カーラー』という言葉がある。

 それは『黒』という意味があるらしい。どうやら同じ語源のものだ。

 さらに北部の一部に、カラカラと重ねると、深く沈んで考え込むことを表現するものであるという。

 そして、ここでも『黒』は不幸や不吉を暗示もするものだ。

 その時の俺こそ、まさにその『黒』の心境だった。

 逃亡しながら黒黒と先ほどのことを考える。

 そして、俺が抱えてきた藁束に包まれたものの中身も、まさに『黒』だった。


 人気のない路地裏までやってきて、ようやく俺は足を止めていた。

 近くの運河の方に逃げ延びたが、幸い水を使うまでもなく、服を少し焦がした程度で、俺は火傷をせずに済んでいた。

 追手はいないらしい。

 それを確認し、俺は路地の建物の壁に背をつけて、息をついた。

 流石に息が上がっていた。

「エーリッヒ」

 不意に声が聞こえた。蛇王が追いついてきたのだ。

 俺は返事をする元気もなく、視線だけやった。

 近頃見かけなかった蛇王だが、俺が今日、取引を行うことをどこで知ったものやら。誰かに聞いたのか、それとも、やつらしく野生の勘で知ったのか。どちらかわからないが、ともあれ、蛇王はなんらかを察して俺の窮地に現れていた。

「エーリッヒ、火をかけられているのに、小屋の中でまた何をぼさっとしていた? 髪が焦げているぞ。いくらなんでもぼうっとしすぎだ」

「黙れ。ぼんやりしていたわけではない」

 俺は煤で黒くなっているであろう顔を不機嫌に拭いつつ、担いでいた藁束をそこに下ろした。

「それはなんだ?」

 蛇王が目を丸くした。

 蛇王は、俺が小屋からわざわざこれを持ち出したことに気づいて、注目していた。

「筵に包まれた、黒いものが入っているようだが」

 そう、これこそがまさに『黒』なのだ。これが俺の探し物でもある。

 俺は藁を払いのける。中には筵が巻かれており、それを剥ぐと乾燥した黒い細長いものが現れた。

 それは微かだが芳香を放っている。

「なんだ、こいつは」

「バニラだ」

 俺は答えた。

「これはバニラのさやなのだ。これを加工して香料とする。その原料なのだ」

「何?」

 蛇王が俺のそばにしゃがみ込み、中身をのぞく。

「この黒いやつがか?」

 蛇王はバニラのさやを手に取り、香りを嗅いで唸る。

「これこそが、バニラなのだ」

 俺は眉根をひそめた。

「あの小屋を根城にしていたエンデル青年は、おそらくこいつの取引を石鹸業者と確約したのだ。それで、預けていたサリフ兄妹から引き取った。あの小屋に行く途中、サリフ少年と出会ったが、あれはエンデルにこれを届けに行った帰りだったのだろう」

「あの小僧、仕事仲間にこいつのことを隠していたのだな。守ってもらう代わりに、香料を差し出していたが、全てではなかった。当然奪われる可能性があるため、潜んでいる小屋にも置いているわけではなかった」

「おそらく、これ以外にも白檀や沈香の一部も、サリフ少年に預けていたのだ。潜んでいる間は、サリフ少年は基本直接の接触を避け、市場の雑貨商を通していたと思う。ただ、必要がある時にあの小屋に干し草の材料を持ち込ませるフリをして、接触していたのか……」

 俺は眉根を寄せた。

「エンデルが頼った雑貨商は、ずいぶん、筋の悪い連中だ。あんな連中にこんな高価なものを渡せば、そのまま奪われる」

「それで伝えなかったがゆえに、小屋ごと容赦なく燃やされそうになったのか?」

 蛇王はバニラのさやを筵の上に戻し、顎鬚を撫で、目をすがめた。

「エーリッヒ、先ほど、奴らはお前を殺すつもりがあったぞ。あの小僧だけなら餓鬼どもの遊びですみそうな話だったが、例の雑貨商の周辺はなかなか荒っぽい奴らだ。俺が介入し、牽制していなければ、火に追われて飛び出した貴様を袋叩きにするつもりだった」

 蛇王は続けた。

「そんな奴らだ。お前がバニラを持ち出したことがわかれば、必ず取り返しにくる。売買が決まっている、高額商品だ。あの小僧も諦めんだろうな」

「そうだろうな。それは予想済みだ」

 俺は答えた。

「だとしたら、エーリッヒ、あのエンデルとかいう小僧を、貴様はどうするつもりだ?」

 俺は黙っていた。

 あの時のエンデル青年の視線を、俺は覚えていた。

 罪を犯したとも思えぬ、まっすぐな目。

 自分には金がいる。

 彼はそう言っていたが、確かに、手段を選んでいる余裕など彼にはなかったのだろう。

 口にしなかったが、彼はサリフの母のためにも金を作る必要があるのだ。

『旦那みたいに力に恵まれて、どこにでも流れて生きていける人には、わからない!』

 それを咎め立てる部外者の俺の偽善を、彼の視線は攻め立てている気がした。

 バニラの黒さを見つめて、俺の心は黒く沈んでいた。

 まさに黒黒カラカラと。深く、沈み込んで考える。

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