ジャッキール王都居留記 —シャルル=ダ・フール異聞—

渡来亜輝彦

序.長屋の傭兵は手帳に記す


 どこからともなく鶏の声が聞こえる。

 さわやかな陽光。窓からしみいってくる冷たく清らかな空気。

 この砂漠のオアシス都市の片隅にある、俺の住む吹けば飛ぶような長屋にも、朝がやって来た。

 俺は目を覚まし、朝の空気を吸い込んだ。

「うむ。良い朝だな」

 朝のこの街の空気は、澱んだように暑い昼間と違い、どこか清浄できらきらしている。

 この地の強い日光に弱い俺は、行動こそ夜に起こしがちでさも屍鬼か何かのように扱われがちだが、本当は朝にこそ強く、この朝の時間が好きだ。

 太陽とともに起きだして、砂埃がどうしても入り込む部屋の掃除や家事の一通りを行ったり、時には朝の散歩、鍛錬なども朝の時間。何かと充実した時間。

 太陽が昇ってすぐ。まだ長屋の住人は眠っており、人の気配が少ないこの静謐な時間は、俺だけ、独り占めできるもののようだ。

 俺には贅沢な時間。


 俺の名はジャッキール。というより、ここではジャッキールという名前で通していると言った方が良いだろう。俺のような稼業をしているものには多いが、ここに来て名乗った名前。本名ではない。

 まれに俺の昔の名前であるエーリッヒで呼ぶものもいるが、そちらの方が故郷での名前に近いだろう。

 俺はこの国では異邦の流れ者だ。

 しかし、商業で栄えたこの国、特にこの王都は、比較的様々な民族がまじりあっていて、様々な人間を懐深く飲み込む。

 外見からしてみても、異邦人だとわかる俺だが、さほど目立たないのはありがたいし、訳ありの身である俺も拒否されない。それゆえに、俺もこの街ではなんとなく受け入れられている気がしている。

 この異国の街に身を寄せて、そろそろどれぐらいになるだろうか。

 かつてラゲイラ卿に雇われて傭兵隊長をしていたころ、——その頃は俺は国王の暗殺計画に携わってすらいたわけだが、その頃からの滞在となるので、もう結構な年数ここにいるが、こうして街の長屋の一角で細々ながら平穏な生活を送り始めてからはさほど月日が経っていない。あの男も落ちぶれたと時に言われるが、こういうカタギの生活もなかなか良いものだ。

 ただ、俺とて、剣を全く忘れて生活できるものではない。

 この平和な部屋にも、きっちりと並べた本の隣に立てかけてある剣が数本ある。その中でもひときわ美しい魔剣フェブリスのことを、俺は忘れたことはないし、手入れも欠かさない。

 とはいえ、なるべく荒事に関わらず、ささやかな堅気生活の継続を願うのも、一月ずつの節目で、『カタギ生活継続記念』と甘味を用意してこっそり祝うほど、本心ではあるのだ。

 こういう生活も、なかなか幸せと言って良いのかもしれない。

 しかし、その穏やかな生活の邪魔をするものが、訪れるのも悩みの種だった。

 今もこうして。

「おはよー、ダンナー。ジャッキールのダンナー!」

 どんどん、と玄関の扉を叩く音。

「いるのはわかってんだから、あけてー」

 何の用だというのか、馴染みの三白眼の声がした。

「やめろ。近所迷惑だ! 今、何刻だと思っている?」

「開けてくれなきゃ鍵勝手に開けるよー。あっ、鍵変えた? まあ、変えてても開けられるけどな」

「待て! なんの技術を使っている!」

 勝手に押入ってきそうな男に声をかけて、諦めて俺は入り口の扉を開けることにする。

 こういう迷惑な訪問者が、俺のささやかで穏やかな生活を勝手ににぎやかにしてしまうのだ。

 扉を開けてみると現れたのは、見慣れた三白眼の男。ぎょろっとした大きな目は、朝の光を浴びてほんのり青い。

 癖の強いくるくるした長髪が、正直言って鬱陶しい。あの結んだ付け根から切り落としたい。

 上等だがやや砂埃に薄汚れた青い服とマントに、サンダル履き。どう見ても怪しい浮浪の不審者だが、残念なことに俺はこの男の正体を熟知している為、単なる不審者として処理できないのだった。

 それでも腰にある東洋風の、珍しい刀だけは、こいつの持ち物にしては手入れはされていた。刀剣すら手入れしていなかったら説教するところだが、流石に名刀であるこれだけはこの男もそれなりに扱うようだ。

「やっ! おはよう。ダンナ」

 三白眼は、軽い調子で俺に挨拶をしてきた。

「アンタならお日様と一緒に起きてると思ったんだよな。ははっ、予想通り!」

「おはよう、は良いが、何だこんな朝っぱらから。俺は良いが非常識な時間だぞ。長屋の皆に悪いから、声をひそめろ」

 と俺は注意して、

「第一、宵っ張りの貴様がこんなに早起きとは何だ」

 三白眼の男、シャー=ルギィズは、悪びれもせずに眠そうにあくびをする。

「いやぁ、昨夜、飲んでたら遅くなっちゃってさあ。ほんで、飲んだくれて、つい路上で寝てたら朝になっちゃったんだよね」

「いつものことではないか」

「だけど、ほら、流石のオレ様も路上だと満足に寝られないから、多少は寝不足じゃん」

(いや、お前は熟睡してるだろう、いつも!)

「でね、寝直したいと思ったんだよ。泊めてもらえない?」

「は?」

 泊まるもなにももう朝だが?

「家に帰れ。住所不定無職の貴様も隠れ家はあるだろうが」

「そんな冷たいこと言わないでさあー。寝心地良くないし。昼までだけじゃん。あっ、お邪魔しまーす!」

「こらっ、勝手に入るな!」

 一瞬のスキをついて、青いマントを翻してするっと室内に入る男。

 こうなると、こやつを追い出すのは至難の業である。

「相変わらず、ジャキジャキのお部屋、綺麗だよねー。居心地良すぎ!」

 早速、居間の絨毯の上に寝転がられて、俺はもう諦めた。ゴミと一緒に掃き出したいが、箒で叩き出そうとすると本気の戦いが必要になってしまう。

「仕方あるまい。寝具を出してくるからそこで待て」

「やーん、ダンナ、やっさしー。ジャッキール様、男前ー」

「軽薄な言葉を吐くな。ぶち殺すぞ」

「わー、こわーい」

 だんだん腹が立ってきたが、表向きだけ恐れ慄きつつ、三白眼はすでにうとうとし始めていた。



 シャルル=ダ・フールという風変わりな王の治めるこのザファルバーンの王都カーラマン。

 これは故郷とは似てもつかぬ、この砂漠の果ての豊かな都での、俺のなんでもない日の始まりだ。

 俺はそんな、この王都に居留中の何でもない日の記録をつけておこうと思い、黒革の手帳に書き込むようにしている。

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