27.水晶のように透き通る【鉱物】

「ダンナ、朝はイキイキしてるよな」

 眠そうなネズミが朝の挨拶も、そこそこに声をかけてきた時には、俺は完全に朝の支度ができていた。

「何がだ」

「いや、朝は元気だよな。なんというか、午前中はまだしも顔色もいいっていうか。なんか、午後から青ざめてくるんだけど、朝だけキラッキラしてる感じ」

 ネズミはあくびしながら、俺にそう言ってきた。

(どういう意味だそれは。新手の悪口か?)

 真夜中に夜歩きをしていても、俺は朝は早くに目が覚める。早起きは習性に近い。

 昨夜は真夜中に外に出ていた俺だが、その後帰ってからは寝つきも良く、今朝はすっきりとした寝覚めだった。それでも、普段の起きる時間よりはゆっくりだったし、俺としては珍しく怠惰なことをしたものだ、と思ったものだ。

 まあ、他の奴らはだれも目を覚ましていなかったが。

 さすがに俺の夜歩きに付き合って、軽く手合わせまでした三白眼は完全に夢の中だ。

 あの時外出していた蛇王も寝ていたが、こいつは正直起きていそうで、どこからが狸寝入りかわからない。蛇王は、さほど怠惰な男ではないので、意外に早起きなのだが、起きてきたら水汲みやらなんやら俺に手伝わされそうなのを読んで寝たふりをしている気がする。

 まあ。この二人については、今日は大目に見よう。昨夜は、俺が付き合わせたところもあるのだからな。

 ネズミは、というと朝の身だしなみをさっくりと整えていた。やはり性根が伊達男なせいか、ほかの二人と違って外見をきっちりと整えることから始まる。

 もとより寝ぐせがつきやすそうな柔らかい髪質の彼であったが、水を使って櫛でなでつけて、なかなかオシャレに整えてあった。

「今日のメシ、ひよこ豆のスープかあ。ダンナ、こういうのうまいよな」

 とネズミは、俺のそばにきて感心した様子だ。

「ダンナ、ぶっちゃけ、家政夫業のがいいんじゃない?」

「それはどういう意味だ?」

「え? そのままの意味だけど? 正直、流れの傭兵やってるよか、性分に合ってそう。掃除とか楽しい人だろ?」

 ちょっと外見が怖いけど、と、ネズミがしみじみとつぶやく。褒められているのか、けなされているのかわからない。

「んでも、元気そうで安心したぜ。昨日はちょっと心配だったからさあ」

「何がだ」

「いや、別に何っちゅーわけでもないんだけどよ。ダンナは、真面目だから」

 ネズミは、一度寝るとぐっすりと深く眠れるらしく、帰宅したとき一人だけずっと寝ていたものらしかったが、どうやら俺が真夜中に散歩に出かけたことについては勘づいているらしい。俺はため息をついた。

「お前たちに心配をさせたのは、悪かったと思っている」

「そういうのが真面目だなーって思って。俺なんか寝てたんだから、知らねえフリすりゃいいんだよ」

 ネズミは苦笑した。

「ま、俺もそうだけど、三白眼も蛇王さんもダンナには割と迷惑かけてるんだし、たまにはいいんじゃね? ダンナはいつも通り気取ってスカしてりゃいいんだよ」

「それは何か悪口めいているな」

 気を遣わせたのには、正直、気が咎めるところもあるのだが、彼らのそういう気持ちだけはありがたく思ったものだった。

 例の二人もたたき起こして、(俺にしては)遅めの朝食をいただきながら、改めて我々は今後のことを話し合っていた。

「そういや、昨日は忘れてたんだけど、その雑貨商のやつ、多分、レンク=シャーの盃もらってるやつじゃねえかなあ」

 というのはネズミだった。

 俺もそれなりには、この街の地下勢力のことを知ってはいるが、かといって、そこの仕事を引き受けるほど深く入り込んだことはない。その辺のことは三白眼にしても同様であるし、リオルダーナ人の蛇王は、そのあたりは入りこみづらい事情がある。

 となると、一番庶民的で商人の、幅広い情報網を持つネズミが詳しいこともあるのだった。

 レンク=シャーというのは、三白眼と同じルギィズ姓を持つ同じ名前のシャー=ルギィズという人物であるが、これが王都のたちの悪いやくざ者として有名な人物だ。もともとルギィズ自体がこの地域の豪族の姓であり、零落しながらも地下で影響力を獲得したものであるという。

「でも、関係はあるけど末端組織なんだよな。それだけに、統制がイマイチとれてなくて、やり口が荒っぽいから面倒くさいやつだと思う」

 ネズミが言う。

「西の木屑市場の一部って確かにそいつの島だから、エンデルってやつが接触するのは別におかしくないんだよな。行商するとき、挨拶するとか、そういうのあるからさ」

「別にやくざ者とやり合うのは嫌いじゃないけどさあ、あと腐れがあるのは嫌だよな」

 とあくびまじりに、いまだに眠そうなのは三白眼だ。

「大体、どんな風にあっちが、出てくるかなんだけど……」

「エーリッヒがどこに住んでいるかは、あの小僧の弟妹から知れることでもあるし、そうでなくてもちょっと調べればわかるだろうからなあ。どのみち来るぞ」

 蛇王がひよこ豆のスープをすすりながら、唸った。それはもっともだ。異邦人の俺は、溶け込んでいるとはいっても意図して探せばそれなりに目立つものだ。

「正直、長屋に殴り込みをかけられるのは避けたいのだがな」

 何せ近所迷惑だ。返り討ちするにしても、平穏なここで揉め事は避けたい。……となると、こちらから出向くことになるのだが……。

 と、その時、とんとん、と扉がたたかれる音がした。誰だ、と思うまでもなく、甲高い子供の元気な声がした。

「せんせー。おっはよー! せんせー、いるー?」

 三白眼が顔を上げる。

「アレ、ダンナのお弟子さん? 今日、塾の日なの?」

「いや、今日は違うんだがな」

 寺子屋の仕事は今日は入っていない。とはいえ、生徒は長屋の子なので、たまに遊びにくることはあるのだが。

 俺は立ち上がり、玄関の扉を開けた。

「あ、せんせー、おっはよー! 今日もお顔あおいねー!」

 ネズミに言われた通り、朝の方が血色がいいらしいのだが、子供たちにそんなことは関係がない。第一、朝の俺にいくら活力があるといっても、子供のそれの前では比べるのもおこがましいほどのもので、結局、彼らからすると顔色の悪いいつもの俺であるらしい。

「ああ、マルゥではないか。おはよう」

「おっはよー!!」

 やや耳がきんきんするほどの元気の良さで話しかけられる。俺はその活きのよい少年が、例のまあちゃんこと、マルゥ少年だと顔を見て確認した。

「何の用だ? 先生は少し忙しくしていてな……、遊びに行きたいのはやまやまだが」

 さすがに今日は彼の期待に応えられそうにない。そう断りかけたところで、マルゥ少年に連れがいることに気付いた。

 その人物の顔を見て俺は驚く。

「あのね、さあちゃんが先生に会いたいってー。それで、おれ、先生ところに案内しにきたんだよー」

「おはよう、ございます」

「お前は……」

 そういって頭を下げたのは、さあちゃんことサリフ少年だった。今日は妹を連れておらず、一人だけだ。

「それじゃあ、おれ、忙しいからまたあとでねー」

「あ、こら。待ちなさい」

「まてないよー! 先生、じゃねー!」

 マルゥ少年は遊びの先約でもはいっていたらしく、まだ困っているサリフ少年をおいて、さらっと帰ってしまった。

 玄関先には、気まずそうなサリフ少年が残された。一瞬、俺は家の中に彼を招こうかとも思ったが、部屋の中には見知らぬ筋の悪そうな不審な男どもが三人もいるのだ(ひとのことは言えないが)。かえって警戒するだろうか、と考えていると、サリフ少年の方が先に頭をさげた。

「まあちゃんの先生、ごめんなさい」

 頭をさげられて、俺はきょとんとした。

「どうしたのだ? いきなり謝られてもわからないぞ」

「あの、昨日、小屋で僕と会った後、先生、たいへんだったんでしょう」

 俺は口をつぐんだ。この少年、あの後、あそこで何があったのか知っているのか?

 サリフ少年はつづけた。

「僕、あいつらが小屋に火をつけるかも、って話してるのきいてたんです。お兄ちゃんのところ行った帰りに。あの人たちは、もし、お兄ちゃんに会いに来るのが、商人でなくて怪しい人なら、いぶしだして殺してしまえっていってたの」

「なるほど。それで、昨日俺に出会った時に何か言いたげだったのかな?」

「はい」

 サリフ少年は、ほんのりと涙ぐんでいた。

「僕、本当は言わなくちゃっておもったんだけど、あいつらがこわくて……。エニーお兄ちゃんは、あの人たちと仲良くしているから僕たちは大丈夫っていうけれど」

 俺は少し考えてから、意を決した。

「いや、あのような不逞の輩に囲まれているところで、俺にそんな話ができようはずもない。サリフ少年は何も悪いことはないぞ」

 と俺は彼の緊張を解く意味もあって、膝を折って彼に視線を合わせる。

「サリフ少年は、……エニー、……エンデル青年に、頼まれたものを運んでいったのだな」

「……、はい」

 少しためらってから彼はうなずいた。

「朝の薪をおさめにいったあと、薪のおじさんからお兄ちゃんの伝言を聞いたんです。僕に預けている、藁に巻かれたのを持ってきてほしいって。……お兄ちゃん、ここに帰ってきてからごくたまにしか帰ってこなくて、連絡は薪売りのおじさんを通じたり、あの人たちを通じてしてるんです」

「うむ。……サリフ少年は、都に帰ってきたエンデルから、あの藁束以外にも預かったものがあったのだろう」

「はい」

 サリフ少年はうなずいた。

「まぁちゃんの先生は知っているのでしょう。僕が隠しているお兄ちゃんの、良い香りのする荷物、……あれは本当はお兄ちゃんが悪いことしてもらってきたものなんだって」

 俺は直接それに答えなかった。サリフ少年は俺を見上げた。

「僕もわかっていました。少しなら自分で売ってもいいよ、って言われてて、……おかあさんのことでお金もいるし、僕もわかっていて受け取って。それから、お兄ちゃんにいわれて、先生にお手紙書いてもらって、それを写してもらった手紙を渡して、何人かとお取引をしたんです。でも、お兄ちゃんはお金にならなかったって言ってた」

「なるほど。俺が書いたあれは符合として使っていたのだな」

 サリフ少年は続ける。

「僕、でも、お兄ちゃんの周りにいる人たちがこわいの、なんとなくわかっていて……。でもお金のためだし、仕方ないかと思っていたけど、昨日、まあちゃんの先生を見かけて。それで、そのまま帰らずに見てたんです。そうしたら……」

 この少年は、あの後小屋に彼らが火をつけるのも、武器を持ってそれを取り囲もうとしていたのも見ていたのだろうか。

「先生は、火傷しなかったですか?」

「ああ。丈夫なだけが取り柄だからな」

 おそるおそるそう尋ねるサリフ少年にそう答えると、彼はよかった、と安堵した様子になった。

「本当にごめんなさい。エニーお兄ちゃんは、悪い人ではないんです。でも……、あんな悪い人と一緒にいるの、心配……。お母さんのことでお金は必要だけれど、でも、このままだと、お兄ちゃんも悪い人になってしまう」

「そうだな」

 と俺は言った。

「サリフ少年は、……どうしたいのかな」

「できたら、お兄ちゃんにおうちに戻ってきてほしいです。あんな怖い人たちと一緒にいるの、やめてほしい。お母さんもエニーお兄ちゃんに会いたがっているし」

「そうか」

 俺はうなずいた。

「サリフ少年の気持ちはよくわかった。……安心しなさい。俺にも少し考えがある。あの連中とはどのみち決着をつける必要があるのだ」

 サリフ少年は、俺を見つめた。

 エンデルと彼には血のつながりはないはずだが、俺をまっすぐに見る、その透き通るような視線は似通っていた。ただ、そうして向けられる視線の意味は、まるで違う。

「俺がどうにかしてみよう。お前は安心して待っているといい」

 そういうと、サリフ少年は少しだけ安堵したような様子になって、あ、と声をあげた。

「あの、これ……」

 そういって、香りの薄くなった例の巾着袋を出してくると、サリフ少年はまだ小さな手に何かをつかみだして俺に差し出した。俺はそれを反射的に受け取る。

 それは貨幣かと思ったがそうではなく、サリフ少年の手のひら大、紫色の結晶が付着した石だった。いや、鉱物といった方が正しいような外観だ。

 ただ、石に詳しくない俺でも、それが紫水晶の結晶らしいことはわかった。

 しかも、紫色と透明度が高い。かなり良質のものだ。

「これは?」

「これは、僕が薪を集めるところで拾ったんです。運河のほとりのあたりで。川上から流れてきたのか、どこかの船が落としていったものなのか、わからないんですが……。とてもきれいだから大切にしていたんです」

「それを何故俺に?」

「お兄ちゃんがひどいことをしたので、先生にお詫びしなきゃ、って思ったので……。でも、僕はお金がないから……こんなものしか」

 とサリフ少年は目を伏せる。

「それに先生がお兄ちゃんを助けてくれるなら」

 俺は、その透き通った結晶をみやりながら少し考える。サリフ少年の視線のように、それは清らかなものだった。俺はうなずいた。

「わかった。これはいただいておこう。その代わり、全てがうまくいくかわからないが、俺もできることはする」

 と俺は言った。

「お前は、家に帰って妹と一緒に待っていなさい。気が塞ぐようなら、あの陽気なマルゥと遊ぶのも良いかもしれんぞ」

 俺がそういうと、サリフ少年は、初めて笑顔を浮かべた。

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