31.黒革手帳に異郷は綴られ【またね】-1


「ジャッキールさん、お疲れ様。例の依頼、解決できたんだって?」

「ああ、おかげさまで。その節は、アイード殿には大変にお世話になった」


 少し過ごしやすい、気持ち涼しい日の午後。

 俺はアイード殿の喫茶店、錨亭を訪れていた。

 目の前には、濃いめのチャイとピスタチオの緑の輝くバクラヴァ、甘味をこれでもかと凝縮したシロップ。

 大変甘いが、まあ、今日ぐらいは良いだろう。今日の俺は自分にも甘い。

 相変わらず、ここの店はオシャレで落ち着き、この安らいだ俺の気持ちにはちょうど良かった。

 アイード殿は、今日もほんのりとオシャレな色を取り入れた服をきていた。自分も、いずれはこうした色柄ものを取り入れられる、オシャレな男になりたいものだと思わせる。

 しかし、今日来たのは、伊達男なアイード殿の服装を参考しにきたわけではなかった。

「どうも後始末について、結局アイード殿のご協力をいただいて、なんとかなったと。リーフィさんに聞いたのだが」

「ああ、俺にできる限りのところではね。ちょっと手を打っておいたよ」

 とアイード殿は苦笑する。

 そう、俺は彼に"後始末"を、依頼したのだ。

 シャー=ルギィズというやつは、今までだって、あのような騒ぎは何度も起こしている。絡まれた後に、許容範囲を超えたヤクザものと喧嘩することもしばしはだ。それだのにもかかわらず、いわゆる、”後始末”が苦手な男であった。

『大丈夫だってー。そんな度胸ないでしょ。それにどうしてもっていうなら、あいつら全員叩き潰せるじゃん』

 などと楽天的なことを言っている。

 確かに今回は相手は末端組織の雑魚ではあるし、報復に来たところで正直返り討ちは可能だろう。

 とはいえ、楽天的すぎやしないか。これが若者というものだろうか。

 まあしかし、色々事情のあるやつのこと、なんというか見えざる力が働く部分もあるのだろう。俺などもひとのことはいえないが、こうして心配になって、円滑な”後始末”に動いているのだし、そういうことが他にもあるのかもしれない。

 だが、後始末できないのは、何も三白眼だけではなかった。実家がやや黒い噂もある豪商の子息のネズミも、その気になったら、金を使ってでもどうにでもできる気持ちもあるのと、若者の余裕からか、あまりその後のことに関心がない。

 蛇王に至っては、反撃してきたら本気で組織ごとこの世から消すつもりがある気がする。それが故に全く気にしていないし、その後の根回しなどには興味もないのだ。

 それは流れ者の俺としても、同じ感覚はある。手を出されたら、反撃には本気を出し続けるつぶしてもよい、ぐらいの気持ちがある。

 今回のようなあの程度の三下の連中など、全滅させられないこともない。潰したあとあとくされがあるようなら、最悪王都を去れば良いような話。

 と、常識人ぶって、そんは物騒なことを考える俺も大概なのかもしれない。

 しかし、今回はだ。

 俺個人は別にそれでいいのだが、エンデル青年やサリフ兄妹のこともある。

 そこにとばっちりが向いては困るので、俺はアイード殿にそっと相談をしていたのだ。そして、彼が何らかの方法で後始末をしたのだというのはリーフィ嬢にきいたことだ。

「では、その、アイード殿のところの若い衆に?」

 若い衆という言い方もおかしいな。彼の部下は、普通に水軍の関係者であるし、彼の影響下にある住人は普通に船乗り達だ。

 アイード殿は、彼らをおさめる立場だ。荒っぽい連中をおさめないといけない彼は、そうした裏側の勢力にも、ある程度顔が効いているらしい。

「いやあ、うちのは、港と河岸には強いけど、流石に越境すると面倒だろ。なので、知り合いの、そーゆー人に簡単に話をつけておくことにしたんだ。ハーキムの親父さんは、ジャッキールさんも知ってるよな?」

「ああ。ハーキムか」

 俺な頷いた。

「そうそう。あの親父に、新鮮でちょっとお高い魚一本と珍しい酒で話をつけておいたよ。あのおじさん、アレでお料理好きで、正体隠して酒屋のオヤジしてるの、ジャッキールさんも、知ってるだろう?」

「なるほど。確かにあれに任せれば、悪いようにはならないが」

 俺は頷いた。

 ハーキムは、この王都を統べる地下組織の親玉の一人だ。

 我々が踏み込んだ雑貨商は、レンク=シャーという、ルギィズ姓のヤクザものの末端に当たっていたが、ハーキムは彼とは対立している立場にある。しかし、末端組織であることもあり、まったく彼を無視できる立場ではないだろう。

 そして、俺は、ハーキムとは面識があった。ラゲイラ卿は、王都での地盤を固めるのに、そうした裏側の人間とも付き合い自体はあたので、その時に知り合ったのだったが、俺が彼のもとを離れて自由になったのをみると、いわゆる用心棒をしないかと口説かれていたことがあるのだ。

 俺は彼に雇われるつもりはなかったが、話がわかる気のいい親父ではあるため、裏の世界の情報を得たい時には彼に話を聞きに行くことがある。

 確かに、ハーキムから手を回されると、あの連中は身動きが取れないだろう。

「それは調整、すまなかった。ご迷惑をおかけした。ハーキムの依頼の為につかったという、魚と酒の代金は、ぜひ俺が負担したいのだが」

「いやいや、実は酒も魚も貰い物でね、気にしなくていいよ。俺もたまには人助けして徳積みしないとだし。ジャッキールさんにっていうか、あの薄荷売りに来てた兄妹のためにやってるみたいなとこもあるからさあ。俺も彼らには幸せになってほしいし」

 とアイード殿は笑みを浮かべた。

「ジャッキールさんは、またこうやってお菓子食べに来てくれるのでいいよ」

 そういって笑う彼はとても良い男ではあるものの、一方で、サラリとそういう裏側の世界での話をまとめてくるあたり、やはり、こう見えてなかなか侮れない男ではある。正直、敵でなくて良かったと思っている。

 そんな彼が尋ねてきた。

「そういや、そのエンデルって子はどうなったんだい? ジャッキールさんのことだから、悪いようにはしないだろうけど」

「ああ、それは」

 俺は、昨日、この事件の発端である、調査の依頼人、あの狐目の隊商レックハルド=トゥランザッドと会った時のことを彼に話すのだった。



「いやー、流石ですねえ! ジャッキール様!」

 例の喫茶店チャイハナ

 ちょうど、昼食を兼ねた軽食を食べながら、俺は、レックハルド=トゥランザッドと面会していた。

 となりには、やはり金髪の大男が一人。金髪の大男は相変わらずにこにこしていたが、今日は昼食に出された料理に夢中になっていて、あまり口をきかなかった。しかし、彼がいるのといないのとでは、やはり空気が違う。しかも、狐目の隊商は、ことが解決したので上機嫌だった。

 今日は俺もさほど気を遣わずに、会話ができる。

 エンデル青年やサリフ兄妹が保管していた香料は完璧ではなく、いくらかは使われ、少量売られた形跡はあったのだが、彼としては高級な舶来モノの香料であるバニラがほぼ無傷で戻ってきたことで、十分であったようだ。

「貴方にお任せしたら、解決するとは思っておりましたよ」

「いや、時間がかかってしまってすまない」

 ゆうに一月はかかってしまった。とはいえ、一月後には王都に戻ってくる予定であった彼に、ぎりぎりながら良い報告ができて良かったものだ。

「持ち逃げされた香料は、多少は使われた形跡はありますが、あれだけあれば十分です。不足分なら組合の部分で補填もありますし、ま、傲慢にふるまったせいで部下に裏切られたあの輸送担当のクズに出させます。ちょうどよかった」

(なかなか鬼だな)

 とはいえ、エンデル青年の話では、その輸送担当の隊商があまりにも部下や下請けの彼等を手ひどく扱ったのが、この事件の発端でもあるわけで、それぐらいの代償を支払って反省してもらいたい気持ちは俺にもある。

「では、報酬はお約束通り。貴方とハイダール様にお支払いしますので、現金払いか、証文をかきましてこちらにてお預かりをさせていただくかの、どちらかにて」

「それは助かる」

 と答えつつ、俺は紅茶を啜りながら、頃合いを見て彼に尋ねた。

「しかし、その、役人に突き出すのはどうか勘弁いただきたいというのは、俺の側から申し上げたことではあるが……」

「ああ。そのことなら、構いませんよ。そもそも最初に持ち逃げした主犯やほかのものについても、不問にはしていますからね。それなりの償いはさせる予定はありますが」

「それは寛大な対応。いや、俺も安心をした……」

 のだが、と、俺は少し迷ってから。

「しかし、それでは、本当に、良かったのですかな。……あの、エンデルを貴方のところで雇っていただいても……」

 狐目の隊商は、比較的彼らに寛大な対応を行った。まあ、彼としては、金銭的なところで損失さえ出なければいい、とい考えであるらしいし、彼が一番腹を立てているのは、輸送を担当した同業者であろうから、それは理屈でもわかるのだ。

 しかし、さらに彼は働き口が危うくなったエンデルを、自分の隊商に入れて雇うことにしてくれた。

「ああ、そのことですか。いえ、なかなか見どころもありそうですしね」

 と彼は笑う。

「それに、金が要るからこそ、魔が差して……ということなのでしょう? 彼に就職先がないなら、また同じとはいわないまでも、悪事に手を染めかねませんし……、ジャッキール様がそれを懸念されている気配は感じておりましたので。それなら、私のところも何かと人手が不足していますしね、ちょうどよいかと」

「もちろん。自分もここまで関わったことなので、彼の働き口の世話は何とかせねばと思いましたが……」

 と俺は遠慮しながら続けた。

「しかし、彼が、一度商品に手をつけたのは確かなので、……貴方がたがこう簡単に引き取ってくれるとは」

 一度、過ちを犯したエンデルには、同じ商人としての再就職というのは、なかなか厳しかろう。しかし、今の彼では、まだ一人で独立して商売をするのは尚早のように思えた。それゆえに、俺もどうしたものか悩んでいたのだが。

「はは、まあ、彼は初犯みたいなものでしょうし、今回はね。それに、自分の勉強不足や経験不足は、彼自身が今回のことで痛感したでしょう。我々は様々な品を取り扱いますから、彼にはちょうど良いかと思いますよ。病気の養母のことも気になるでしょうが、彼にはしばらく王都周辺の輸送など中心に従事してもらうようにしますし、家族の様子を見に行くこともできますしね」

 と狐目の隊商が言う。

「それであれば願ったりです。あとは、本人が立ち直ってくれればよいのだが」

「あー、それは大丈夫だよ」

 俺はそういって目を伏せると、今まで夢中で麵料理を食べていた金髪の大男が口を開いた。

「このひと、そういうの得意だから」

「得意?」

「あんな魔がさしたみたいなの、可愛いもんだよ。もっとひどい人もいるんだからさあ。それでも、まあ、それなりに更生しているみたいだし、大丈夫じゃないかなあ」

 そういって大男がにやにやしつつ、狐目の隊商を見た。

「レックなんてさあ、もっとひどいんだから。この人、元々、スリとか詐欺とか、大体の悪いことは一通りやってきていて……」

「こ、こっ、こら、ファルケン、人聞き悪いこというんじゃねえ」

 慌てて小声でそういう狐目の隊商は、うっすら素が出ていた。それを無視して大男は続ける。

「とにかく、専門家みたいなもんなんだから。そのレックが大丈夫っていってるから、あの子は大丈夫だよ。俺も注意してみておくし、そこは心配しなくていいと思うよ」

「お前、黙って食ってるだけと思いきや、要らねえことを……」

 ぼそ、と狐目の隊商が吐き捨てて彼を睨むが、大男は今度は素知らぬ顔で、卵料理をうまそうに口に運び出していた。

 隊商は文句を言うのを諦め、話を変えた。

「そうそう、ジャッキール様の持ち込んだ紫水晶についても、査定がでていますよ。おそらく少年の拾ったあれは、輸送の船からなんらかで落とされたものなのでしょうが、とても良いものでして。欲しい商人の目星もついており、それなりの価格にはなりますから、エンデルの弟妹達の当面の生活費には当たられると思います」

「おお、それはありがたい。当面の生活資金が確保できれば、彼らの立ち直る契機にはなりそうだからな」

 俺はそう答えた。

 本当は、この隊商からもらった報酬の一部を彼らに渡そうかとも考えていた。

 しかし、それではエンデル青年もサリフ兄妹も受け取るまい。だからこそ、三白眼がすりかえて手元にあるあのサリフ少年の拾った水晶を売り、彼らにそれを返すことにした。

 それならば、それは元々少年のものだ。俺はただ、それを換金する手伝いをしたにすぎない。

 実は、彼らの病気の母親は、王国の神殿が併設している救護院の手当てを受けられることとなった。リーフィ嬢が神殿のことに詳しいので、そう勧めてくれたのだ。

 そして、それにより、少しだけ余裕が出たサリフ少年は、俺の生徒のマルゥに連れられたこともあり、妹を連れて、俺の寺子屋に来てみたいという。

 いずれはエンデルのような商人を目指すのかもしれず、それなら、読み書きは覚えておいて損はない。

 俺は所詮、流れ者で、彼らを救ってやることはできない。けれど、あの時のサリフ少年のまっすぐで透明な視線には報いたいと思う。それはただの自己満足かもしれないが、それでも、俺は何もしない結末よりはこの結末でよかったとどこかで思っているのだ。

「しかし、ジャッキール様は、つくづくお人よしですな」

 唐突に狐目の隊商にそう言われて、俺は虚を突かれてどきりとした。

「な、何がであろうか?」

「いえいえ。まあ、その方が私は助かるんですけれどね」

 と狐目の隊商が、いくらかくだけた様子になり、両手を頭の後ろで組んでいった。

「ほかの人には頼みづらい、多少無茶な依頼もひきうけてくださいますんで」

 と細い目をさらに細くさせて、にんまりとする。やはりあの依頼、無茶ぶりだという自覚はあったのだろうか。彼はそのまま、頬杖をついてにやりとした。

「ぜひ、今後ともよろしくお願いしますよ。また、こういうことがあれば、よろしくお願いします」

「そうそう、またね。きっとこういうことは尽きないことだからねえ。また頼むと思うよ」

 屈託なく大男がそう付け加えた。いや、それは勘弁してほしい。今回だって、俺は相当悩んだのだから。

 けれど、それを彼らに伝える勇気は、俺にはなく。

「は、はは、また、ですな。……こ、こちらこそ、こ、今後とも、またぜひよろしく頼む」

(何がよろしくだ! 俺は何故よろしくなどといっているのだ! またね、などと全然よろしくない!)

 俺は自分でそう言いながら、内心自分に腹を立てた。

 ああ、こんなことを言ったら、また何か持ち込まれるに決まっているのに。俺は何故こんなに押しが弱いのであろう。

 そんなぎこちない俺の笑みに、狐目の隊商は満足げににやりとするのだった。

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