30.願わくばその色相は移ろえど【色相】-2
三白眼の方が、こういう喧嘩めいた勝負には慣れている。
身が軽い彼は、すでに腰の刀を抜いていて、相手の刃物を受けながら動いている。その青いマントが軽やかに閃いていた。
あの男の剣は片刃であるので、手のひらを返して峰や柄でぶちのめしており、なるべく流血は避けているが、先ほどの室内でのことを引くまでもなく、暴力的な彼は俺がいつか見た魔物を思わせる魅力を讃えていた。
「さーて、ちょっとは楽しませてくれるかな?」
その動きは見とれるほどのものだ。
しかし、俺とて感心している場合でもない。
「ちッ!」
有象無象の如く払っても、しつこく飛びかかってくるのは、自分の力がわかっていないゆえだ。
(ここで、殺ってしまえば話は早いが、そういうわけにはいかんからな)
少し怯えさせれば、遠巻きに囲まれるが、集団になることで奴らは勇気を得る。
連中を、できるだけ血を見ないように追い払わねばならないのは、そこそこ大変な作業なのだ。
そう、逆に言えば、相手の首を飛ばしてよいなら、俺にとってこの状況はさして難しいものではない。
ここが王都でなければ、即座に一人二人、斬り捨てれば、ほかの奴らは怯えてかかってこないかもしれないが、片隅とはいえ、花の王都。さしたる理由もないのに、血を見るのは厄介ごとを引きこむだけのことだ。
第一、俺は、本当にカタギ生活の継続記念がかかっている。せっかく、継続にめどがついたところ、こんなクズ共のせいで計画を崩されたくない。
なので、三白眼ともども、なるべく相手を斬り捨ててしまわぬように牽制する。
やみくもにとびかかってくる相手をたたき伏せるなどしながら、エンデル青年と荷物を囲みつつ、徐々に進行方向に進んで逃亡をはかる。
「ダンナ、これ、結構手間だな!」
そんなことを言いながら、三白眼はやけに乱暴でうれしそうな顔をしている。
「こいつは、先にそこのにーちゃん逃がしてた方が楽じゃない?」
三白眼はそういってにやりとした。俺が頷くと、やつはエンデル青年を見た。
「ということだ! アンタは、兄妹の家まで走っていきな! ただ、途中で捕まったら、袋叩きじゃ済まないぜ!」
さすがにこの状況下で、エンデル青年が逃げるということはあるまい。三白眼もそう判断したらしい。
しかし、エンデル青年は、唐突に自由を与えられて思わず意味がわからなかったようだ。
俺は彼を見た。
「コイツの言う通りだ。行け!!」
そういうと、エンデル青年は少し驚いたような顔をして、我に帰った。それから弾かれたようにロバを急がせた。
「先導を頼む」
「了解っ!」
前方にも追手がすでに回り込んでいるのはわかっていたが、数人いる彼等がエンデルに群がろうとした。
俺は三白眼よりも足の速い方ではないから、やつにエンデルを守るように先に走らせた。
「くそっ、てめえっ!」
三白眼がまだつかないうちに、前方からやってきた頭巾をかぶった男が、エンデル青年につかみかかる。エンデルはそれを避けようとして身を縮めた。
と、不意にその時、俺の目の前をかすめるようにして、矢が飛んできた。
その矢はエンデル青年と男のちょうど間を通り、男の頭巾のあまり布を縫い留め、そのまま頭巾を頭から吹っ飛ばした。
「うわあっ!」
男は、真っ青になって飛びのいた。
「ふふふ」
いつの間にか、黒服の大男が石壁に背をつけて立っている。
しかも、いつのまにか、一人の男を捕まえ、その首を左手で極めている。右手の弓を軽く揺らしながらやつは笑った。
「意外と冷静ではないか、エーリッヒ」
「蛇王さん!! 来てくれたのか?」
三白眼の声に蛇王はにやりとして、締め落した男をそこに放り出していた。
「お前がうっかりやらかさないように、俺も協力してやろうかなと思ってきてやったぞ」
「は、なんだと?」
三白眼は嬉しそうだが、俺の方は。
(こいつ……!)
相変わらず、自由人な上に、おいしいところだけ持っていく!
涼しげすぎるやつの笑みに、無性にイラっとしてしまう。
それは、本来宿敵である奴への俺の意識が過剰からなのか、それとも、万能で自由人なやつへの嫉妬心なのか。
どちらにしろ、俺はやつのこういうところが腹立たしい。
その時。
「何、後ろ向いて、のんきに話してやがるんだ! 死ね!」
それをスキと見たのか、後ろから男がとびかかってきた。
「やかましい! 俺は今は忙しいのだ!」
これは八つ当たりだが、仕方がない。俺はその男の顔を思わず殴り飛ばしていた。その様子を見て蛇王が肩をすくめた。
「おやおやずいぶん荒っぽいな、エーリッヒ。大丈夫か?」
「大丈夫ではないな! むしろ貴様が来たので、正気を失いそうな気がしている!」
にやつくやつを俺はにらみつけた。
そして、乱闘は蛇王を加えて継続していくのだった。
*
そもそも、よほど油断しなければ負けることはない戦いであったわけで、俺と三白眼でも十分であったところ、流石の駄目押しといえる蛇王の出現は、チンピラどもをふるえあがらせるのに十分だった。
弓矢の名手として名高く、サギッタリウスの異名で呼ばれた蛇王である。あくまで涼しげに華麗に相手の度肝を抜くような神業を使う、そういうやつだ。やつは矢を二、三本、一度につがえて平気で難しい的に当てられる。
そんな蛇王の矢が、目の一寸先を通り抜けて後ろの壁に刺さる恐怖を味わったやつらは、早々に戦意をなくし、戦闘はそこから急速に終わった。
早い話、連中が諦めて撤退したのだ。
そして、我々は夕暮れになる前に余裕を持って、エンデルを弟妹の家に送り届け、長屋に帰ることができた。
例の男たちにそこまで根性があるとは思えないが、ヤケになって行動されても厄介だ。
エンデル青年の身柄については、サリフ少年の母や妹と一緒に、俺の長屋にある空き部屋を大家の老人に頼んで入れておらっており、今日のところは大丈夫だろう。その場から持ち去った香料は、俺と蛇王の部屋にひとまず運び込んで、バニラと共に保管することにした。
「蛇王さん、ずるいよなあ。お菓子買ってくるって出ていって、しっかり活躍してんだもんな。俺なんて留守番だったのに」
「ははー、すまんすまん。途中で気が変わってなあ。そうむくれるな。珈琲をいれてやったぞ」
バニラを守りながら留守番していたネズミが、そうぼやくのに蛇王は明るく答えたものだ。ネズミとしては、自分も乱戦に加わりたかった気持ちがあるらしく、むくれている。蛇王はそんな子供じみたネズミの肩をたたきながら、機嫌を取るように珈琲をすすめていた。
「今頃気づいたのか、ネズミよ。蛇王は、昔から美味しいところだけもっていく男だ」
ぼやくゼダに俺はそういった。
「こんなやつ、信用する方が間違っている」
「ずいぶんな言いぐさだな、エーリッヒ。俺が来たおかげで、血を見ずに済んだろうが」
「お前がいなくてもそれぐらい可能だ」
俺は舌打ちしたが、蛇王は、さあどうかな、と得体の知れない笑みを浮かべていた。
一仕事終えた後だが、そろそろメシの時間が迫ってきていた。
こいつらは帰る気配がないし、これは何か作ってやらねばならない気がする……、と考えていたところ、リーフィ嬢が差し入れを持ってきてくれた。
戦士の仕事をした後で包丁を握らずに済んだのは幸いだ。いくら俺が料理は好きだといっても、まだ高揚が抜けきらない気分では野菜をみじん切りにするのはかなりつらい。
俺とて、それくらいの棲み分けはある。
「ジャッキールさんも、みんなもお疲れ様。無事で何よりだわ」
「いや、リーフィさんのお陰でな」
相変わらず、リーフィ嬢は流れる冷水がごとく。美しいが特に表情を変えることもない。その辺の無表情さに慣れてきている俺は、彼女にしみじみ癒されていた。この変わらない感じが、世の無情や戦闘でささくれだった心に効く気がする。
「それでは、せっかく持ってきていただいのだから、食べる用意をしよう」
夕飯を広げる用意をしていたとき、不意にリーフィ嬢が尋ねた。
「そうだわ、ジャッキールさん、結局、あれはうまくいったの?」
「あれ? ……とは?」
いきなりそう言われて俺はきょとんとした。あれとは、どの『あれ』だろう。
「あら、シャー。『あれ』をジャッキールさんに教えてなかったの?」
「あー、『あれ』ね」
床で三白眼が唸る。
今日は一仕事したのでもう一歩も動けない。そんなことを言いながらだらだらと寝転がっていた三白眼は、ようやく、ぐりんと起き上がって胡坐をかいた。
先の活躍はどこへやら、彼は、すっかりだらけて、箒で掃き出したいようないつもの三白眼の男に戻ってしまっていた。
「もちろんうまくいったよー。……いやー、オレの演技力のたまものだねえ」
「演技力? 何の話だ?」
思わぬ方向の話に、俺は怪訝そうな顔でやつを見る。
「あー、ダンナはこういうの意外と鈍いもんねー。気づいてないよねー。あれってのは、これの話」
といいながら、三白眼はふところから、ひょいと紫水晶の原石を取り出した。
「あ、貴様、それっ!」
俺が立ち上がりかけると、三白眼はにやりとした。
「あの頭目に渡したのではなかったのか?」
そう。あれとはエンデル青年の身柄と香料一切の引き受け代金として交換したはずの、サリフ少年が拾ったという紫水晶だ。
「あー、渡したのは、リーフィちゃんの部屋にあった標本用の格安の石だよ。せっかくなのでリーフィちゃんにお願いしてもらってきてたの。あんな価値のわからんヤツに、本物渡すことないじゃん」
三白眼はにやつきながら、手のひらで結晶をもてあそぶ。
「まさかすり替えたのか。貴様、手癖が悪いな」
「失礼な。器用だっていってもらいたいねえ」
三白眼は、不敵にそういいながら、
「第一、実際、あの野郎、約束反故にして帰り道に襲ってくるような奴だし。金目のものなんて渡してやる必要ないよ。どうせ価値もわからず、あの悪趣味な部屋に飾るぐらいなもんでしょ。あの程度の価値の石がお似合い」
三白眼は辛辣に言いながら、俺に紫水晶を渡した。
「だって、これ、アンタがあの子にもらったもんだろ。アンタがどう使うのか知らねえけど、使い道はほかにあるじゃないか。少なからず、あいつらにくれてやるのはもったいない、そんな透明な石だよ」
そういわれて俺は、うむ、とうなった。
「そうか、それもそうだな」
俺はうなずいた。
「どうも、俺はそういう柔軟な作戦は苦手だからな。すまんな。これは俺がもらっておく」
そういって俺は紫水晶を掌にのせた。
夕暮れの部屋にはすでにランプの灯がともされていたが、それと外の光を受けて、紫水晶はうっすらと赤から青にかけての色相の変化があるようだった。
結晶は透き通っていて美しく、ランプの灯が入ると色が移ろうように見えた。
「やっぱり、この石はとても透明度が高いし、とても色がいいわね。……本当に上質のものだわ。とてもきれい」
俺が手に乗せてそれを眺めていると、リーフィ嬢がふとつぶやいた。
「ああ。透き通っていて。本当に、美しいものだな」
俺は答えた。
俺にとって、その透き通った美しさは、あのサリフ少年やエンデルのまなざしを思わせた。
あの後、彼等はとても忙しく避難してきていて、俺は彼らにあっていない。エンデルは俺に警戒をいだいたままだろう。
彼らが、今、俺をどう思っているかはわからない。サリフ少年とて、あのような視線を再び俺に向けることがあるかわからない。
(彼らにはあの透き通る瞳のまま、幸せになってほしいものだ)
この水晶の夕暮れの灯に移り変わる色相のように、成長して環境やその瞳の奥の思いが変われども。
所詮、流れ者の俺には何の力もない。
身勝手な偽善と十分に理解しながらも、俺は彼等の幸せを願わずにはいられなかった。
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