31.黒革手帳に異郷は綴られ【またね】-2
空の青さがほんのりと黄金を帯び始める、午後三時頃。
舞い上がった砂埃にけぶる砂漠の街は、まだ昼の太陽の熱気をふりはらえておらず、少しよどんだようなゆったりとした時間と空気の流れの中にいた。
アイード殿の喫茶店でゆっくりした帰り道。それはあくまで見慣れたいつもの俺の帰り道だが、ふとした瞬間、ここはやはり俺の故郷から離れた異国なのだと感じさせる。
よどんだ時間に揺れるヤシの木。乾いた荒野の香り。俺からすればどこか異国めいた香の香り。
ふわりと感傷的な気分になるところをみると、俺はまだ旅の途中の異邦人なのだろうか。
まあしかし、いまだに俺は傭兵のジャッキール。……本名も名乗らない、ただ、ここに居留しているだけの流れ者ではある。
こういう時に、俺はそのことをはっきりと思いだすのだ。
*
長屋の前までくると、ちょうど近所の奥様方が何か井戸端会議をしているようだった。彼女たちは俺を見つけると、あ、と声を上げた。
「あら、先生。おかえりなさい」
「あいかわらず、いい男よねえ。すごい目の保養になるわ。まつ毛も長いし」
「抜け駆けは禁止だっていってるでしょ!」
「ねえ、今日はどちらまで?」
囲まれては、矢継ぎ早にてんで別のことを話しかけられ、俺は相変わらずその圧に押されている。近所の奥様方とは仲良くさせていただいているが、時々圧に負ける。ちょっと怖い。
「あ、ああ、どうも。いえ、少し茶を飲んでくつろぎに……」
「まあ。それはいいわね」
「先生はおしゃれなところが似合いそう」
「あっ、そうだわ」
と奥様の一人が家に入って、皿に入った料理を差し出した。
「お髭さんにきいたのだけれど、先生のところ、今日、お祝いでしょう? よかったらこれも食べてもらえるかしら」
「あ、ああ、これはありがたい。しかし、お祝い?」
お髭さんというのは、蛇王のことだ。やつはどこか謎めいていて男前なので、奥様方の注目を浴びているらしい。
戸棚を作ったりしてあげていて、親しくしている。
が、祝いというのは何だろう?
「あっ、この女、また抜け駆けを!」
「ち、違うわよ! 純粋に余っていて!」
「お髭さんにも、何かお菓子あげてたじゃない!」
「ま、まあまあ、その、喧嘩はなさらず」
奥様方の圧に弱り切りながら、結局、俺は、三皿ほどの料理や菓子をいただいて部屋に帰ることになるのだった。
「しかし、祝い?」
めでたい事等あっただろうか。
事件が解決してほっとしたのは確かだが、打ち上げめいたことは、この間三白眼に連れ出されて、リーフィ嬢のいる酒場でおごらされたので、もう済んでいるはず。
怪訝に思いながら自室の扉を開けようとすると、鍵をかけて出て行ったはずが、どうやら開いていた。
(また、あいつらか!! 人の部屋に無断で!)
いつも通りだが、イラァとしつつ扉を開ける。
「お前たち、無断で人の部屋に住むなとあれほど……!」
といったところで、わっと歓声が上がった。
「ダンナおかえりー!」
「カタギ生活半年経過記念おめでとう!」
そこにはいつもの三人とリーフィ嬢がすでにいた。食卓には様々な料理やお菓子が並べられており、壁にはさりげなく花などが飾りつけがされている。さながら小さな宴席のようであった。
「や、ダンナ、遅かったじゃん! ま、遅くてよかったけどな」
三白眼が近くにやってきてそういった。
「ネズミが料理持ってくるのが遅くなってよう。危うくあとから運び込むことになるとこだったぜ」
「なんだよ、仕方ねえだろ! だって、ダンナに好きな甘いもの食べてもらおうと思って、追加でいろいろつくってもらったんだよ! 遅くもなるっての!」
ネズミは憤然と言った。
「ちょうど、遠方からの入荷だってあってさ。商人が到着してから作ってもらったんだから」
そういうネズミのいうとおり、彼の目の前に、例の琥珀糖をはじめとした、さまざまな見慣れない菓子がおいてあった。
リーフィ嬢がその一つに目をとめて、そっと目を細めた。
「このお砂糖のお菓子、とても珍しいし、綺麗ね。流石ゼダのお店はめずらしいものがあるわね」
「へへ、そうだろー! これは琥珀糖っていうんだぜ。ほかにも珍しいの、もってきたんだからな。色々試してみてくれよ。バニラの焼き菓子だってあるんだぞ」
リーフィ嬢に褒められて、やたらと照れているネズミだ。その分、三白眼が不機嫌になるのが、顔を見てすぐにわかった。この男は嫉妬深いのだ。
俺はそんな状況に、やや気圧されていた。
「しかし、こ、これは……?」
俺が戸惑いながら尋ねると、すでに料理を盗み食いしながら蛇王が言った。
「エーリッヒのカタギ生活半年記念の宴だ。貴様の制定した、よくわからん謎目標の記念日だが、うまいメシを食う口実にはなるから、良いよなー」
はは、と蛇王が無神経に言う。
「お、俺の、記念日だと?」
「アレ? この間、言ってたでしょ? 無事に手を下さずに事件が解決したら、打ち上げするって」
三白眼が大きな目を瞬かせた。
「いつまで経っても、アンタが言ってこないからさ。こりゃあ、忘れてるかなって。せっかく、うまいことアンタ基準のビミョウなカタギ判定突破した結末をみたんだからさあ。お祝いしないとダメじゃん? ま、オレは、タダ酒が飲みたいだけだけど?」
と三白眼が肩をすくめる。
「せっかく、オレが努力してあげたんだからさあ。お祝いぐらいしようぜ?」
ああ。そうか。
そう言われて初めて気づいた。
あの最後の交渉で、三白眼が俺よりも先に前に出て、相手に攻撃的にふるまったのは、きっと俺に手を出させないためだ。
やつはまだ手加減ができるが、俺はあまりに戦闘の興奮に飲まれると、手加減ができなくなることがあるから。
もちろん、やつも暴れたい気持ちもあったろうが、俺になるべく剣をふるわせないようにしたのは、きっとそれだ。
急に気づかわれていたことがわかってしまい、俺には、思わず何かしらの感情が沸き上がるのを感じた。熱いものが込み上げてしまう。いかん、これはまずい。ここでは、まずい。
俺は、傭兵になったと言っても厳格な軍人なのに。
「アレ? ダンナ、反応ないけど? なんかかたまってる?」
話すとダメだ。
と三白眼がそんな俺を覗き込もうとしたとき、立ち上がってここまできた蛇王が、三白眼の肩をつかんだ。
「それぐらいにしてやれ」
「えー? でもさー?」
「エーリッヒはこれで涙もろいのだ。感動しているのだから、これ以上やると、号泣してしまうぞ」
蛇王にそう言われ、俺は弾みで声が出な。
「ご、っ、号泣など、するわけがないだろう! 何を言っている!」
俺は、こみあがる何かをごまかしつつ叫んだ。
「ま、まったく、お前達は本当に人が悪いな。お、俺にも事前に伝えてもらえれば、何かしらの食べ物を用意したものを。すぐ人を驚かせようとする!」
うまく、耐えられただろうか。
ちょっと顔を伏せ、気持ちを切り替える。こんなところで、涙ぐんだりしていたら、一生からかわれてしまう。
「ちょうどよく、近所の奥様方からおすそ分けをもらったからな。これも出しておくぞ」
俺はあえて不愛想に部屋の中にはいり、そのまま奥に向かい、戸棚の皿を取り出して料理を盛り付けることにした。そのままでもよいが、やはり綺麗に盛り付けた方が食がそそるし、宴会ならばなおさらのことだ。
というより、早く感情を鎮めなければ。
「蛇王さん、アレ絶対泣いてたよ」
「だろう」
「ダンナ、結構感激屋なんだなあ」
不意に三白眼の小声が聞こえた。
「そんなもの、昔からそうだろうが。あー、これは、酒飲ませると、面倒なことになるぞ。アイツは酒は飲めるが強くはない。泣き上戸な上に管を巻くからな」
「えー、そんな面倒」
「そうなったら、早いこと酔いつぶしちまおうぜ!」
聞こえている。全部聞こえている。
人のことをなんだと思っているのだ!
(特に蛇王のやつ!)
俺は知らぬ二人にことをバラす蛇王への苛立ちにより、かえって先ほどこみあげかかった何かを急速に鎮める努力が楽になった。
窓の向こうでは、今日の陽がゆっくりと落ちていく。その空の淡い紫の色が、ことさらに美しく思われた。
「ジャッキールさん、お手伝いするわね」
「ああすまない」
リーフィ嬢が手伝いに来てくれる頃には、俺は落ち着いていた。
一方、三白眼とネズミはすでに酒を開けており、酒を飲まない蛇王はすでに料理に手を付けているありさまだ。
(主賓は俺ではなかったのか? 待つ気はないのか、お前たち!)
先ほどはうっかり感激しかけたが、どうせ酒を飲んで騒ぎたいだけの口実だろう。
わかっているとも。
「やれやれ」
そんな風に思いながらも、俺はそれでも良い気分にはなっていた。
(まったく、どうしようもない連中だ)
*
窓の外は、すでに黄昏の空気が感じられた。
やがて暗くなりゆく空には、もう星が浮かびつつある。
遠い砂漠の砂丘の稜線の向こうに太陽が落ちていく気配。乾いた砂の香りは夜の湿り気を帯びていく。
やはりここは俺にとっては異郷だと感じる。
俺は傭兵のジャッキール。
ただ、ここには流れ着いただけ。ここは俺にとっては異国の地で、一時的に逗留しているにすぎない。
だがしかし、もう少しここでの平穏をむさぼっていてもよいか、と近頃は思うことがある。
俺の懐にある黒革の手帳には、調査のことも含めてよしなしごとをかいている。
けれど、その手帳に、俺はまだもう少し、この王都の滞在のことを書いていくことになるだろう。
俺がこのささやかな零落と平穏を心地よく感じている限りは……。
ジャッキール王都居留記・了
ジャッキール王都居留記 —シャルル=ダ・フール異聞— 渡来亜輝彦 @fourdart
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