第4話 ギフテッド2

「通常ギフテッドは、樹列思考に悩まされているのですが、日常生活でこのことを自覚する人はほとんどいません。理由は二つあって、そもそも樹列思考の手綱を握り続けることは尋常ではない集中力が必要とされる点にあります。桁数の多い掛け算を暗算でやっている状態のように儚いのです。例えば——」


 そういってオーキドは手前に用意した紙に掛け算を記入した。そこには329×14と書かれている。


「例えばこの簡単な問題を暗算で解いてみてください。これくらいなら慣れている人でなくても、掛け算さえ知っていれば、問題なく解けるはずです」


「えっ‥‥‥」


 オーキドはこちらの理解するスピードなど全く意識していないほどの早口でまくし立てた。私はというといきなり暗算を振られて、軽いパニックに陥り思考が完全に停止してしまっていた。簡単というけどこちとら3桁の掛け算なんて小学生以来だぜと文句を言いたかったが、素直な私は問題にとりかかる。329×14だよね。えーと36足す、80足す——


「あ! そうそう。そういえば、この大学近くに美味しいオムライスのお店があるのはご存じですか? オムライスにメロンが使用されているタイプの有名なお店なんですが——」


 オムライス屋の話をし始めたオーキドを見て私はたぶん呆けていたと思う。怒るとか、困るではなく理解できないと人は固まるのだ。

オーキドは仕切りなおすように、ゴホンと咳ばらいをした。


「お付き合いいただきありがとうございます。計算はもう結構です。僕が会話を振ったら計算は当然ですが中断されましたね? この現象が樹列思考を成立させづらい理由の一つになるのです。小学生でも解ける計算と、さほど中身の無い世間話ですら訓練もなしで同時に行う事は非常に困難なのです。頭の中だけの思考容量は、人間である以上七±二の項目。大体三~四ユニットのまとまりでとどめておくことが限界とされています。電話番号はそのまま覚えるのは面倒ですが、ハイフンを挟むとぐっと覚えやすくなるでしょう。計算でこの容量をすでに使用しているため、並列で情報が処理できないのです。つまり、一見すごい樹列思考もこの事と同じで、大きな弱点を抱えていると言わざるを得ないのですよ」


 まるで大学の講義でも聞きにきてるのかと思った。当たり前だけど本職先生って要するにつまらない話を最後まで聞かせるしゃべりのプロなんだよなぁ。眠っている生徒を起こすためにわざと途中で声を張り上げたりする講演者のテクニックをなぜか思い出した。強制的に引きつけ、聞かせようとする技術だ。オーキドの話はまだ続く。


「しかも先ほど例に出した過興奮性と、この樹列思考はすこぶる相性が悪い。過興奮性とは要するに外部の刺激に過剰に反応してしまうことなのですが、ストレスの伴う環境下。例えば慣れないプレゼンのようにストレスを伴うような環境では、樹列思考を発揮する事は全くできません」


 黙って聞いているが、この言葉には深く共感できた。それは私が抱えていたジレンマと同じだったからだ。私にとってこの樹列思考とは、まるで海岸の細かな砂でできた巨大な城だ。大樹を想像させるすごい思考のように感じられるが、常人には出来ない複雑な思考システムを持っているわけではないと、体感で理解している。これは通常と同じ思考システムの上にこの症状が発生しているのである。最初の思考を「ルートA」とした場合、ルートBが生まれるとルートAを一時保存し、高速でスイッチングしながら思考を進めていくのだ。厄介なのは、ルートAで出た結論とルートBで出た結論を保持しながら、さらに深い思考へもぐりこむ「ルートC」が生れてしまう事だ。そして、このルートCを説明することはルートAとBの説明なしに成り立たず、かつ膨大なエネルギーを使用してしまうため、説明は長く、複雑なものになり私の発言は『風変わり』の一言で片づけられてしまう。

 私は中学生のころ、小説を書いていた。なんとなく読んだり書いたりすることが好きで、年頃にはそれを共有できる親友とも呼べる友人もいた。一緒に下校中、私はとても斬新な小説の設定を思いつき(今思えば陳腐な設定だが)、唐突に友人に語り始めた。結果として、自分で話し始めていたはずなのに何の話をしていたかわからなくなり「今、なんの話してたっけ?」と聞き出す始末だ。友人はやさしく苦笑いしながら「もっとまとめてから話なよー」と肩を叩いてくるが、この時に私が感じていた感覚は、小さな絶望だった。違う。。今確かに設定は私の中にあって、それは秩序立っていた。しかし、友人の笑顔なのか。または肩を叩かれたせいなのか。急に顔が赤くなり、その砂の城は跡形もなく感情と言う波にのまれてしまったのだ。私は『話が長い』とか『声が大きいから小さくしてほしい』とか、『君の話はむずかしい』とか言われる根本的な原因が、この樹列思考や過興奮が入口なのだと思い知った。

 

「ギフテッドの症状を持つ人のほとんどは自分の思考システムが独特であることなど知らないのです。過興奮がある以上樹列思考はその力を発揮する事はまずありませんし、たまたま樹列思考をすることが出来ても、ギフテッドにとって苦痛であり、専門的な知識がない人には意味の無いものになるでしょう」


「しかし――」


 意図してだろうか。一段やさしく語り掛けてきた


「どうやらあなたは違うようです」


 そう。この説明で腑に落ちないのは正にその点である。


〇ギフテッドには樹列思考っていう特別な思考システムがあるよ。

〇あなたを悩ませる声はその樹列思考が原因のようだね。

〇でも通常ギフテッドの過興奮という特徴が思考をかき乱して成立させないよ。


 というところまでは頑張って理解した。実際このギフテッドのセンスは自分が風変わりである以上の意味を持たなかったし、深く物事を考えることを意識しなければ特段問題ない。しかし、私の頭の中を反芻する謎の声はギフテッドの特徴であると同時に、ギフテッドでは成立しづらい特徴であるという。では私は一体何なのだというのだろう。

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