第34話 最終章の事実と創作

最終章の事実


百万遍

 日本各地に伝承されている行事である。元々は百万遍信仰という地蔵信仰とは完全に別のもの。疫病を鎮めや悪霊退治。無病息災を願うものであった。民衆のなかで信仰がいくつか交じりあい、地方によって独自の百万遍がうまれたのだ。もちろん供養目的の百万遍も珍しいものでは無い。念仏を唱えるとき南無阿弥陀仏と繰り返し言う印象が強いのは、この百万遍の影響が強いのである。


供養よりも寄り合いで宴をする方が重要

 愛する家族を失った場合人生の満足度が下がることがミシガン州立大学のリチャード・ルーカス教授の研究で判明している。夫や妻に先立たれた人は幸福度が死別前に比べて4分の1から5分の1ほど低くなった。また死別後5年たっても、人生満足度は優位に低かったのである。時が全てをいやすという事はないようだ。しかし、その中でもリカバリーが早い人を見ると上手くソーシャルサポートに頼っている。同じ境遇の人たちがいるコミュニティに参加するのは効果的である。


ポテトスナック ステーキ味

 人類が失った過去の文明の一つ。



最終章の創作


味のわかる仮想デバイス

 味覚をデジタル化して遠く離れた相手とも共有する技術はすでに開発されている。VRの世界でも電気信号を味覚に変換しようという試みはあるが、まだまだ課題は山積みである。あと一つくらいイノベーションが起きると、仮想空間で食事を楽しむことも難しいことではなくなるのかもしれない。


意識の無い人は運んじゃダメ!

 物語の都合上このおっさんは主人公を抱えて走り出したが、まずあり得ない。失神している人をみたら、心拍と呼吸の確認をまず行う。心拍がない場合はAEDを使用して心臓をまず動かそう。心拍もあり呼吸も安定している場合であっても、意識が戻らないのであれば体を締め付けている類の衣類をまず緩め、嘔吐物で窒息しないように体を横向きにする。あとは、医務室に連れて行くのではなく人を呼ぶべき。良い子はマネしちゃだめ、絶対!



最終章の結末


 我々が恐れているお化けの正体は、『古い科学が未だに利益構造を維持しているもの』である。子供の為に悲しみを乗り越える事がなぜ素晴らしいか。それは現世に生きる者にとって今ある命を輝かすことが最も重要だからに他ならない。命題は現世利益を最大化させることである。死をいかに乗り越えるかという人間の知恵がこのような仕組みをつくったのだ。水子供養は、檀家制度が破綻しはじめ、経営が苦しくなった寺院が経済的利益の為に大手墓石業者とタイアップし、大々的に宣伝し始めたことが大きく影響している。昭和初期のころは「賽の河原へ地蔵様に参りに行く」と言えば、一年に一度の恋人たちの逢引きが許された。このように文化として継続されるには、現世の人にとって利益が構造として循環することが非常に重要であるのだ。利益が回るコミュニティは時として生物と非常に類似した特徴や意思決定を行うことがある。この疑似生物こそがオカルトであると思うと、ロマンがある。

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