第35話 大木戸遼平のエピローグ

 ギフテッドプログラムは、原因不明のエラーにより機能を完全に停止してしまった。VRマシンもブロックデバイスを2個失ってしまったので修理をしたいのだが、そのためには中のブロックデバイスは総入れ替えする必要があり一千万はかかってしまう。今後工面できる研究費でこの規模の額が一括で用意できる可能性は限りなく低い。つまり、僕の研究は終わったのだ。むろん出来る範囲でまた別の研究はするだろうが、人工的なギフテッドを作り世界をよりよい方向へ進ませるという案はもう日の目を見ることはないだろう。

 堀之内春はまるで嵐だった。半分好奇心で治療の手伝いをするだけのつもりが、稀代のギフテッドと出会ったがために研究も、悩みも、そして苦しみすらも根こそぎ吹き飛ばされてしまった。その嵐が去った後に残されたものは、一人の救われた研究者だった。彼女は最初から全て計算づくであったのだろうか。いや、そんなことはもはや僕の考えが及ぶところではない。堀之内春は目の前の全てを救おうとして、本当に全てを救って見せた。これだけで十分じゃないか。

 堀之内春の報酬はない。このプログラムが停止したのも、デバイスを破壊したのも彼女がやったということになっているからだ。あれは、僕が壊したのも同然だと経理に直訴したが契約書どおり、彼女の報酬から損害額を引くことになってしまった。彼女の協力報酬は私が予算として割り当てられた年間研究費の半分ほどが割り当てられており、三桁万円はくだらない。報酬をだすことが出来なくなってしまったことを伝えると、彼女は「え? あ、はい」と興味なさそうに返事をしてそれっきりだった。実際金銭などに微塵も興味がないのだろう。彼女の存在は出会った時から終始浮世離れしており、本当の正体が霞を食べて生きる仙人だといわれても僕は素直に信じるに違いない。今までの出来事を考えるのならばむしろそちらの方が納得できる。

 堀之内春との約束を守るため、一緒に食事に行くことになったのは、それから数日のうちだった。唯一彼女に報酬を払える機会であるため、同僚らにも相談しながらなるべく良い店を選んだ。僕が堀之内春を抱えながら大学内を走る姿はあまり良くない内容で共有されており、下世話な知人から「例の彼女ですか?」などと囃し立てられた。そういう輩には「恩人です」と一言だけ返している。


 予約した店舗はドレスコードがあった為、一応慣れないネクタイをしめていった。堀之内春はというと黒を基調とした大人なパンツスタイルで現れた。童顔のイメージが強く、てっきり学生のようなスカートをはいた服装でくるのかと勝手に想像していたが、改めて社会人だということを思い出す。

 僕は普段カップ麺か学食ばかりでこのような高級店は不慣れであったため、あまり食事に集中することはできなかった。彼女の食べる姿は見ていて気持ちが良い。あまり感想を言わず、そして無表情で黙々と食べる。最初のうちは不機嫌なのではないか。口に合わなかったのではないかと不安に駆られ、聞いてみるとこれがいつもの状態なのだという。実際フォークの進みは早く、餌を与えられたばかりの猫の食事を見ているような気分になる。喜んでくれていると思う事にしよう。僕のそんな無遠慮な視線に気が付くと「美味しいです」と無垢な笑顔を向けてくれる。それはきっと僕のことを気遣った彼女のやさしさから出た笑顔である事は間違いなかった。

 何杯目かのシャンパンをその小さな口に残さず注ぎこむと、堀之内春の食事は終了した。その細い体のどこに入ったのかわからないが、出されたものを綺麗に平らげた。気に入ってくれたと思う事にしよう。彼女との別れはあまりにあっけなかった。外にでると「ごちそうさまでした」と言い、彼女は僕の返事もたいして聞きもせず振り返り歩き出した。

 そんな彼女の背中を見た途端、不思議な気持ちが沸き上がった。もう会う事はないだろうと思うと、このままで別れてはだめだという思いが僕を支配する。そして衝動的に声をかけた。


「また。いつか!」


 会うことが出来ますか? 


 そう言葉をつなげようとしたが、最後まで言えなかった。この稀代のギフテッドである堀之内春を逃すことは、研究者にとって取り返しのつかないことのように思えたのだ。しかし、そんな傲慢な言葉を使うことはできない。そんな僕の独りよがりな言葉に彼女は振り返り答えてくれた。


「はい! またいつか」


 振り向いた時に、顔にかかった髪を耳にかけるとその表情が見えてくる。まっすぐな瞳で堀之内春は答えてくれた。そしてまた彼女は歩き始めた。そんな日が来るかはわからないが、またいつかこのギフテッドに会えるであろうその日を楽しみにしておくことにしよう。夜の雑踏に消えていったあとも、僕はその余韻を味わうようにいつまでの彼女の背中を見送っていた。

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