第33話 大木戸遼平の視点 その2

 何度過ちを犯せば気が付くのだろうか。なぜ彼女も苦しんでいたと思う事ができなかったのか。

 システムがフリーズした時、最初僕は理解ができず、ディスプレイを凝視していた。堀之内春の思考テキストの最後の数行はこのようになっていた。


『我が子をもう一度抱けるならなんだってする』

『傷んだ手をさすってやりたい』

『頭をなでてやりたい』

『母親の顔に希望が見え始めた』

『石塔が壊された。許さない』


 これは‥‥‥。

 彼女は純粋にこの仮想世界に生まれた母親の事を思っていたのだ。取り返しのつかないことをしてしまった。椅子が転ぶのも構わず急いでマシンに駆け付け扉を開けた。そこには安全ベルトのおかげでかろうじて倒れていないだけの、腰だけ宙づり状態の意識の無い堀之内春がいた。

 僕は急いで安全ベルトを外し呼吸と状態を確認する。呼吸に乱れもないので彼女を抱きかかえ医務室へ急いだ。そのあまりの軽さに私は驚いた。彼女の身長は平均より低い方だが、その中でも軽い方なのだろう。

 我が子が助かるならなんだってする。そう願う親の気持ちが娘を失い十年以上たった僕の中にもまだあったようだ。なりふり構わず駆け抜ける僕を、学生たちが奇異の目で振り返る。もしかしたらこのあと変な噂でも立てられるかもしれない。しかし、もうそんなことは心底どうでもよかった。堀之内春を助けること以外もう考えられなかったのだ。

 医務室に運ばれた彼女は、幸い早く意識を取り戻した。安堵すると同時に、罪悪感が押し寄せてきて、僕は謝罪する事しかできなかった。きっとこの事故は防げたはずだ。彼女の思考テキストは最後の数分で膨大な量に上っており、前回の疲労状態をはるかに超えた文章量であった。予測はできたはずだ。しかし、僕は自分を見失い、彼女がまるで自分を操ろうとしているかのような錯覚にとらわれた。

目の覚めた堀之内春の表情は、つかみどころがなかった。一言で表すなら『平常時』だ。まるで近所に買い物に来たかのような、表情でこちらを見ている。そんな彼女の口から出たのは信じられない言葉であった。


「すぐに再開させてもらえませんか?」


 動揺する僕に彼女はおどけて見せた。


「元気元気です! へっちゃらです!」


 その幼稚な語彙を聞くとやはり娘と重ねて見てしまう。彼女は娘ではない。その当たり前の事実を再度心に刻む。その軽い体と細い腕で彼女はまだ体に負担をかけようというのだ。許可できるはずがない。


「大丈夫です。やらせてください」


 まただ。あの人を射貫くような瞳だ。

言葉はお願いだが、拒否権を一切認めないといった強い意志を言葉に乗せている。思わずたじろぎ返答に詰まる。


「やらせてください」


 再度彼女は僕を追い詰める。客観的にみるならばお願いする側とされる側なのにも関わらず、どうしようもなく追い詰められているのは、お願いをされている側の僕であった。早く許可を出して楽になりたいという気持ちにすらなる。何とか彼女の支配に抵抗し、無言を貫くことで意志を示した。

 そんな僕を見て、彼女はゲームを持ち掛けてきた。もしまたゲーム内で問題を起こしたら僕の勝ち。今後の治療は全て僕の指揮下で行われることとなる。彼女が無事この後の治療を終えたら彼女の勝ち。僕は何か彼女に食事をごちそうしなければならない。正直勝利条件も、勝ち負けさえもどうでもよいのだが、この有能なギフテッドには僕には見えていない、絶対大丈夫だという確信があるように思えてならなかった。体力はとっくに限界を迎えているのは、見ないでもわかる。だが、信じてみたい気持ちがわずかに上回ってしまった。


 実験室に戻り再度マシンを起動させる。ディスプレイにはエラーメッセージがまだ表示されていた。『問題が起こったワールドを凍結させますか?』と出ていたので、迷わず『Yes』を選択する。無事マシンは再起動を果たし、先ほどと同じ田舎の風景と思考テキストが流れ始める。


『今度こそ子供を救う』


 僕は早々に結論を出しまったが、堀之内春の人間性は欠落しているのではないと思った。自分に一切価値を置かない聖人のように、ただ人の為。悲しみを減らすために動いている。そんな人間らしくない生物なのかもしれない。

 一体このあと堀之内春は何をするつもりなのか、注意深く見守った。ほどなくしてディスプレイに表示された光景は珍妙という他なかった。大勢の子供たちが行列を成して村を練り歩き始めたのだ。皆が皆お菓子を口にしており、まるで祭りだ。最終決戦のような続きを想像していたため、拍子抜けしてしまう。ディスプレイに反映はされないがその先頭に立っているのがどうやら堀之内春であるようだった。慌ててスマホを取り出し『お菓子 祭り 文化』などのワードで検索してみたが当然目の前で行われている謎の儀式はヒットしない。思考テキストはしばらく流れてこないし、どうしても中の様子が気になった僕は、何とか知りたいと思考を巡らせる。

 ‥‥‥方法が無くはない。ブロックデバイスの一部をジャックするのだ。中の音声を取得する機能は、ワールド生成と両立しないだけできちんと備わっている。ジャックすれば当然そのブロックは映像やブロック構成の機能を果たさない。だから、すでにブロックとして構成されている一部をこっそりジャックするのだ。例えばすでに椅子として構成されているブロックの端だけ音声取得ブロックに切り替えるのだ。これだけなら何も問題はないはず。

 ディプレイは依然として児童の行脚が続いており、テキストにも動きがない。早速開始することにした。ジャックと言っても大したことはしない。セキュリティの認証を突破するとプログラムを見ることが出来るため、干渉することは容易い。暗号化はされているがそもそもこれを譲り受けた時に認証キーは元々僕がいじれるように書き換えていたため、普段使っていない鍵のかかった部屋に入る程度の作業だ。すでに使用済みのブロックから、仮想世界への影響度の少ないブロックをいくつかピックアップした。その一つの主導権を握るまで、3分もかからなかった。私は任意の一つを盗聴器にすることに成功したのだ。


 ガ、ガゴガッ


「——!」


 信じられないことが起きた。音声取得に切り替えた途端そのブロックは機能を失ったのである。破壊されてしまったのだ。精密機械ではあるが決して脆いものでは無い。もしこれを握りつぶそうとするならば最低でも握力は70kg以上が必要になる。これは堀之内春が全体重を乗せて踏んでも決して壊れないことを意味する。マシン内の異物は床の角に設置されているダクトから外に排出されることになっている。案の定排除されたそのブロックデバイスは、カランと軽い音を立てながら床に転がった。近づいてみてみるが、完全に砕かれている。どうしてこうなるのか理解が出来なかった。しかし、探られることを嫌う堀之内春の仕業だろうという事だけは分かった。拾ったブロックデバイスをポケットにしまうと椅子に戻り思考テキストに目を通す。


『心配しないで。みんなハッピーになれる』


 思わず笑みがこぼれる。結局彼女は全てお見通しだし、肝心の部分は何も見せてはくれない。いつまでたっても私は堀之内春の掌のうえというわけだ。それから行脚は続いたが、ある石碑までくると、蜘蛛の子を散らすように児童が解散していく。この祭りもどうやら終わったようだ。


 今度は村の主婦の寄り合いのようだった。それぞれが楽しそうに酒を酌み交わし食事をしている。一つだけ主婦たちの間に空席があり、おそらくそこに堀之内春が座っているのだろう。しきり飲み物を勧められているように見える。私は一つの賭けにでた。それは、先ほどのブロック破壊は何かの事故かもしれないという事だ。やはり彼女が壊すにしても現実的ではない。たとえ意図的に床にたたきつけられても壊れることは無いだろう。先ほどと全く同じ手順で一つだけジャックする。こちらからではそれが仮想世界のどの一部かはわからない。扉かもしれないし、テーブルかもしれない。しかし、ワールドを維持する為に必要な優先順位の最も低いものを今回も選んだのだ。しかも今回は前回と違い選択ブロックの数が多かった。前回は260ブロック中の1が壊れたのだが、今回使用中で、かつ優先順位の低いブロックの総数は4890である。もしこれが事故で壊れるのであれば、それはまぐれではなく奇跡と呼ばれるレベルである。


ゴ、ガ、ゴゴガガッ


『学習能力の無い愚かな人間』


 堀之内春は神だとでもいうのか。ジャックしたばかりのブロックは無残に砕かれマシンから排出された。先ほどよりもひどい損傷だ。ディスプレイに特別な動きは何もなく、宴会の映像がただ流れているだけだった。変化があったのは思考テキストのほうであった。


『子供は救われた』

『もう悲しまなくていい。あなたの苦しみは子の苦しみ。あなたの喜びは子の喜び』


 この思考はあの母親に向けられたものなのだろうか。そう考えるのが自然だ。けれどなぜか彼女は僕に声をかけてくれたように思えた。堀之内春は神ではない。缶コーヒーで喜ぶし、休日はおしゃれをしてオムライスを食べに行き、困っている人を助けたいと素直に思える子だ。けれどその観察眼や推論能力、思考スピードは本人の肉体がオーバーヒートしてしまうほどの異常なスペックを抱えている。そんな彼女が導き出したこの結末はきっと僕に向けたものだったのだろう。それは彼女の優しさなのだ。

 また空中にモノサシが現れた。あの優秀な頭脳は更に解析を始めるのだろう。しかし、すでに僕はこの物語の続きに対する興味を失っていた。もう彼女を観察する必要はない。きっと全て把握されているのだから。思考テキストもディスプレイもシャットダウンし、彼女の最後になるであろう治療が終わるのを待つことにした。

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