第32話 解析終了

「あなたの中でこの『お化けとは何か』という物語ももう終盤のようですね。これを渡すのも最後です」


 ルマンド氏からモノサシが出てきた。そういえばこんなのあったな。最初はチュパカブラに投げたりしてたっけ。それを受け取ると、最後に母親の横顔を見る。相変わらず隣の奥様と盛り上がっており、笑う姿はとても楽しそうだった。それが本当の楽しさなのか、悲しさの裏返しなのか私には全然わからなかったが、これで良いのだと思えた。じっと見つめる私に気が付きこちらに視線を向ける。彼女に私はどう映っているのだろうか。同級生という設定であったし、まさか幼児という事はないだろうが、中学生くらいには思われているのかもしれない。彼女は薄く微笑むと、一言だけ「ありがとうね」とあの時と同じようにやさしく声をかけてくれた。私は小さくうなずくとモノサシを空中に放った。



 デフォルトルームに飛ぶのかと思ったが、登場人物が消えた客間の一角に、まだ私は座っていた。響いていた笑い声はぴたりと消え、まるで耳が痛くなるほどの静寂ではあったが、それより私が驚いたのは料理の代わりに置かれていた、札束の山であった。こんな大金を見たことは生まれてから一度もないが、優に億は超えていると思われた。


「え? なにこれ?」

「これが、あなたも追い求めていたものの正体です」

「いや、さすがに理解不能なんですけど」


 語彙力や品性が疑われるので使わなかったが、あえて言おう。こいつマジでやっべーな。


「別にふざけているわけではありません。ただ、確かにこの札束の山も正体として正確ではないと言えるでしょう。つまり、これは経済活動が大きくかかわっているという事なのです。ワタシはこれらを錯覚エコノミーと呼んでいます」

「いきなり造語ですか。ぶっとんでますね」

「ワタシはあなたです。本当はもう気が付いているのではないのですか? ワタシは確かにギフテッドシステムの恩恵により、様々な情報にアクセスしピックアップすることが出来ます。しかし、今回全ての情報をあなたに開示したため、ワタシが今持っている結論と同じ答えがすでにあなたの中にあるのではないかと推測しています」


 どきりとした。実は、先ほどのルマンド氏の話を聞いて、俯瞰した時に全ての共通項が確かに見えてきたのだ。しかし、言えないでいた。私の発想は独特で、発言は長く、回りくどい。それだけならまだしも多くの場合問題解決にも適さない。だから、こんな仮想空間でも頭の中でしまっておいた。


けれど‥‥‥。

ここでなら‥‥‥。


 人間が誰もいないここでなら、言ってもいいのかもしれない。


「どうぞ。言ってみてください」


 促された私は、まるで自分の中の扉を開けるように、頭の中を解放していった。


「わかった‥‥‥」


 私は立ち上がり、左手の握りこぶしを口元に持っていき、人差し指を一度噛む。あふれ出てくるダムの決壊のように流れ込んでくる思考を制御するためだ。


「まずオカルトって概念なんだけど‥‥‥」


 慎重に言葉を進める。今の私の思考は、やんちゃな犬を散歩する時のリードのように、油断するとするりと、手から離れてしまう。


「途中で言っていた『古い科学』ってやつで結論付けていいと思うんだ。『飛べるブタを見てしまった人間は説得できない』っていう、人間の特性は関係している。私だってハンスを最初見た時はそうだったからね。ただそれは、その時にどれだけ選択肢を持っているかが信じるか、信じないかを決めていると思うんだ。そして、その選択肢の多くは科学が持っている。『古い時代』という言葉を使う時、それは古い価値観を指すけどさ、いつだって新しい価値観は『新しい科学や技術』が作ってきているでしょ? 科学はほぼ唯一の少数が多数をひっくり返すことの出来る手段だから。スカイフィッシュは、カメラの性能が原因で生まれたかもしれないという選択肢をもった人がいた。これにはカメラなどのテクノロジーの技術に精通していればわかる事だった。交霊術も、マジシャンには幼稚なトリックだったかもしれない。いつだって信じるのは『それ以外選択肢が想像できない人たち』だったんだ。それに——」


 私はすでに拳をあけ、身振り手振りを交えながらの大演説を虚空に向かって披露していた。


「どうしても騙されたい人もいた。愛する息子を失ったコナン・ドイル氏のようにね。交霊術を信じた彼は愚かだったのだろうか。それは、大きな誤りだ。たとえ交霊術であろうと、召喚術であろうと、なんだって信じたはずだ。そうすることで彼は最も重要な心のよりどころを失わずに済むんだからね。そういう意味で彼はとても合理的で、論理的だ」


 言葉に熱を帯びてきた私は、辺りを見回し、良さそうな空のビールケースをひっくり返し、その上に乗り、声のボリュームもマックスになる。完全に街頭演説だ。


「次に出てきた疑問が『じゃあ、継続するオカルトと、そうでないものの違いは何か』ってことだったんだけど。交霊術は未だに支持を得ているのに、エクトプラズムはダメな理由。それは交霊術を受ける人は、すでに亡くなった大切な人と交信できるという利益を得ることが出来るから。長い間水子供養が支持されているのにUMAは消えてしまった理由は、殺児行為の罪悪感を逃れるという利益に比べ、モンスター出没というエンターテイメントの利益は、はるかに重要性が低いものだったからだ。地蔵奉納と言うお寺も墓石屋さんも、心のよりどころを救うことの出来る供養する本人にも利益が生まれる構造。これらを俯瞰して考えた場合、共通するキーワードは『経済活動』になる。オカルトやお化けのような、錯覚の経済活動。ルマンド氏の言葉を借りるのならばそこに『錯覚エコノミー』が上手く機能していたか、そうでないかの違いではないのかと思ったんだ。消えていったオカルトは、つぶれてしまう個人商店と一緒で需要がなくなったことで消滅した‥‥‥」


 私の熱は話の終わりが近づくにつれ、収束に向かっていった。声のボリュームは小さくなり、私はビールケースから降り、うつむくように最後ぽつりとつぶやいた。


「お化けの正体は、古い科学。今でも続いているオカルトは需要が途切れないで利益構造もしっかりしているものだったんだ」


 自分で口にして、なんだかとても可笑しなことを言っているなと思って笑ってしまった。私が探偵だったならば、この後犯人の悲しい過去を語る一幕が待っているのだろう。しかし、この推理に正解は無く、恐らくそうだという感想が一つ生まれただけに過ぎない。誰も救っていない。私自身救われているのかもわからない。ただ唯一言えることは、もう私の中にかつてのお化けも、幽霊も、ゾンビも、奇跡も、信仰も同じ形で存在しては居なかった。この地道な解析の果ての景色は、思ったより嫌いなものでは無かった。


「解析は完全に終了いたしました。お疲れさまでした。楽しかったです」


 気まぐれで、AIが生んだ言葉なのだろうが、どうやらこの球体は楽しかったようだ。なんだか長い間潜っていたこの仮想空間ともお別れだ。私も‥‥‥結構楽しかったかも。

 全ての景色は光も形も失い、モニターの明かりとは違う本物の照明がスポットライトのように私を照らす。こうして私の冒険の一つが幕を閉じた。

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