第31話 食事会

 場面転換の際に発生する光にもずいぶん慣れてきた。このVRの構成はおそらくチャプターで区切られており、カリキュラムをこなすとクリア。次のチャプタースタートとなるわけだ。

日はだいぶ傾き外灯がちらつく。ここはあの母親の家の前だ。これは中に入れと言う事なのだろう。

 まるで旅行から帰ってきたときのような、心地よい疲労感と共に玄関を開ける。


「ただい——おじゃまします」


 なぜか実家の空気感を感じ、ただいまと言いそうになった。しかし、そこには母親もルマンド氏もおらず、玄関も廊下の電気も消えている。しかし奥のふすまから漏れる明かりに気が付くと、そこから喧騒とも呼べるような音が聞こえてきた。ゆっくりと近づくにつれその音は徐々に大きくなっていき、私がふすまを開けた瞬間、それは最大ボリュームで私を揺らした。笑い声である。


「あらあらあら、またお客さんいらしたねぇ。どなたさんか」


そう答えたのはこの家の主である母親ではなく、別の年配の女性だった。5~6人の女性が長テーブルを囲んで酒盛りをしていたのだ。持ち寄ったであろう料理やおつまみ、瓶ビールなどが所せましとテーブルを占領しており、皆とても楽しそうだ。


「その時うちの旦那がさ——」

「やだぁ。アハハハッ」


 各々が好きに話をしており、私にすぐ気が付いたのは入り口にいた声をかけてきた女性と、あの母親の二人だ。


「この子はさっき言っていたうちの同級生の——」

「ああ、ああ。ひゃくまんぺを勧めてくれた子だねぇ。それじゃお酒どうぞってわけにはいかないねぇ。がはは」


 みんなの視線が私に集まる。彼女たちの勢いに呆然と立ち尽くしていた私は、手招きされ母親の隣に座らせられた。ちょこんと座布団に正座したは良いものの、全く知らない集団に1人投げ込まれてしまうと、途端にどうしてよいかわからなくなりキョロキョロしてしまう。


「お酒はだめだけどジュースならいいねぇ?」

「はい! ジュース好きです!」


 身も心も学生になりきり返事をする。お酌をうけ、アップルジュースを注いでもらった。私も馬鹿ではない。さっきのような失態を犯すような真似はしない。飲むふり飲むふり。グラスを口元に持ってきてクンクンと匂いを嗅ぐ。あれ? すごくいい匂い。もしかして‥‥‥。

頭の中で『飲むふり飲むふり』と唱えながらグラスをわずかに傾ける。


「あ、おいし‥‥‥」

「おいしいでしょう。清野さんのリンゴのいい奴で作った特別なジュースだから」


 はす向かいに居て焼酎を飲んでいる人のよさそうなメガネの女性がグラスを持ち上げて「でしょー」と言っていた。彼女が清野さんなのだろう。

 すごいすごい! 本当に飲めたぞ。今の仮想空間ってすごいんだなぁ。さっきのはきっとお菓子だからとか、包装紙に包まれていたからとか、何か制約があったに違いない。きっとこの目の前の唐揚げだって‥‥‥。


 ご、が、ごごががっ


 ‥‥‥ブロックデバイスでした。だめでした。私という人間は学習能力の無い愚かな人間なのです。口を手で覆いかわいそうなブロックさんをリリースする。何度も口に入れてしまい誠に申し訳ございませんでした。

 私のそのような失態は幸い誰も見ておらず、各々が楽しそうに会話していた。あの母親も隣の女性と楽しそうに笑いあっている。これがルマンド氏の言っていた地蔵奉納の後の食事会というやつなのだろう。正直お通夜のようなものを想像していたが、こちらの方が良いことは理解できる。子を思うことは大切だが、自身を殺すことはあってはならないのだ。


「昔、子供の命は安いものでした」


 一瞬理解できない単語が聞こえてきたが、あたりを見回すと発言したのは案の定ルマンド氏であった。私は視線をもとに戻し何事もなかったかのように、アップルジュースを一口すする。他の奥様方には全く見えていないようだし、ルマンド氏はそれでよいというように、構わず言葉を続ける。


「人間に限らず、地球上にいるいかなる生物も命を失いやすい時期は幼児期です。人類は長らく平均寿命が三十~四十代でした。それは四十歳まで生きられなかったのではありません。圧倒的に子供が死んでいたため、平均が下がっただけなのです。今の人類増加は食糧問題の解決など様々な要素が存在しますが、何より幼児が命を失うことが少なくなったから今の繁栄があると言っても過言ではないでしょう。しかし、人間は愚かでした。今度は跡取りとなる男の子でなかったり、病気であったりすると堕胎や間引きを行うようになったのです。今の倫理観では考えられませんが、日本でこれが法により殺児行為とされたのは戦後からです」

「急に来たと思ったら、随分と語るね。奥様方の楽しいひと時を邪魔するのが趣味なのかい?」

「すべてが終わったら説明すると言いました。それが今であるという事です」

「それは、つまり‥‥‥」

「はい。あの子は無事に成仏したということです」

「‥‥‥そっか」


 少しうれしくなり、もう一口だけアップルジュースを口に運ぶ。知らずに口元も緩んでいた。


「それでは説明を続けましょう。この殺児行為が違法となった昭和二十~三十年代以降は罪悪感と共に水子供養が高まったのが、今回我々がおこなった供養の始まりです」

「お地蔵さまって昔話にもでてくるから、もっと古いものかと思った」

「はい。水子供養は古くは古事記に書かれているイザナギとイザナミの第一子水蛭子(ヒルコ)が海に流された事故からが素になっていると言われておりますし、18世紀頃には日本に実際賽の河原が各地に存在していましたので、時代とともにバージョンアップしていったという考えが正解でしょう」

「うん」


 相変わらずルマンド氏の説明は回りくどいなと思いながらも辛抱強く耳を傾ける。それはきっとこいつも私と同じギフテッドの症状を引きずっていることが原因であることが容易に想像できたからだ。黙って聞いているのは同類のよしみというやつである。


「本題に入ります。昔子供の命は安かった。そのため『子を悲しませる親は地獄に落ちてしまう』という子供蔑視の姿勢から生まれたようなルールが設けられてしまいました。しかし、それは本質からあまりにずれた大きな誤解なのです。本来の教えは『親が子供の事で悲しみ、苦しむから子供は地獄から出ることができないのです。愛する我が子を救いたいのならば、同じくらいの愛でまず自分を幸せにして見せなさい。そうすれば、子供の為に苦しむ親はこの世に居なくなり子供は成仏するだろう』という事なのです」


 私はぽかんと口を開けていた。そして、鳥肌が全身を包み込んだ。


「これだったんだ。私の言いたいこと……」


 あの時母親に言えなかった言葉。共感したいわけでも励ましたいわけでもなかった。ただ、もう少しで解けそうなパズルの答えを説明しようとしていたのだ。そう。これは合理的な最適解なのだ。親の苦しみを救うのはたった一つの条件付けであった。


 


 子供の死と言う最も乗り越えがたい不幸に対して、どのように抗えば良いのか。愛する我が子の命と同様の価値などこの世にはすでにない。そんな世に絶望するのは当然だ。もう我が子には何も与えられないし、我が子はもう何者にも奪えない。自分の心の中の牢獄に死ぬまで自分と共にいるのである。しかし、人類は愚かではなかったのだ。愛する我が子と同じ価値のもの。それは愛する我が子に他ならない。そこで、あえてもう一度子供から奪おうとするのである。そんな非人道的な事をする場所。それが『地獄』なのだ。

 その地獄から救うためには必要なものは自分の幸福だ。子供に対する愛情が深ければ深いほど、行動原理は『いかに自分を幸福にするか』というベクトルへ向かう。人類として生き延びるために、現世利益を優先させるというリアリズムがそこにはあるのだ。

 

「この教えはどこかの聖人や僧侶が生んだものではありません。地蔵の俗信から発生したのです。あの母親もそうですが‥‥‥人間と言う生き物は、自分が思う以上に強い生き物のようです」

「‥‥‥うん」


 私はもう一度笑いあっている奥様方の顔を見た。みんな本当に楽しそうで、とても幸せそうで、とても居心地が良い空間だからこそ、もうここにはいたくなかった。

 残りわずかとなっていた清野さんちのリンゴジュースを最後ぐいっと飲み干し、コップをテーブルに置いた。

 もう悲しくはない。嬉しくもない。スッキリしたわけでもない。ただ、自分の中にパズルのピースが吸い込まれていき、それががぱちりとはまったような、そんな不思議な感覚だった。

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