第8話 大木戸遼平の日記 その1

6月13日 晴れ

 厄介な相談を悪友の精神科医から持ち掛けられた。どうにも見切れない罹患者を看てほしいと言われたのだ。医者でもない僕に頼むとは、ずいぶん趣味の悪いジョークだと思ったが、あのいい加減なあいつが「茶化すな」とまじめにいったもんだから、話だけでもきくことにした。

患者は軽い統合失調症や双極性障害に似た症状を持っているそうなのだが、奴が言うにはどうにもらしい。それは、多くの項目に該当しているようにも捉えることが出来るし、そしてそのどれにも該当していないともいえる。症状は『広く浅く』出ているようなのだ。このような場合診断は『健康』とされてしまう。こうした多くはセンスや個性の問題とされ、その領域は確かに僕の専門分野だ。

 被験者の症状を端的に述べるのであれば、本人が本人に対して思考の乗っ取りを行っていると言える。まるでなぞなぞの問題だ。そんな病気は聞いたことがない。強引に仮説を立てるのであれば、人の無意識化には自分とは別の知性があるとされ、それは臨床心理学や神経学のアカデミア界隈では特別な知識ではない。このような無意識化の別の知性が本人に影響を及ぼす例がないわけではない。それは時に電波とも呼ばれ統合失調症の原因がこれではないかともされているので、その線で探った方が良いのではないか。

正直ギフテッドと関連があるとは思えなかったが、認知のデザインが特殊である可能性は十分に考えられる。エレイン・アーロン博士の感覚処理感受性の理論で言えば、結局のところ人のセンスとは肉体に依存する。もっと言うのならば五感がセンスを決定していると考えている。今回の被験者はその意味で、肉体のどのような特性がそうさせているのか一度しっかり調べてみるのも良いかもしれない。今度カルテをメールで送ってもらおう。

 

6月15日 雨

 研究室で事務仕事をしていたら、不思議な雰囲気の女性が入ってきた。最初ゼミの学生が入ってきたのかと思った。見ない顔だなと思ったのもそうだし、何よりこれから罹患者との約束があるので出ていくよう告げた。驚いたのは、まるで学生に見えたその女性が罹患者本人であった。

名前は堀之内 春(ホリノウチ ハル)。

 メールで送られてきた情報にはそう書かれていた。童顔なのだろう。彼女には失礼だがあまり化粧っけのない顔はよく見なければ高校生にすら間違えてしまいそうだ。他に彼女を特徴づけるとしたらその肌の白さだろう。僕には全く想像もつかないが、肌の白さを維持する為に日傘をさしたりするタイプなのかもしれない。だとしたら正直苦手だ。この日は検査だけで、後日彼女にはまた来てもらうこととした。

 

6月17日 晴れ

 他の全てがどうでもよくなるほど検査の結果は衝撃的であった。それは異常値ともいえるギフテッドへの適正反応だったのだ。問題があるとすれば、ギフテッド以上にギフテッドであると言える歪な反応であったことだ。大抵の場合、ギフテッドであったとしても人間くささが必ずスコアに紛れ込む。それは想定内のことであり、検査結果にとってこのノイズは果物のヘタのようなものだ。あって当たり前だし、取ることは容易い。それを補正する計算式を当てはめればいとも簡単に解決する。そうして出てくるスコアが、普段我々が扱う数値である。だが彼女が出したスコアはこのノイズが全くと言っていいほどなかった。それはより優れた理論値最高のギフテッドであるという証明にはならない。単純に人間性の欠如を意味するのだ。

 僕の人工的なギフテッドを作るという研究は足踏みをはじめてすでに6年もたってしまった。この目的を達成するに、彼女はうってつけなのではないだろうか。上手く言いくるめれば、治療という名目で研究を大きく飛躍させることが出来るかもしれない。


6月19日 曇り

 再び研究室を訪れた堀之内春は、やはり学生のように見えた。検査結果を伝えると最初は今まで見てきた大勢の成人ギフテッドと同様に、自分がそうであると信じられないようであったし、知識もなかった。話せば話すほどただの気の弱い人物であると感じたし、すぐ治療に同意してくれるはずであった。だが予想は裏切られた。彼女は治療に同意をしなかったのだ。

 彼女のあの目を私は忘れることが出来ない。まるで奴隷のようにか弱く、上目遣いで見ているのにも関わらず、支配者のような鋭く射貫く瞳を持っている。実際僕の考えなどすでに見抜かれていたのだろう。少し会話しただけでギフテッドの症状を本質的に理解していたし、知能の底がまるで見えない。昔金曜ロードショーで見た、信じられないスピードで進化するエイリアンを彷彿とさせた。僕がそのことを察知して、すぐに全て打ち明けたのでかろうじて乗り切ることができた。彼女は「そういうことでしたら」と溜飲を下げてくれたが、一手対応を間違えていたらしっぺ返しをくらっていたことは容易に想像できる。彼女を利用したり出し抜いたりするのはあきらめたほうが賢明だろう。


6月23日 雨

 いよいよ実験初日だ。堀之内春に準備が出来たことを伝えると、驚くほど速くこちらへ来てくれた。忘れていたわけではないが、このことで彼女は症状に苦しんでいる患者であることを再度思い知らされ良心が痛む。実際に治療は効果が得られるであろうという想定で進めているのは事実であるし、実験の同意も得られているが、どこかこの日を心待ちにしていた自分が少しだけ嫌になった。

 実験室には知人であるミネソタ大学のヴォース教授から譲り受けたVRマシンとギフテッド用のプログラムがある。研究の一部を引き継ぐことで破格の値段で融通してもらった。これは仮想現実世界の投影と、現実世界への拡張を同時に行う世界でも数少ないマシンだ。実際に見て触れることの出来る創造世界というわけだ。今回の治療にはこれを使うのだ。高齢のヴォース教授は僕の人工的なギフテッドを作る研究の数少ない理解者であり同志だ。このマシンを見るたびに受け継がれた科学の血潮を感じる。

 堀之内春は、なかなか部屋に入ろうとしなかったし、部屋に入った後もすんなりマシンに入りはしなかった。そんな彼女を見て一つ気が付いたことがある。気が弱く臆病なのではない。本能的な反応が強いのだ。その慎重さは、まるで野生の猛獣が見たこともない人工物と相対した時の反応を想像させた。

マシンを起動させ、スタンバイ状態に入る。基本的に僕はこの中で行われることに一切干渉できない。今はスタンバイ状態であるため多少のやり取りは可能だが、ワールド生成以降はマシン内の彼女の様子をモニターで写したり、音声を拾ったりすることすら全くできなくなってしまう。把握できるのは、MR内に映像で映し出されている内容と同じものを僕のディスプレイに映し出せることなのだが、そんなことは些細な要素でしかないと思わせるほどの特別な仕様がある。陽電子放出断層撮影法(PET)を使用し脳画像を読み取り文章を生成する事ができるのである。こちらを知り合いの教授のつてで無理やり組み込んだ。『思考テキスト』と呼ばれるこれは、長年の研究で蓄積した莫大な量の脳の映像と言語を紐づけしテキストが作成できるのだ。近年生成AIの発達によりついに実用化された。

 端的に呼ぶのならば『心が読めるシステム』だ。プロトタイプであるため文章は一部欠損していたりするが、信頼度は95%以上だ。これをアクティブに実行できる、おそらく世界で一つのマシンがこれになるだろう。本人にどのように観測するかは伝えていない。心を読まれて喜ぶ人間は居ないので、これだけはなんとか隠し通さなければ。

 堀之内春はこのマシンを通じて自分が疑問に思う事を解決することで、症状の緩和を目指していくこととなる。僕は彼女が選ぶ知識のテーマが気になった。一体このギフテッドは何に興味を持ち、何をしりたいのか。哲学か。お金か。

 堀之内春が選んだテーマは「おばけの正体」であった。正直やられたという思いでいっぱいだった。人は疑問を作り出すとき、自分に大きくかかわる事やスケールの大きいことを考えるのが常だ。どのような疑問を選ぶかで、人間性の一部を覗くことが出来る。しかし、彼女はその全てを隠したままあえて幼稚な題目を選んだのだ。きっと彼女はこのマシンに入るまでの間で、この頭の中をのぞかれるという性質に気が付いたのかもしれない。そうだとしたらなんという観察眼と発想だ。

 僕はもしかしたらとんでもない人物を実験対象にしようとしているのではないのだろうか? 少なくとも現状観察されているのはこちらだし、試されているのもこちらだ。まずするべきことは、観察することではなく、真摯に治療し彼女と信頼関係を結ぶことなのかもしれない。

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