第14話 賢馬ハンス

 予想外の返事にどきりとした瞬間、三度光に包まれた。正確には私をくるむように取り囲んだブロックデバイス達がそれぞれ映像を再構築しているようで、まるで光るビーズに囲まれているようだ。とても幻想的で素晴らしい。この環境でお菓子たべてみたいぜ。

 ものの数秒もしないうちに、西洋の街並みが構築された。現代かと思ったがやや古い時代設定なのだろうか、見慣れないもののほうが多い。路上に駐車されている自動車のボディをよく見るとプラスチックのようなものでできていた。まるで走る段ボールみたいだ。町並みは石やレンガでできているであろう、5階建てを超える高層の建物も多く存在しており、随分と立派だ。モダンってやつですかね。


「ここは?」

「20世紀初頭のドイツです」

「えー? 最高だ! ケルン大聖堂見れるかな?」


 そうか、これって本来こういう使い方するためのデバイスなんだ、と改めて思った。過去の海外を再構築できるなら、時間旅行だって夢じゃないよね。あー、プレッツェルが食べたくなってきた。ドイツではパンの一種と考えられているが、私にとってはお菓子の仲間だ。これおわったらプレッツェル買って帰ろう。


「ほんじゃ、さっそくUMA見に行きますか!」


 少し元気になった私は、ルマンド氏についていく形でドイツの街並みを歩き始めた。このデバイスのすごいところは空気の質も変わるところなんだよね。やや冷たく、しかし栄えている割には土臭い空気が肌を張り付かせて気持ちいい。散歩感覚の行進は数分もなく、町はずれにある民家の庭までやってきた。何の変哲もない馬小屋がそこにはあり、栗毛色の賢そうな馬が一頭いるだけだった。

もしやと思いルマンド氏の方を振り返る。


「実在するUMAです」

「いやこれUMA(ユーマ)じゃなくてUMA(うま)——」


 ハッとなり言葉を止めた。あ、だめだ。どんどん顔が赤くなってきた。やばい、恥ずかしくて泣いてしまいそうだ。ツッコミたくないのにツッコんでしまい、居たたまれなくなった私は両手で顔を覆った。そんな悶々としている私をよそに私とデジタルのキメラは、冷静に的確な返答をしてくる。


「確かに、未確認生物という意味ではこの生き物はUMAではありません。しかし、証明できないという点では、同様の存在です。見ていてください」


 ルマンド氏は、小屋の前までふわふわと飛んでいくと、馬に話しかけ始めた。


「Hallo Hans, wie alt ist 6-2?」(こんにちはハンス。6-2はいくつですか?)


 あ、字幕つくんだ。ドイツ語で話かけているのだろう。まるで映画のように字幕が表示される。


「見ていてください。蹄で正解の数を鳴らします」


ハンスと呼ばれたその馬はコツ、コツ‥‥‥とゆっくり鳴らしていく。正解はもちろん4だ。


コツ‥コツ‥


 4になった! もしかして‥‥‥。

 まるで緊張感のある大道芸でも見ているように、息を飲み込む。

ハンスはぴたりとその数で蹄を打つのをやめた。


「すごいッ! えー! どうなってるんだろう!」


 これはただ事ではない。四則演算ができる生物が存在するなんて。しかもこれはただ四則演算ができているだけにとどまらない。ドイツ語を理解していなければならないのだ。『おすわり』のような単語と動作を連動するものでは無い。計算とは、単語が概念上の数字というものと結びつく必要がある。


「むしろ、ここからが本番です。見ていてください」


 まるで、動画をスキップするかのように、シーンが移り変わる。場所はこの馬小屋の前であるが、生成されたのかハンスの横にはおしゃれなハットをかぶった小柄な髭のおじさんが立っていた。白衣を着た数人の男性がハンスを取り囲み何やら話しているようだ。辺りは多くの人だかりができており、私ももはや野次馬の一人にすぎない。


「説明しましょう。ハンスの横に立っている帽子をかぶった人物はヴィルヘルム・フォン・オステンと言う名の数学教師で、飼い主です。ハンスに4年間数学の授業を行い、結果としてこのような能力を得たと言っています。白衣を着ている人物はカール・シュトゥンプ。ハンスが本当に計算が出来るのかを調査するために来た科学者です」


 何を会話しているのかはドイツ語のためわからないが、話している内容は字幕でみれるので離れたところからでも把握できた。


「ハンス。もし8日が火曜日なら、次の金曜日はいつかね」


 答えは11日だ。いつの間にか計算をするハンスの周りには人だかりができており、私は人ごみの間から字幕だけを目で追う。ハンスの蹄はちょうど11回の所で止まることでギャラリーからは感嘆の声が上がる。「すごい」やら「信じられない」やら、「神の馬だ」なんて言い出す輩もいる。この後にも、ただ紙に数式を書いただけの言葉を使用しない計算や、やや複雑な問題も順調にハンスは答えていった。正解率は100%ではなかったものの、そういった問題はギャラリーの人たちでも暗算ですぐ答えにたどりつけるような問題ではなかったりしたので、そこは馬の限界値であるように感じた。ルマンド氏は私とハンスの間に割って入り、こういった。


「結論、科学者のカールは『なんのトリックもない』と結論づけたのです」


 ぐらり。と世界が歪んだような気がした。つまり。科学で証明された未確認の説明できない能力。それは魔法や奇跡と同列のもので、私の世界の形を変えるものであった。見たことがないからわからない。触れないからわからない。しかし、体験してしまった以上、それは受け入れるしかないのだ。


「どうでしょうか。今まで見たチュパカブラやツチノコも同じだと思いませんか?」


 ルマンド氏が変な事を言ってくる。ただ、その言葉でやや冷静になった私は自分の頭を整理する意味でも反論する。


「いや、同じではないでしょ。あっちは見間違えかもしれないけど、馬という生き物は実在するし‥‥‥」

「しかし、計算する馬は世間では存在しないというのは共通認識です。もしあなたが空を飛んだブタを見たとして、その後誰かが『そんなものは存在しない』と言われて納得することが出来ますか? しかも自分以外にも多くの空飛ぶブタを認識している人がいて、再現性もある。何度もその豚はあなたの目の前で飛ぶのです」

「‥‥‥」


 ぐ、ぐやじい。論破されてしまったか。それはそうなのだ。きっとチュパカブラを見た人だって、信じたいとか、信じたくないとか。そういう気持ちではない。『見てしまった以上は事実として受け入れなければしょうがない』のである。


「多くの人は意思決定を用いる時現象学的な視点を必ず持っています。専門外な領域であっても、自分の経験上『あり得ない事』は否定したくなるのが人間なのです。どうでしょうか」


 百聞は一見にしかずと似たようなことを言っていることはかろうじて理解できた。その言葉を聞き頭頂部が少しだけむずがゆくなる。思考が急速に回転し始める感覚が私を支配し、視点が泳ぎ始めたのが自分でもわかった。このあとのルマンド氏の行動で私は完全に思考の海に潜水することとなった。

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