第24話 第四章 故郷

 新しく形成されたワールドは、ひどく懐かしい感じのする場所であった。周りが田んぼに囲まれており、北国独自の雪よけの塀がいたるところにある。


 あれ? 地元じゃない?


 意外にもここが故郷だと最初に認識できた要素は、空気感だった。景色などどこの田舎も似たようなものだが、自分が生れてからこれまで育ってきた土地は、匂いなのか、気温なのか、とても肌に合った感じがした。記憶が頼りなくても体が覚えているということはあるのだな、と自分自身に感心する。

 故郷だと断定できずにいたのは、ただ単に実家から離れた場所にスポーンしたためであったからだが、確信を持った今では「〇〇さん家の二件隣にスポーンしたんだな」くらいの解像度で地理を理解している。

 

「これからどこ行くの?」

「着いてきてください。紹介したい人がいます」


 ふわふわと揺蕩っているルマンド氏に黙ってついていく。この仮想世界って直接現場でスタートさせてくれればいいのに、毎回そこそこ歩かされるんだよね。


「そういえばさ」

「はい」


 私は何気なしに会話を始めた。


「子供のころ目の前で同級生が車にひかれてさ。しかもそれが小学校の近くだったから、それが理由で押しボタン式の信号が校門の前に出来たんだよね」

「お友達は大丈夫だったのですか?」

「ぜんぜん平気だった。ランドセルがクッションがわりになってかすり傷ひとつ追わなかったよ」


 アメリカのホームコメディのように大げさに肩をすくめて見せる。ルマンド氏は球体でどこが正面かなんてわからなかったが、なんだかこちらを向いているような気がした。少し感傷的になっているのだろう。私の言葉は止まらなかった。


「それでね、その信号機が村に設置されたのが私がもう小学校を卒業した後だったんだ」

「はい」

「見ての通り、道は田んぼのあぜ道につながっているか、民家や雪よけの塀があるだけでしょ? 見通しも良いし、何より限界集落だったから車が通る事なんてほとんどなかったんだよね。道路に寝そべったって、そうそうひかれたりはしないくらいには安全だった。だから事故とは無縁の村に誰も使わない信号ができたって、みんな馬鹿にしてたんだ」

「はい」

「でもね、そんな連中を見て私は少しだけ腹立たしかったんだ。結果的に私の友達は大ごとにならなかったけれど、車が少ないせいでこの村はとても事故が多かったと思う。うちの村こそもっと信号機は必要だよ」

「車が少ないと事故も少ないのでは?」

「それって絶対数の話でしょ? 人口比だと絶対多いよ」

「‥‥‥」


 急に黙り込む。ついにAIすら論破してしまったか。


「検索にヒットしました。人のパターン予測を研究する分野で同様の論文を発見しました。世界比較でみた場合、歩行者や自転車の大きな事故が起こる場所は、その移動手段が一番多いところで最も少なく、歩行者や自転車が少ないところで最も事故が多いことが判明しています。確かに交通量が少ないと、歩行者も運転者も『相手がいるはずがない』という前程で運転をする頻度が増えます。結果として人為的要素が原因となる事故は増えてしまうことが十分に考えられるでしょう」

「‥‥‥補足ありがとう」


 そんな会話をしたいわけではなかったが、AIなりに私を肯定してくれたのだと好意的に捉えることにしておこう。

 しばらく沈黙した後に、ついたのはこの辺ではどこにでもあるような民家だ。


「さあ、はいりましょう」


 私は架空の世界であるとわかっていたとしても、他人の家に入る時はそれなりに緊張してしまう。もはやこれは動物的な本能なのではないだろうか。遺伝子が他人の縄張りに無断で入ることに、危険信号を発しているのかもしれない。


「おじゃましまーす」


 肩をすぼませ、玄関の戸を開ける。雪国なので左右にずれるタイプの引き戸だ。その片方だけを申し訳程度にあけてすっと体を玄関に潜り込ませる。泥棒ではないのだが、引き戸が動くときに結構大きい〝ガラガラ〟と音を出したのでドキリとしてしまう。

 地元とはいえこの家にはもちろん入ったことはない。子供の頃入る家なんて友達の家くらいだ。必要ないことは十分に分かっているのだが、私は靴を玄関で脱ごうと身をかがめる。

 

「靴を脱ぐ必要はありません。脱いでしまうと設計上足への負担が増えるため、システムを継続することが難しくなります。どうぞそのままで」

 

 いや、そうかなとは思ったんだけどね。


「どなた?」

「ヒッ」


 驚いても人間の心臓が止まることはない。ただ、他の比喩が思い浮かばないくらい体が異常な反応をするのだ。ダムが決壊したように今まで無自覚だった心臓の鼓動は激しく跳ね上がる。奥から出てきた、四十代であろう女性が話かけてきたのだ。

 ここが現実なら、玄関を開けたら人が来るのはなんら不思議ではない。話しかけられるのも当然だ。ただ、ここは仮想世界で、目の前にいるのは作られたキャラクターだ。それがまるで意思を持っているかのように話しかけてきたのだ。


「こんにちは。私たちは〇〇さんの同級生です」

「ああ‥‥‥。でしたらどうぞ奥へ」


 返事をしたのはルマンド氏だ。私たちは促され奥に進む。


「ちょっと、どうなってんの、これ!」


 口調は強いが目の前を歩く女性には聞こえないようにルマンド氏にささやく。この女性がただの浮かぶ光源であるルマンド氏を人間のように認識していることろに違和感があり、ここが架空の世界であることを忘れないでいられているが、NPCは返事をしないのではなかったのか。


「どうなってるのとは‥‥‥何を指しているのでしょうか」

「いや、普通に話かけられてるじゃん。私たちの世界ってこの架空の世界じゃ見えない存在なんじゃないの?」

「設定によります。前回はエピソードを見ていただくのが主な内容であったので、私たちは居ないものとして扱われていましたが、今回は違う設定だという事です。チュパカブラなどのUMAは私たちを認識出来ていたでしょう。元々技術的には最初から存在します」

「それはNPCの人格も?」

「はい。私に近い存在ではあります」


 そういわれると生物って最初から私一人で、傍からみればボッチがへらへら独り言しながら歩いているだけなんだよね。わかってた、うん。‥‥‥ぐすっ。

 ちらりと前を歩いている女性を見た。ルマンド氏が同級生だというのなら、この人はその子の母親だろうか。どこか物憂げで、後ろでまとめた髪が少しだけほつれているのが、彼女の疲労感を感じさせた。


「こちらの部屋です」


 通された奥の部屋は障子戸で仕切られている。とてもイヤな予感がする。だって、そんな子供部屋なんてないから。そして、案の定私の予想は当たる事となった。


「どうぞ。お友達が来てくれたならうちの子も喜びます」


 私たちは、会釈をし仏間へ入った。そう。この母親の子供はすでに他界しているのだ。私は仏壇の前の座布団に座ると線香をあげた。詳しい作法はしっかり覚えていなかったが、それでも出来る限り丁寧にこなした。母親は部屋から出るでもなく、私たちとこの子の対面をずっと後ろから見ていた。一体どういう気持ちなのだろうか。

 振り返ると、私がさっき疲労感と感じたのは間違いであると気が付いた。彼女は悲しみに暮れ、涙も枯れ果てた後の人間の抜け殻だった。なぜ私はこんなものを見せられているんだ。


「ルマンド氏。帰ろう」


 短い言葉だが、断定的に言った。有無は言わせない。しかし、ルマンド氏はそれを全く無視して母親に話しかけた。


「お子さんを救いたくありませんか?」

「ちょっと! ルマンド氏!」


 私は繊細ではない。自分の悪いところははっきりと指摘されないとわからないし、人が楽しんだり悲しんだりすることに素直に共感する人間でもない。察しろって言葉なんて大嫌いだ。でも、私には知性がある。この子の母親に上手に共感してあげることは出来ないが、相手が言われたくない言葉を想像することはできる。そして、それがこの言葉だ。

 私はまっすぐルマンド氏を見つめる。場合によってはルマンド氏ごとこのデバイスを破壊してしまおう。クソだぜ! こんな架空の世界なんて。


「そう‥‥‥ですね。そんなことできるのですか?」


 ただこの母親は怒ることもせず、ルマンド氏に反応した。私はその時の母親を見て、怒りが霧散していった。彼女は少しだけ笑っていたのだ。自嘲気味な笑いなどではなく、子供にねだられたときに出る少し困った笑いだった。彼女に私たちが自分の子供を重ねて見ているのかもしれない。


「賽の河原はご存じですか?」


 ルマンド氏は強引に話を進めていく。


「ええ。死者の渡る三途の川の手前にある河原の事ですよね。小さいころお寺に飾ってある地獄絵を見せてもらったときに見ました。たしか‥‥‥成仏できない子供が石塔を立てるお話でしたっけ」

「そうです。その賽の河原です。では早速行きましょうか」


 事も投げにルマンド氏は言い放った。日本語としては成立しているけれど、内容がデタラメだ。しかし、ここは架空の世界。その無茶苦茶が成立してしまうんだよな。

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