第25話 賽の河原

 世界を構築しなおす為に必要な光が一瞬だけあたりを照らすと、次の瞬間私たちはその賽の河原にいるようだった。目の前の川が三途の川か。正面は深い霧に包まれており、向こう岸があるであろう場所は数メートル先も見えていない。ただ、河原だけは横に長くどこまでも続いており小石が延々とあたりを埋め尽くしている。

 私もそうだったが、母親は茫然と立ち尽くしている。いきなりこんな場所に来たらおどろくよなと思っていたが、そんな些細な事に彼女の心は動かされては居なかった。瞬きもせず、奥に続く河原に居る、何かを見つめていたのだ。


「〇〇‥‥‥? 〇〇‥‥‥!!!」

 それはおそらくその母親の子供の名前だった。彼女はすでにその遠くの子供に向かって駆け出していた。


 半狂乱。


 その言葉がふさわしいほどに、彼女は両の手を前に突き出しながら子供のいる方へ叫び、そして走っていく。そのスピードに置いて行かれないようにと、私もルマンド氏も彼女の後を追いかける。母親は靴を履いていなかったためか、所々石で躓き、よろめきながらも走り続けた。しかし、いくら走っても無限廻廊のように、ある程度距離を詰めたら一定以上進めなくなってしまったのである。今まで何度も子供にねだられ、包み込んできたその手の中にその子が収まる事はできなかった。


「〇〇! 〇〇!」


 届かない。どうしても届かない。ならなぜこんなものを見せる。なぜこんな痛みを強いる。私は怒りでとても冷静でいられなかった。走っている時間は3分にも満たなかっただろうが、延々と続く煉獄を想像させた。


 遠くでコツ‥コツ‥と石を積み上げていた子供の一人が、ふと顔をあげてあたりをきょろきょろとみまわし始めた。


「〇〇! 〇〇!」


 母親は何度も、何度も何度も。恐らく失ってからも呼び続けたその名前を何度も何度も繰り返し口にする。私たちにはその子が見える。しかしその子から私たちは見えていないようであった。声も届いていないのだろう。それでも、何かが届いているのかもしれない。明後日の方を向きながら、子供はぽつりと口にした。


「‥‥‥お母さん?」

「〇〇! 〇〇!」


 母親はとうに泣いていた。そして必死だった。もう失ってなるものかと。

 もう繰り返してなるものかと。

 そんな願いが込められているかのような叫びであった。それが届いたのかもしれない。


「お母さん‥‥‥。おかあさぁぁーーん!」


 子供も泣いていた。何度も石を積み上げたのだろう。幼く小さな手は痛々しく傷ついていた。涙でまえが良く見えていなかったのだろう。よたよたと、まるで赤ん坊が抱っこをせがむように一歩一歩こちらに向かって歩いてくる。


「〇〇! 〇〇!」


 叫んで叶うなら。願って叶うなら。それだけでももう一度我が子をこの手に抱けるのならば、何だってする。そう言っているようだった。傷んだ手をさすってやりたいだろう。頭を撫でてやりたいだろう。

 少しずつ近づいてきた子供の表情も鮮明に見え始め、母親の顔にわずかに悲しみ以外の感情がみえた。だがこの親子の願いが成就されることはなかった。それを遮ったものは鬼であった。三メートルを超えた角の生えた異形の赤い亜人。私たちが慣れ親しんだあの鬼とは別もののモンスターだった。低く、くぐもった声で一言だけ言った。


「親を悲しませて、成仏できると思うな」


 鬼はさっきまで子供が積み上げていた石塔を、その手に持っていた金棒で弾き飛ばした。


 母親はそれを見て気絶した。それを一部始終見ていた私は、体内の黒い感情が一瞬で限界まで膨らんで破裂したと感じた。同時に、視界はブラックアウトすることとなる。

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