第26話 大木戸遼平の視点 その1

 僕はどうして研究をしているのかと思う事がある。元々は単純に娘が愛おしかったからだ。日本の人口問題は深刻であり回避不可能だ。その為に僕が娘に出来ることと言えば資産を残すことくらいに思えた。しかし、それを解決する方法を思いついてしまったのだ。まるで小学生のような絵空事だが、『人口が半減し貧しくなるのならば、倍の価値を作ることの出来る人間の総量を増やせば良いのではないか』というのが僕の人工的なギフテッドを作ろうとする実験の始まりだ。

 時代が変化するとはつまり価値観が変化するという事だ。僕が良いと思ったものを必ずしも娘が喜ぶとは限らない。それでも娘には少なくとも僕が味わうことの出来た幸福な選択肢を与えてやりたかった。それを達成するには社会が豊かでなければならないのだ。政治家に頼る気にはなれないし、政治に参加するなどもってのほかだ。あまりにも効率が悪すぎる。

 こうして実験が始まった。まずはギフテッドというものをよく知るために研究を開始したが、日本では大体が児童ギフテッドの将来を憂いた教育構造の話に終始しており、現在労働者としてその特別な能力を発揮できていない成人ギフテッドの研究など無いに等しかった。数年たつ頃にはギフテッド研究者としてある程度名は知られるようになったが、目的の足掛かりすら掴めずにいら立つ毎日だった。やはりこれらのデータがそろっているのはアメリカだ。僕は研究のためミネソタの知人であるキャスリン・ヴォース博士の元で短期間の研究協力を申し出た。彼女は快く受け入れてくれた。最初は戸惑う事の方が多かったが、チームのみんないいやつばかりだった。半年経つ頃には週末ブライアント・レイク・ボウル&シアターでボーリングをしながら一杯やりながら、研究の話を共に夜更けまでする仲だった。研究は順調だったし、彼女の数十年の研究結果は僕にとって宝の山ばかりであった。しかし‥‥‥研究半ばで日本から訃報が入った。


 交通事故であった。


 高速道路での無茶な運転をする若者の車に巻き込まれたのだ。二人とも即死だった。僕は巣から放り投げられたひな鳥のように、どうしてよいのか全くわからなくなってしまった。葬式をあげ、二人を弔い、目的の無いタスクだけが山積みだった。そこで僕は逃げた。二人の死から。

 幸いにしてアメリカに渡っていた期間に溜まっていた業務。また一生かけても解けないかもしれない出口の見えない研究目標が僕を忙殺してくれた。そのまま思考を停止したのだ。


 だが、堀之内春が。


 彼女との出会いがその止まった時計を動かしてしまう。娘は生きていたら彼女くらいの年齢であっただろう。容姿は似ても似つかないが、彼女の笑顔は我が子のあの時の笑顔を思い出させた。僕はなぜか娘が好きだったオムライス屋を紹介してしまった。きっと堀之内春の為に行う治療が、娘のための研究であることと重なったのだろう。


 もう、娘はいないのにも関わらずだ。


 娘の為に世界を豊かにしたかった。しかし、その娘はもういない。思い出してしまった。この研究はもはや僕にとって何の意味もないものであることを。

 僕は自分の気持ちがまるで分らない、もぬけの殻の状態でディスプレイを見続けていた。舞台は日本の田舎であるのだろう。相変わらずゆるやかに思考テキストも流れている。だが堀之内春はもはや放心状態であった僕の心をあまりに激しく揺さぶってきた。


『車の事故についてはもっと考えるべきだ』


 僕が‥‥‥。

 もしかしたらアメリカに行かなければ事故は起きなかったのではないのだろうか。余計な事を考えずずっと日本に居たならあの日妻と娘は出かけなかったかもしれない。こんなことを考えても意味がないことはわかっている。しかし、考えないわけにはいかなかった。


『安全対策をしたからといって、事故は防げない』


 目の端に映るそのテキストをもはや無視することはできなかった。


「一体どうなっている!!」


 憤りを抑えきれず、両の手を乱暴にデスクにたたきつけた。


「なぜ僕の思考と彼女のテキストが会話できるんだ! 頭の中が読めているとでもいうのか!」


 思えば彼女に関してはおかしなことばかりだ。僕も科学者だ。この条件が成立する道筋を仮定することはできる。人間には不可能なレベルの恐ろしく精度の高い推論を幾重にも重ね、まるで曲芸のように当てずっぽうで思考するのだ。数億回に1回は当たるかもしれない。これを可能にするのは彼女の異常なまでの観察眼だろう。本当に彼女は人間ではないのかもしれない。恐らく九尾の狐とか、そんな類の妖怪なのではないかと本気で考え始めていた。

 ディスプレイを見るとおあつらえ向きに彼女は地獄に居るようだった。そこでは子供を失った母親が子を求め河原をはだしで駆け出していた。一体なんてものを見せるんだ!


『一体なんてものを見せるんだ!』


 その映像を僕に見せているのはもちろん彼女ではない。ギフテッドプログラムが用意した「おばけの正体」という他愛もないコンテンツの一部である。しかしいつの間にかこの恐ろしいギフテッドが全てを操り、楽しんでいるように思えていたのだ。彼女も苦しんでいるかもしれないという当たり前のことも想像できず。


 停電したかのように、突如としてシステムは完全に機能を停止した。機械音が瞬時に消え辺りは静寂に包まれる。それはプレイヤーが危険な状態に陥ったことを知らせるものであった。

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